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瀬戸内航路で繁栄した・鞆の浦(広島)

先日のサイコロきっぷの「倉敷」の旅の際に、JR西日本のアプリ「setowa」のフリーきっぷを使って行きたかった場所の1つが「鞆の浦」(広島)でした。

倉敷とsetowaの話はコチラ…

鞆の浦は、福山駅からトモテツバスで30分ほど行った場所になります。
setowaの中にある「岡山ワイドパス」や「広島ワイドパス」であれば、福山~鞆の浦間のバスも代金に含まれています。

この常夜灯が鞆の浦のシンボルです。
ここからかつては、西は大阪から東は関門海峡を越えて日本海へと多くの船が行き交っていました。

鞆の浦が、瀬戸内海でも東西の潮の変わり目だったこともあり、古代から航行上重要な場所だったのです。

鞆の浦の港のすぐ北側は小高い丘になっていて、ここに鞆の浦歴史民俗資料館があります。ここからであれば、港がよく見えます。

この丘の上にかつては城がありました。
毛利氏の時代には既にあったようで、京都を追放された足利義昭を毛利氏が鞆に迎えた際にはこの城へと招いたとのことです。

江戸時代になって福島正則により、城は整備されますが、その後の一国一城
令で破却されてしまいます。

その後は、福山藩によりこの鞆の港は管理されることになります。

江戸時代に、蝦夷地(北海道)から日本海・瀬戸内海を経由して大坂に向かう、北前船の寄港地としても重要な役割を果たしていました。

近代になって汽船・鉄道で大量輸送できる時代になったことで、鞆の浦は流通の拠点としての役割を終えることになります。

近代の港として発展してきた場所は、大型船が入れること、そこで鉄道など陸上運輸の拠点を作れる地理的条件が整っている場所でした。

横浜・神戸・新潟はその代表例ですし、鞆の浦の近くであれば尾道は、鉄道も港湾も整っていたこともあり、経済的地位を保つことができたのです。

経済的な繁栄は過去のものとなったからこそ、鞆の浦には古き港町の雰囲気が残っていると言えるのかも知れません。


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