見出し画像

【ショートストーリー】迷子猫と雨のデート

「少年~、もう少しゆっくり歩いちゃくれねぇかい?」

「そっちがもう少し早く歩けよ」

 一歩家を出たら、僕はいつも一人だった。
 通学路を一人で歩き、教室で一人を決め込み、放課後を一人で過ごす。休日も同じだ。出掛ける用はあっても、誰かと一緒に出掛けることなどない。人目が気にならない分、むしろ平日より気が楽だ。
 そう、僕はいつも独りだった。誰に気を遣う必要もなく、誰の行動に振り回されることもない。そして、誰かと何かを共有することも…………。

「つれない事を言いなさんな。たまにはゆっくり散歩するのも悪くないぜ?」

「アンタはいつもゆっくりだろ。僕は時間を無駄にしたくないんだよ」

 だと言うのに、僕の日常は少し前からおかしな事になっている。霧雨が静かに降り続く日曜の午後。傘を手にいつもの如く一人で最寄り駅付近のネットカフェへ足を運ぶ。するとやはり、どこからともなくこの人が姿を現した。

「いやさぁ、雨量が少ないとオジサン元気が出ないのよ」

「嘘つけよ。大雨の時だって気だるそうにしてるクセに」

「いやマジだって少年。雨が多いほどオジサン調子出るから」

 深緑色の合羽を頭からすっぽりと被った40代半ばくらいの中年男性が、僕の3歩後ろを歩きながら声を掛けてくる。その外見を改めて表しても怪しさの塊であるこの男は、言動も怪しさ満点だった。

「この道は通学路じゃないねぇ。それに今日は学ランじゃなく私服か~。ということは、ネカフェに行くのかい?」

「どうでもいいだろ」

「どうでもよくはないさ。デートコースが分からないと相手は不安になるだろ?」

 一応明言しておくが断じてデートではない。そもそもこの中年男とは最近知り合ったばかりで素性も大して知らない。

「知るかよ。それにサプライズ的なデートならあり得るんじゃないの?」

「ほう、今日がそれなのかい? オジサンそういうサプライズは遠慮したいなぁ~」

「もう勝手に言ってろよ……」

 この中年男は決まって雨が降っている時に外を歩いていると、ひょっこり姿を現して声を掛けてくる。初めはあまりに気味が悪くて無視したり走って逃げたりしたけれど、この人はまたひょっこり姿を現して延々と意味不明で下らないことばかり話してくる。まぁ、別段害がある訳でもなかったので、今では逃げることもせずただ適当にあしらっている。そうしている内に僕がどこか屋内に入ろうとすると、彼は突然消えたみたいに居なくなってしまう。そういえば、雨が止みそうになった祭も居なくなってたっけ。まぁいい。とにかく奇妙な中年男だ。

「アンタ、今日も道中を付いてくるだけ?」

「そっ。お前さんが”あちら側”に引きずり込まれるとすれば、雨の中一人で外出している時って相場が決まってるんでな」

「意味わかんね。あちら側ってなに?」

「デートする相手も見つけられない空虚で淋しい場所さ」

「マジで意味がわからん……」

 こんな調子で不毛極まりない会話は続き、いつもの如く僕がネカフェに着く頃には居なくなっているのだろう。こんだけウザ絡みをしてくるクセに、去るときは何とも素っ気ないものだ。

「………………」

 さらに奇妙な点を付け加えると、どうやらこの合羽男は僕以外には見えていないらしい。もうここまでくると、雨の日限定に現れる幽霊とかお化けの類だと考える他ない。

「ねぇ。アンタってお化けなの?」

「おいおい少年。オジサンはそんなおっかないモンじゃないぜ?」

「見様によっては十分おっかないよ」

「だとしてもオジサンは断じてお化けじゃないからなー」

「だって、僕以外の人間には見えてないみたいだし。それに変な格好だし」

「変な格好とはなんだ少年! それはオジサンにもお化けにも失礼じゃないか?」

「じゃあアンタ何なのさ」

「おっ、気になるかい? 気になっちゃうかい?」

「…………いや別に」

「隠すな少年~。いま物凄く気になってたじゃないか」

「なってないし!」

 つい声を荒げてしまい、咄嗟に口を紡ぎながら周囲を気にした。他人からこの男の姿が見えないのでは僕が一人で騒いでるだけの痛い絵面になってしまう。

「おぉ~、いつになくデカい声を上げたなぁ。いいぞ少年、人間そうやって元気に会話をするのが一番だ」

「…………」

 合羽男に目線でウザいと意思表示しつつ、体を一回り小さく丸めて雨の中を静かに歩く。
 でも確かに、こんな大声を上げたのは久しぶりな気がする。そんな感情をぶつける相手なんて他にいないから。家族とだって一日に二言三言交わすだけで、ましてその声は相手に聞こえているかも曖昧なボリュームだ。
 それがどうだ。この中年男性と雨の中を歩く間、僕は日に日に口数が増えていった。会話の内容こそ下らなくて呆れるものばかりだけれど、この男へ一言言い返す度に心の中の靄が少しずつ晴れるような感覚があった。

「僕だって言う時は言うぞ。ていうかさ、何でいつもピンポイントで雨の時だけ来るんだよ。アンタ雨男なの? あと傘とか持ってないのか? いい歳したおじさんが合羽で散歩ってなんかダサくない?」

「待て待て少年、急にオジサンを質問攻めにするなよ」

「いいや、するね。いつもアホみたいな与太話に付き合ってやってるんだ。たまにはこっちの疑問にも答えてもらわないと」

「でもほら、そろそろネットカフェに到着する頃じゃないかい? オジサンおいとましちゃうよ?」

「とっくに通り越してるよ。アンタだって気付いてたんだろ?」

 空虚な足取りで歩いていたいつもの道は遥か後方。いくらか軽くなった両足はぐんぐん前へと進んでいる。一人で歩くのとは違ってちょっとペースを崩されたりもするけれど、何かを共有しているようでどこか充足感を覚える、そんな誰かとの散歩道。

「────そうさな。それに気付いたならもう迷子になることもなさそうだ」

「え? なんか言った?」

「いいや。少年とのデートもあと何回できるかと思ってね」

「だからこれデートじゃないし」

「まぁそう言いなさんな。それで少年、どこまで歩くんだい?」

「どこだっていいだろ」

「オジサンそういうサプライズは遠慮したいんだって~~」

 もうしばらくは降り続くであろう霧雨の中。聞こえるのは微かな雨音と中年男の暢気な声。

 僕たちは下らない散歩道を作り上げては、ゆっくりと前へ進んでいく。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?