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『自分をやめたい君へ』

 自分をやめたいって君は、泣いているね。

 じゃあ最初に、君という自己を定義してみよう。物質的には「自である」という依拠先の骨格と「他ではない」という依拠先の外皮が主に成していると思うんだけど、生物にとって先に来るのは「他ではない」で、ここはめちゃくちゃ下等でも明らかなんだよね。
 極端な話、僕らの分裂の親の親の親の、ミトコンドリア・イブのイブのイブみたいな生物性の始祖が、生物でない宇宙他全てに対する特権性を手に入れたんでしょ。それから長らく、「自である」よりも「他ではない」の方が彼らを生かしてきたんだ。
 細胞分裂ってさ、別にヒヨコなんて殺さなくても「他ではない」を問い直す瞬間だよね。隔壁の分離による飛び地って捉え方をしたら?それでは単細胞と多細胞の違いって?倍々ゲームに見えても実は独りの「他ではない」を分担しているのかもしれないし、60兆が互いに「他ではない」って主張するうちに僕らは悲しいとか美味しいって思ってるのかもしれない。人類みな兄弟どころか、生物みな自分って思えば、蚊も潰せない?
 昆虫とかはその両方を外骨格が担っているので、めちゃくちゃオモロい。そして変態昆虫は蛹化を通して初めて「自である」を獲得するんだよ。内側は一度ドロドロに溶かすし、一貫性は「他ではない」にしか保証されていない。その点不完全変態昆虫よりもむしろ概念として下等だよね。

 話が難しい?じゃあ代わりに思い出して。戸山公園で飛ばしたシャボン玉は僕らよりも、もっと「他ではない」を実践していたよね。もちろん奴らに魂がある、なんてスピリチュアルには走らないけど、あの明確な定義を見習うといい。
 君の苦しみを解き明かそうか。長いこと生物をやった先の高等社会にいて、「他ではない」がシャボン玉より薄れてしまって、「自である」ばかりを持て囃すよね。そんなの、わからなくて、困って当然なんだ。だって、36億年のキャリアを棄てて、高々6億年の経験をカタチにしろって。しかも君は20歳だ。笑っちゃうぐらい不利な戦いだよね。
 自分をやめたい君へ。やわらかな肌が頼りないって言うなら、そいつの名前は優しさだ。「他でない」球体を恨めしそうに見つめながら、それでも頑なになれない君が美しい。君が引き剥がしたい絶望は消えることがないので。野垂れたところでずーっと、君は「自である」ガイコツに捨ててもらえないんだよ。だから両方を諦めよう。そしたら、両方を抱きしめてあげる。

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