山羊とマリア様 臼杵シューレ報告記 カモシカ書店 岩尾晋作

 今回のシューレはまず、会場のgallerySARAYAMAの素晴らしさが強い印象を残している。洗練された広い空間、オーナーの宇佐美夫妻のセンスと人柄、また臼杵大仏のすぐ近くという立地の利便性、歴史性。今後、このまちで必要とされるあらゆるムーブメントに対して、gallerySARAYAMAは創造的・拡張的・互換的に対応できるだろう。
間違いなく、臼杵の新しい世代が始まっているのだと確信するに余りある、動的なスポットである。

 新見館長と臼杵に向かう道すがら、実に面白いパン屋さん、ウエムラブレッドさんと、静かで荘厳な、聖母の騎士会 恵の聖母の家に立ち寄ったことは新見館長の報告記にもあるとおりだ。
 ウエムラブレッドの上村夫妻は、空き家バンクを利用して愛知県から臼杵に移住されたそう。空き家と言ってもちょっと簡単には見かけない、往年の庄屋の風格漂う立派な古民家で、裏庭には小さな池や、養蚕小屋、以前盛んだった葉タバコ農家用の乾燥室、目の前には古(いにしえ)から聳え立つ重要文化財の石柱(太古の裁判の様子がレリーフで描かれている)、という珍しいものばかりに囲まれて、土地そのものがアンティーク、骨董的雰囲気をふんだんに漂わせている。
 広い前庭で、山羊が雑草を食んでいる光景になんともいえない詩情を感じ、しばし心を奪われた。周辺に視界を遮るものもなく、一面の空。これはゆっくり、テントを張って星々をながめてみたいものだと、昔好きだった登山の記憶が蘇った。
 上村夫妻の新しいセンスは、この山奥の不思議に神秘的な集落に、ギャラリーのようなスペースも生み出そうとしていて、今後も目を離せない革新の地だ。

 聖母の騎士会 恵の聖母の家は少し立ち寄らせて頂いて、私はマリア様を拝顔したのみだが、丁寧に祈祷する新見館長の背を見ながら、信仰のない私もやはり神聖な心持になった。私は幼少のころ、洗礼を受けていないがカトリックの幼稚園に通っていたからか、今になっても教会や聖像に接すると安らかな感情が湧き、非常に落ち着く。
そうしながら、恵の聖母の家の静寂さ、清廉さ、そしてどこか特権的なほどに荘厳な空気に、2000年の信仰の歴史とその世界規模での影響力を、思わずにはいられなかった。
 悲しいこと、苦しいこと、耐えられないこと。全てを背負おうとしてきた宗教の歴史に、もちろん宗教自体が悲しみの発端になった歴史を顧慮しつつも、深淵をのぞくような恐れとともに美しさを感じた。
 新見館長に教えてもらったのだが、一度生まれた魂は永遠に不滅だ、というのがカトリックの死生観らしい。その死生観に神がどう関わってくるのか、何となく想像できるし、私には神は信られないのだけれど、カトリックの死生観はとても好きだ。
山羊と円天とマリア様の静寂。シューレは会場に行くまでの道中に感じるものが本番と同じくらい大事なのだが、臼杵への道中は私にとって突出して印象深かった。今回は臼杵の市街地はほとんど見られなかったので、また行かなくてはならない。


さて、ダッチアカウントに始める新見館長のレクチャーは補足も含めて新見館長の報告記をぜひお読みいただきたい。臼杵=オランダ説、はあながち牽強付会ということでもなさそうだ。そう思わされる力説とオランダ文化への深く広い知見に、いつもながら唸らされた。

そして、第2部である。すなわち、オランダ大使館からバス・ヴァルクスさん、日田から江副直樹さん、福岡県うきは市から馬場亮子さん、そしてたびシューレでもお馴染みの西田さん、たちで構成される「九州オランダプロジェクト」のメンバーたちが臼杵に集ったのだ。
 なぜ、臼杵でオランダの話を? リーフデ号が漂着したのが臼杵市だと言われていることが関係しているのは想像に難くないが、ではなぜ、臼杵で「九州オランダプロジェクト」の話をするのかについては説明が必要だろう。
 「九州オランダプロジェクト」は地方からダイレクトに海外に繋がることで、地方という辺境性の持つプラスの面に、さらに外国の魅力をミックスさせることで、よりその地域を際立手せて盛り上げよう、ということをしているユニットだった。
 つまり彼らのもつ方法論で、臼杵もオランダと繋がり、盛り上がればいいのではないか?  という提案と、そうすることの可能性について、語るために臼杵に来たと言っていいだろう。
 活動報告は、事の発端から始まり、大分の竹田にオランダ人アーティストを長期滞在させて作品を作ってもらったり、うきは市にオランダ人養蜂家に来てもらい活動してもらったり、メンバーがオランダに行ってイベントを企画したり、というものでとても楽しそうであった。

私は彼らの話を聞いていて、普段から持つ疑問が頭をよぎるのを感じて、ちょっとだけ自分の考えや感覚を意見させてもらった。
その疑問は、個人的にはよく人に話すものだが、せっかくなのでここでもはっきり書いておきたい。
私は、わざわざ税金を使ってまで催すべきイベントというのが存在するのか? ということをいつも疑問に思っている。税金を使ったイベントが全てだめということではないが、税金を使うと、「イベントの開催報告のためのイベント」と思わざるをえないものが出没してきて、定型化してそこに居直るものだ。そういうイベントは、イベント運営者目線で物事を運び、街の構成や雰囲気などにはほとんど配慮せず、ただの「開催会場」として街を扱うようになる。予算型だから結果や成果には関心がなく、予算には当然自分たちの報酬も含まれるから、事故なく継続して同じ予算を取るためのイベントとなっていく。
 大分市中央町でいうと、周辺で会話ができなくなるほどの大音量でイベントをやるのは、どう考えてもおかしい。時計屋さんメガネ屋さん、コンビニ、カフェ、などの街の構成構造を考えると、大音量が迷惑になるかもしれないという懸念が湧かないのだろうか。
商店街の小売店のほとんどに往年の勢いはなく、自信を無くしているからか、何も言えないという悲しい構造が透けて見える。それどころかむしろ、イベントを手伝っている商店街の人も見受けられる。残酷な光景だ。

ダンスや音楽はそもそも素晴らしい。そして、ダンスも音楽も好きになればなるほど普通は、鑑賞や演奏の場所を選ぶようになっていくものではないだろうか。

 私だったら、静かで居心地のいい広場にしたい。花壇とベンチとテーブルと、樹木や彫刻があればそれで充分。街のことなど考えないイベントより、草や花がどれだけ人にやさしく街を彩ることか、想像してみてほしい。

 「九州オランダプロジェクト」というのは事業として自分のリスクでやっているのなら、楽しそうで羨ましい限りの話だったが、これを税金でやっているとなると、やっている人たちはオランダに行ったり異文化に触れたり楽しいかもしれないが、その町のほとんどの人にとっては関心を持たれないんじゃないかなと思えた。それは果たして、税金でやるべきことなのだろうか、と。

 例えば私が一番不可解だったのは、文化事業としてオランダ人の画家を竹田に住ませる、という話だ。それは、オランダ人である必要があるだろうか? 芸術や芸術家に触れることすら無条件に文化的だと見做すことは危ういのに、外国人アーティストだったら文化的、というのだとしたらなおさら過ちを重ねてしまうのではないか。

 外国人は、いま地方都市にもそこら中にいる。ちょっと語学を勉強すれば簡単に話しかけることができる。ちょうどこれを書いている今、カモシカには毎日ピエールというフランス人アーティストが遊びに来る。彼は自費でフィールドワークのために大分に来て、私は偶然彼と知り合い、アートや日本文化の話をして仲良くなり、友情をもとに付き合い、その経緯でカモシカでパフォーマンスイベントをしてもらった。
 ピエールはフランスでは割と有名なアーティストで、これもまたカモシカで偶然居合わせた大分市職員の上原さんが、日仏友好と大分市のPRのために、ピエールの大分での活動を、私的に支援している。
 我々3人はみな自分のお金と責任で、自らの人生の充実と、勉強と、好奇心と、敬意と、それぞれの目的のために、自然に結束したのだ。
 創造的な出会いや関係というのは強制したり仕込んだりすることができないからこそ、人生で最も面白い瞬間となりうる。
 以前よりすっと来やすくなったとはいえ、わざわざ極東の島に旅行に来る外国人は、やはり面白い。そんな人に出会えるチャンスが現在ではいくらでもあって、それをどう楽しむか、どうお互いにコミュニケートするか、ということの蓄積が文化なのだと思う。それは全て、自分次第なのだ。
この時代に、とにかく街にオランダ人を連れてきたら文化的だ、というのだとしたら。 江戸時代かな? と思ってしまうのは私だけではないだろう。
 そもそも私は予算型の組織というものが理解できなくて、それよりも利益を自分で作って、前進していく組織や事業が好きだ。利益獲得型のほうが予算型よりも、栄光も敗北も、腐敗も凡庸も、残酷なほど人目に映し出される。矛盾の中でそれぞれの、のたうち回り方、に人間の奥深さを感じられように思っているからだ。世の中で予算型のほうがいいのは、軍隊ぐらいじゃないかというと、おかしいだろうか。

 会場ではもう少し手短に説明した。そして江副さんが、「そういう意見はとても大事だ」と受け止めてくれた。
 江副さんはそれから自分の考えを説明してくれたが、それは「日本の地方創生への予算は何億円?(筆者註 具体的な数字が出たが忘れてしまった)もあり、ほとんど成果の出ないことに費やされている感がある。だったら、少しでも無駄にならないように僕らがやってやろうじゃないか」というものだ。そういう気概で臨んでいるそうだ。

 そもそもの存在意義の話から、少し論点が変わっている気もしたが、江副さんのスタンスはわからないでもなかった。問題の根が深いと簡単には状況は変えられない、だから、いまできる最善のことをやろう、ということだろう。それで注目される成果を出し、こうしてバス・ヴァルクスさんを東京から臼杵に誘いだしてくれるのだから、立派である。公共事業の門外漢である私にも、江副さんの真剣なハートは確かに伝わるものがあった。
 

 私は、街を盛り上げたいとか、賑わいを作りたいとか、思わない。どちらかというと静かな町で、自分の力のできることを粛々と続けて、充実して暮らしたい。
街というのは人と、お店や仕事の集合体のことだろう。それを理解せずにいきなり街を作ろういきり立つのは、森を作ろうと叫びまわって木を一本も埋めようとはしないのと似ている。

 人間というのは本当にわからないもので、「悪への道は善意で敷き詰められているのだ」と言ったのはドストエフスキーだったか。恵の聖母の家で感じたように、宗教も、その原初からずっと、つらい生に救いを見出し、悲しいことや苦しいことに立ち向かっていうための切実な存在であるはずだ。

(続)

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