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アーモンド・過去

アーモンドチョコは嫌いだ。口の中で、ゴリ、ゴリって鳴るごとに歯茎の間がガサガサしてきてその後、ろくすっぽ甘くもない欠片が引っかかる。少しえずく。

去年までは喜んでいた義理チョコが、今年もやっぱり同じ友人から来た。中身がアーモンドチョコなのとは関係ないけど、多分同じことだ。

ゴリ、ゴリ。気づいたのは、美しい思い出でも未来永劫、心地よいフレーバーを遺してくれるとは限らないってこと。後味薫る、なんて言い回しが似合うか似合わないかっていえば、とことん似合わない部類かなぁ。無機質なスタフが、後を引いているだけ。スタフ?マターじゃないからね。It no longer matters.

アーモンドが中身のないスタフであるように、バレンタインカードが手書きだろうと、やっぱりそれはスタフだった。いやに丁寧語混じりでビジネスライクな文章はわざとか、もしくは自然なのだろう。いや、それが彼女の性癖だったかも知れないが、忘れてしまった。昔の手紙は机の横に溜めてあるけど、生憎手は嫌いなアーモンドチョコで塞がってる。ゴリ、ゴリ。

なぜこんなにも友人からの贈り物に文句を言えるかって、全部自業自得だと知っているからだ。どうせ自分が悪いんだから、悪態の1つや2つ、今更。

何もしなくても幼馴染だから。お互いに特別なのは一生。そんなありがちな勘違いに―勘違いしているだけならともかく―僕はつけ込んで、サボり性癖を交友関係にまで広げてしまった。ギブアンドテイクの、ギブはちょっとぐらい、手を抜いていい。LINEの1通や10通。受験期の1週間や10週間。

結果、友人にとっての僕はオワコン化した。僕が労せずして彼女のあらゆる特別に居座る錯覚を貪っているうちに、頼れる自慢の幼馴染は見切りをつけて、猫とかスマホ画面とか、あるいは僕が知らない友達に乗り換えてしまった、ただそれだけのことなのだ。

くれたチョコがアーモンドじゃなけりゃ、僕は錯覚を続けたかもしれない。実際、インターフォンに近所の郵便局の名を聞いた瞬間の期待が、中身を見た瞬間涙になって溢れた。心地よいフレーバーが染み渡る生チョコレート。瑞々しく脳内を彩るラズベリーソース。今年は何だろう?

微かな香りからイヤーな予感がして、ひび割れた乾燥が奥歯に触れた瞬間、僕の幻想は、初恋は、故郷は、死んだ。死んでいたのに気づいた。ゴリ、ゴリ。ひとしきり後悔の波が、いや乾いた風が、肌を撫でて行った。

僕はアーモンドを噛み砕き続けることにした。ゴリ。忘却すら面倒だった。ゴリ。身体のほうが麻痺して、美味に感じてくれればいい。ゴリ、ゴリ。気づいたら水分を失くした友情を、とうの昔に捨てた彼女と、にへっと笑って貪る僕。お似合いじゃないか。ゴリ、ゴリ、ゴリ、…

気づけばチョコは無くなっていた。嫌いな欠片を紅茶で流し込む。喉に残って、僕はやっぱりえずいた。

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