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雨の都、基隆で91歳のおじいちゃんと出会った話。

基隆(Keelung)
台湾北部の港町。日本統治時代に大型船舶が停泊できる港が整備され、日本海軍の港が置かれた歴史をもつ。年間を通して雨が多く「雨の都」とも呼ばれる。台湾人の友達曰く年間300日は雨が降るとか降らないとか。

先日、高鐵乗り放題切符を買って途中下車しながら基隆まで北上した。目的地は「正濱漁港」。なんとなく、台湾らしからぬカラフルな風景に惹かれ自分の目で見たくなった。

高鐵南港站で台鐵に乗り換えて基隆に向かうが、数駅手前の七堵で途中下車。おそらくこの駅で降りる観光客はほぼいない、昔ながらの田舎町といった印象。美味しいと噂の營養三明治(栄養サンドイッチ)へ足を運ぶ。

地元民の行列

揚げパンにハムときゅうりとゆで卵を挟んでマヨネーズで味付けしたシンプルなサンドイッチ。1つ35元、3つ買うと100元。素朴な味だけどこの揚げパンがすごく美味しくて寄り道して正解だった。

さて、暗くなる前に目的地へ。基隆駅からバスで漁港まで行くが、このバスの運転が荒いのなんの。急発進・急ブレーキを繰り返しながら曲がりくねる細道を猛スピードで走っていく。荒いバスの運転は語学学校への通学で慣れた気がしていたが、まだまだ甘かった。

正濱漁港は1934年(昭和9年)の日本統治時代に開港。時代の流れとともに廃れていったが町おこしの一環としてカラフル化計画がなされたらしい。

帰りのバスを待っていると突如おじいちゃんに中国語で声をかけられた。「次のバスは何時に来るの?」と問われたので、「ごめん、日本人だからあまりわからないけど、多分18時30分にくるはず。」なんて拙い中国語で返してみる。

するとおじいちゃんは嬉しそうに日本語を思い出しながら言葉を紡いでくれた。散歩に来たというおじいちゃんは91歳、日本統治時代の教育を受けていたため日本語がペラペラ。

夕方のバス停は二人きり、お話をする。10分遅れで到着した路線バスに乗り込み、隣に座ってずっとお話をする。「日本語ほとんど忘れちゃったけど、話せて嬉しいなぁ。」とずっとニコニコしていた。

日本統治時代の思い出、街の歴史、変わりゆく街並み、地名の由来。いろんなことを教えてもらった。「日本の先生すごく怖かったですよ、今思い出しても涙が出そうな辛い経験もありました。でもあの教育は大成功だったと僕は思っています。」

「夜市行くなら僕が降りた後の2駅先で降りてね。この土地に長い間暮らしているけど、こうやって話せる日本人と出会ったのは初めて。すごく嬉しいです。」と言葉を残してバスを降りていくおじいちゃん。

(ちなみに、30年前に日本に旅行した際、日本語に自信があったのに外来語ばかりで何もわからずショックだった話は3回聞いた。)

不思議と旅の地では出逢いに恵まれる。

その土地を好きになるのは、人との出逢いがあってこそだとも感じる。数時間と短い滞在ながらも基隆という街が、「91歳のおじいちゃんと沢山の言葉を交わした大切な場所」に変わり、大好きな街の一つになった。


基隆廟口夜市にて

[補足]
台湾随一のグルメ夜市と言われる基隆廟口夜市
美味しかったので忘れないようにメモしておく。

◾️螃蟹羹‧油飯(呉記 第5号攤)
台湾風おこわとカニのとろみスープ。美味しかった。

◾️陳記泡泡氷創始店

ジェラートのような滑らかな舌触り。花生紅豆はぜひ食べてほしい。

アワアワ氷


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