たびするシューレ 大分市 報告記 カモシカ書店 岩尾晋作

大分市は僕が生まれたところだ。ここで18年過ごし、東京で12年学んで遊び、再び大分市で暮らし始めて5年が経とうとしている。
大分市で暮らしながら、どこかに引っ越そうとは全く思わないし、僕はこの街が好きだ。
何より距離感がいい。市役所・県庁・税務署・警察署・保健所・法務局。全てが徒歩で済む、非常に手続きのしやすい街で、そういった意味ではまさに商人の街と言えるだろう。別に商人の街だから好きということではないのだが、便利なのは間違いない。おすすめの街である。

便利であるということとは別に、私がこの町が好きな理由を話しながら今回のシューレの報告をしたいと思う。
佐伯の時ほど長くはならないので、どうかお付き合い願いたい。

ところで、僕は、書くことが、好きだ。だから書こうと思えばいつまでも何か延々と書いてしまえる。が、書くほうとしてはいくらくだらないことを書いてもいいのだが、当然読むほうとしてはくだらないものを読むのは耐え難い。
僕は書かなければならないものを溜めてしまったり、一度書いてしばらくして全部ボツにしたりするので本当に出来上がるのが遅い。

そして僕が好きな「書く」という行為や表現が、徐々に力を失っていると思うことも多い。
「書く」「読む」という行為に対して、きちんと認識していたほうがいいのは、映像で済むものは書く必要がないし、感情は歌のほうがうまく伝わることがあるし、「書いて」いる暇があるなら行為したほうがいい状況は多い、というふうに「書く」ということに対してかなり冷静な態度が求められているということ。

出版業界に関していうと、著者にとっての「本を出す」というひとつのステータスに付き合ってできている本が多い。それに口述筆記で作っているとしか思えない本もある。前者は存在しなくていいし、後者は音声や映像でいい。
僕が「書く」という行為が好きなのは、「書く」という行為でしか表現できないものがあることを知っていて、なおかつ、「書く」ことでしか表現できないことこそが、人間にとって一番美しいものだと信じているから。だから僕は本屋をしている。

このシューレも、写真を見れば何をやっているかは充分伝わると思うし、内容については音声で聞くのが一番伝わるだろう(たしか西田さんが全部録音しているはず。公開されるのだろうか?)。
「書く」「読む」が徐々に力を失っている、というよりもたぶん、「書く」よりも場合によっては効果的と言える表現技術が次々に現れ、それらが技術・コスト的に容易に使えるようになっていくにつれて、「書く」ということが不自然、あるいは無駄、になっていることが増えているということだろう。
僕の考え、つまり「書く」ことでしか表現できないことこそが、人間にとって一番美しいものだ、という仮説に立つと、このことは納得できる。
真に「書く」に値すること、つまり心底に染み入るような美しい瞬間や出来事というものが、人生にそんなにあるはずがないじゃないか、と。

さて、今回のテーマ、「大分県は面白いのに、なぜ大分市はそれほどでもないのか? OPAMがあるのに」というのはお気づきの通り、少し手加減したずるい言い方で、はっきり言うと「なぜ大分市はつまらないのか?」ということだ。(そしてOPAMは面白い、ということだ。)

私の住んでいる街はつまらない、のか。結論から言うとそんなことあるわけがない。私は、「大分市がつまらない人は、その人がつまらない人だからで、この街で退屈している人は、世界中どこに行っても退屈するだろう」というようなことをカモシカではよく言っている。
言いかえると、「きみがつまらないから、きみの大分市における人生もつまらないのだ」という元も子もない言説で、自分でいうのも気が引けるが、こういう真実はあまり人には言わないほうがいいだろう。
それに、本当にこの街で退屈している人は、シネマ5にも行かないだろうし、田井さんとも話さないのだろうし、OPAMに関しても同じだろう。つまり「たびするシューレ」というようなユニークなイベントの存在に気付かず、見かけても参加しようとはせず、興味を持たずに過ぎていくだろう。

だが、かなり乱暴に言うと、情報は越境することに一番の意義があるとして、シューレに来てくれる人よりも、シューレに気づきもしない人にこそ、シューレは語り掛けたいし、語り掛けるべきだという逆説を僕は腹に持っている。

勘違いしないでほしいが、シネマ5に行き、OPAMに行き、それぞれ支配人、館長と映画や芸術の話をして、イベントに参加して、大分の人脈を作っているようなライフスタイルが、退屈の正反対なのだ、と言いたいわけではない。

例えば僕自身。
僕は大分には決して帰りたくないと思い東京に飛び出した。勉強は得意だったから最初は東大に行くとのたまっていて、高校で映画と文学とファッションに狂ってバイトに勤しみ勉強しなくなって、結局東京の私大に行った。東京は最高だった。見たい映画、行きたいお店、大分では誰とも共有できなかった文学や哲学、漫画、音楽、映画、ファッション、芸術の話ができる友だち。勉強も面白いけど、勉強以外にも同じように価値を見出し創造的に生きていこうとする同年代の何万人もの学生たち。僕はそういう東京がすごく気に入っていた。ずっと東京で生きていこうと思っていた。
でも同時に、東京で楽しめば楽しむほど、大分から逃げているような気持ちも大きくなっていた。それは不思議な感情だ。人は生まれた場所で生きなければならない制約はそれほど大きくはない。人によるところも大きいけど、破ろうと思えばたいていの人には破れる程度の制約だろう。少なくとも僕は破りたければ破ることが出来た。でも、帰ってきた。

僕は以前シネ・カノンという映画会社の下で働いたことがあって、末端からではあるが日々映画業界の人たちというのを目の当たりにしていた。ほとんどいい思い出しかないが、映画を仕事にするというのはとんでもなく大変そうだなと思った。儲かりそうにない、ということと無関係ではないが、それよりも、立場の上下にものすごくレンジがある、と感じたことが大きいかもしれない。上は日本人なら誰でも知っているような監督や俳優や、アイドル。下は僕のような無名で無力で貧乏な若者。映画業界ほど格というものが厳然と、高低差が大きく存在している業界はちょっと他にないんじゃないだろうかと僕は思う。
 その頃、出身地を訊かれて「大分です」と答えると必ずと言っていいほど、「シネマ5あるじゃん!」と言われたものだった。中高生のころ「ショーシャンクの空に」や「セブンイヤーズインチベット」、「グッドウィルハンティング」などをひとりで見に行っていた近所の映画館が、東京の映画業界の人の誰もが知っていると言っていいほど有名な映画館であることには驚いた。

 サラリーマンは嫌だなあ、と何となく思っていて、小説を書いたり、服を作ったり、(シネカノンの仕事という意味ではなく自主的に)映画を作ったり、何か自分の腕で生きていくことはできないかと模索した。そうしながら、もしかしたら僕は、大分にないもの、大分で僕にしかできないもの、そしてそれが少しでも広く、大分の人の役に立つもの、を探していたのではないか、というと綺麗事すぎるだろうか。
これは陳腐な言い方なのだが、カモシカ書店をやるように、全てが自然に流れていったと思えることは多い。

話を戻そう。
大分に帰って、カモシカ書店をして、シネマ5とOPAMに通って、田井さんと新見先生と交流しながら学ばせてもらって、もちろん、充実している。夢のようだ。
退屈なんていう感情はもう忘れたしまったぐらい久しく味わっていない。と、これはただの自慢だが、僕が退屈でないこの日常は、当然だが僕だけのものだ。
厳密な意味では誰も随伴できないし、今だけ共有したところで私の歓びには遠く及ばないだろう。

早とちりしないでほしいが、充実を感じるための条件は人それぞれ、と下らないことを言いたいのではない。

僕がしたいのは、「すごく充実しているけど、私は決して幸せではない」こと、そのことは結構重要なことのヒントなのではないか、という話だ。
自分が幸福ではないことが重要なことだ、と書いているようでちょっと心苦しいが、何も同情を乞うたり愚痴を聞いてもらおうとしているのではないのでどうか安心してほしい。

すごく短絡していうと、僕が言いたいのは、大分市での生活がつまらなくても、大きな不幸なく暮らしていければそれでいいんじゃないか、ということ、かな。自分でもうまく言えない。
つまらない、と感じながらそれをいちいち変えようとはせずに、そのままでいいと思えるのは、望ましい状況ではないのかもしれないけど、別に何も悪いことではなのではないか。

もちろん、人は幸福からは多くを学ばない。というよりそもそも、学びというのは傷を負うことによって初めて起動する装置だ。だから僕はいつも感じる。丹念に基礎づくられた知識や技能の熟練性は、まるでその人のトラウマとそれを覆うカサブタを見ているようだと。
そして、僕を奮い立たせる言葉はいつも、幸福ではなく、その人が背負ったその人だけの苦悩から発せられている。
人として正しいのかどうかはわからないけど、僕はそのカサブタを、何よりも美しいと思う。
だから、美しいものはいつもどこか悲しい。そういう悲しみの共鳴に、僕は救いを感じることが多い。
新見先生が言う、美術館が人を救う可能性、というのはたぶんこういう感覚と無関係ではないと思う。

人間は、一人で安全なところで何もすることがないよりも、誰かと面倒な作業を分担しながら必死にそれをこなしているほうが楽しい。だから、状況や環境よりも誰かとの人間的な結びつきのほうが優先して感情に訴えかけられているはずだ。
ということは、どこに住んでいようとそんなことは重要でない。何をしていようとそんなこともどうでもいい。
だから大分市がつまらないとか面白いとか、そんなことも本当はどうでもいいことだ。
それぞれが繊細で強靭に、ひとり歩き続けながら自分の仕事をして、ときに共同体として心を通わせる、高め合う。カモシカもシューレもそういう場所でありたい。

とにかくそんな気持ちで僕はカモシカもシューレもやっている(最も大切なことが少しだけきちんと書けた気がする)。が、前置きが長くなった。
もちろんそれだけではなくて、もっと現世的な欲望も当然あるし、大分市の面白さについてやっぱり書かないとまずいだろう。

大分市の47万人というのは世界的にみれば大都市である。近隣に別府、湯布院、竹田、国東、佐伯、と地熱・歴史・海洋資源に溢れ、どこも車で1時間ちょっとあれば行ける。
大分市は都市機能とベース滞在地として、周辺面白地域へのハブという存在に徹すれば、自らのあり様も自ずと見えてくるというものだ。

新見先生が言うように、路地裏の魅力や、自転車での移動する楽しさはもっともっと磨くことが出来る余白だろう(まあ、路地裏はすでに結構おもしろいですけど、もっと際限なく、作り出さなきゃですね)。自転車においては、車道の使い方をもっと議論せねばならないだろう。(歩道を半分塗装して自転車道を作るのは、自転車文化をみしろ伸び悩ませてしまう。)
奇人変人、よそ者、外国人。入り乱れてビールを飲んで楽しみ、そこから音楽や詩が生まれ、住む人たちが誇りを持って暮らし、誇りが歴史と文化になる。そんな夢みたいな街に僕は住みたい。そんな街を作りたい。

僕は、カモシカに県外国外からわざわざ来てもらえるように、ここにしかない魅力を作ろうと必死だ。力不足ながらも、なんとなく手ごたえもある。「ここにしかない魅力」というのは当たり前だけど簡単ではない、というか狙ってできるものなら誰かがすでにやっていて、価値のない概念になっているだろう。結局のところ、基礎と誠実さの貫き方、つまり狙わずとも当たり前にやらねばならず、しかもそれらがいちいち難しいこと、の終わりのない永遠の繰り返し、にしか方法はないんじゃないでしょうか。

そんなとき一番にお手本にしたいのが、僕なんか到底及ばないながら、シネマ5である。
シネマ5の田井さんが、まさに頑張り続けているということに、希望を見て、僕は帰ってきたと言っていい。

(続)

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