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金沢(石川)の物流を支えた港町 大野と金石

今回、金沢にやってきた理由というのが、金沢の外港として繁栄した、大野や金石(かないわ)を少し見に行きたいと思ったからです。

そのために、前日は青春18きっぷを使って金沢までやってきたのです。

鉄道ができるまでは、海運が物流の主役でした。
加賀百万石とは言われますが、その中心の金沢も、港がなければ支えることは不可能だったのです。

江戸時代に、日本海を行く西廻り航路が整備され、各地に港町が整備されました。そこを南北に行き交う北前船により、米、海産物、木材などの生活必需品が取引されていました。

金沢の城下町は、浅野川と犀川という2つの川に挟まれた地域で発展してきた町です。それぞれの河口に、大野と金石という港町ができたのです。


大野 港と醤油・味噌

金沢市内中心部の近江町市場のあたりから、バスで30分余りで、大野の町に着きます。古き良き港町の面影を感じる町並みです。

小高い丘の上に建つ、日吉神社から港町の方を見ると、黒い光沢のある瓦屋根が一面に並んでいます。
能登半島で作られた「能登瓦」で、風雪に強いと言われています。

そして、大野の町を見ると所々に高い煙突が見えます。

大野は、醤油や味噌の醸造で有名な町でもあります。
煙突が建っているのは、その醸造所なのです。

ヤマトの醤油・味噌は金沢でもかなり有名です。

朝ごはんで寄った「もりもり寿司」の醤油もヤマト醤油でした。
以前に泊まった金沢市内のホテルで出された味噌汁も、ヤマトの味噌を使っており、それが本当に美味しかったのです。

ヤマト醤油味噌さんの直売所ももちろんあり、荷物に余裕があれば、是非買ってみたいと思うものが揃っていました。


金石 豪商の夢の跡

大野からバスで数分で、「金石」に。
…とは言っても、道中は古い街道を通っているのは分かりましたし、古い建物もそれなりにありましたが、「港町」だった面影を伺えるものはさほど残っているような感じではありませんでした。

ただ、古代からある大野湊神社があったりと、確かに歴史のある土地だったのは伺えます。


先ほどの大野湊神社の近くには、金石の町を拠点に商いをしていた「銭屋五兵衛」の記念館が建っています。

銭屋五兵衛は、元々から廻船業を営んでいた訳ではないのですが、質草で入手した船を元手に、日本海に乗りだし、交易で莫大な利益を一代で稼ぎ出したと言われています。
一説には、当時は「禁制」とされていた海外との貿易をしていたとも言われています。

資料館は、確かに銭屋五兵衛に焦点を当ててはいますが、北前船での交易の全体像もつかみやすいように展示がされていました。

今まで、日本海側各地の北前船の資料館を巡ってきましたが、その地の商家の様子を描いているのは、多々見てきました。
北前船が、どういう交易をしていたのか、そこまで切りこんでくれているのは、随一だと、私は思いました。


海を通じて繋がっていた道

もっとも、鉄道ができてからは、鉄道が流通の中心に変わっていきます。

(旧)北陸本線は、米原~富山までほぼ内陸部分を通っているのもあり、海のある風景がなかなか見られないものです。
それもあって、物流が鉄道に取って代わられると、北前船で栄えた北陸の港町の多くはかつての賑わいは過去のものとなってしまっています。
実際、北陸本線から海に出るのは、交通網もなく、本当に大変でしたから。

それでも、実際に港町を歩いて見ると、かつての栄華がちらりと見えることがあり、それが私には楽しくて仕方がないのです。

そして、何より、京都伏見に住んでいる身としては、大阪を経由して、ここまで流通路が繋がっていたのを感じられて、いつも驚きを感じるのです。

金沢の外港を巡った後は、普通列車で京都まで戻ります。

【続く】


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