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ゲストハウスへのラブレター

旅の良さってなんですか?とよく聞かれる。

私が旅の虜になったのは大学生の時だ。
進学した「観光学部」にはその名にふさわしく旅好きな人がたくさんいて、旅にでる授業も多く、いきなり「旅」というものが身近になった。
それまで生まれ育った埼玉県の行田と熊谷からほとんど出たことがなかった私は、旅先での刺激にイチイチ感動した。
見たことのない景色、食べたことのない味、嗅いだことのないにおい。
ビックバンのように次々と爆発的に訪れる初めての出会いに、5感をフル稼働して解釈し、新しい世界がどんどん広がっていった。そしてなによりも魅了されたことが、旅先での人とのつながりだった。

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ベトナムでたまたまご一緒したメンバーで記念撮影

一期一会ならぬ、100人の人と100通りの出会い方をする百期百会を繰り返すことで、自分の「よりどころ」となるようなつながりが増えていった。
非日常でのつながりが増えると日常の見方も変わっていく。
環境や人に依存しなくなるし、物事を多面的に見えるようになっていったと思う。

自分が旅先の地域で受けた恩恵をより多くの人に還元したくて、地域活性化の取り組みができる企業を志し、ネット広告会社に就職した。

地域活性化でネット広告?と思う人もいるだろう。そう、それもそのはず。当時わたしなりのロジックはあったけれど、FUJIYAのミルキー以上に甘い考えだった。やりがいと反比例して、仕事はどんどん忙しくなった。当時職場まで2時間かけて通っていた私は、終電や始発の電車の中で自分が自分でなくなっていく感覚を覚えた。

その年に大好きな祖母がなくなって、命のおわりを経験したことを機会に「いつ死ぬかわからないなら、自分らしい生き方を追求しよう」と決め、思い切って会社を辞めた。
当時まだ早期の転職自体が市民権を得ていなかったので、勤めていた会社の人からはサラリーマンンキャリアを棒に振るようなものだと言われた。

退職したことで開放感と虚無感におそわれ、ふわふわと地に足がつかない状態の自分を鼓舞しようと、わたしはひたすら旅に出て、少しでもいろんな人の話が聞きたくてゲストハウスに泊まった。

自然とともに暮らすことがどういうことか教えてくれた小笠原での出会い。
異文化について夜通し語り合った京都での出会い。
お酒を飲みながら何時間も星をながめた波照間島での出会い。

ゲストハウスで様々なバックグラウンドをもつ人たちと出会うことで、それはもう、十人十色な人生を知った。異なる環境で生き、多種多様な考えをもっている人の話をきくことで、自分自身を形作っていた心のパズルのピースが一つ一つもとに戻っていくようだった。

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小笠原で海をみながら島で出会ったかたとのんびりヨガ。

学生時代自分が「よりどころ」だと感じた場所は、「その人がその人らしくいられる」場所なんだと気がついた。何より別れ際に「いつでも帰っておいで」と言われることが嬉しくて、嬉しくて。
同時に、自分には世の中を良くするというような大きなことを考えられる力はなくって、目の前にいる人が笑顔になってくれることが一番のモチベーションなんだと自覚した。

ーーー自分の手の届く人が自分らしくいられるようなつながりを作れるような人になりたい。

こうしてわたしはゲストハウスをつくることを目指すようになり、ご縁があった浅草橋のゲストハウスLittleJapanで女将をつとめた。
1人1人をおもてなしをすることがこんなにも大変なのだと感じたこともあったけれど、一週間の滞在予定だった人がゲストハウスを気に入って気がついたら一ヶ月もいたり、洋服が破れて困っていた外国人とユニクロで一緒に買物に行ったら心底喜んでくれたり、毎日仕事の息抜きにコーヒーブレイクをしにきてくれる人がいたり、、1つ1つの出会いに一喜一憂しながら、つながりづくりに奮闘した。今でもSNSでつながっている人も多く、近況やメッセージでやりとりをしてはにやけている。

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長期滞在してくれた旅人とスタッフと。

やがて、このつながりをもっと場所にとらわれず作っていきたいという思いが強くなって、「旅するフリーランス女将」となった。
自分自身も旅をしてゲストハウスや旅先での出会いを通じて学ばせてもらいながら、今もなお誰かの心のよりどころなるつながりづくりを目指している。

最初の質問に戻ろう。
「旅の良さは何か?」と聞かれたときの、わたしの今の最適解は「旅に出ないと出会えない人とのつながり」だ。
そのつながりをつくってくれる場所がゲストハウスだ。

人生を助けてくれたゲストハウス。
生き方を教えてくれたゲストハウス。

これからも多くの人のよりどころとなる場所になることを願っています。

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