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障がい者noterとして、僕が気になること

 僕が過ごしている現実の世界で、職員は精神治療の発展のために少しでも力になりたいと思っている。

 デイケアの仲間は、本音と建前を使い分けて、自己表現を磨いていた。


 僕の周囲の人々は、世界が変化していく事を望んでいたし、それは社会の中で求められる事に応えようとする優しさでもあった。

 人々の願いが、家族の前では、穏やかな日常と平穏を望むことも他人の生きる道であった。


 現実の世界では、社会と切り離された常識が僕達を支配していたけど、それは精神医療の理想の姿で、noteのクリエイターの人が日常、体験する社会とは全く重ならないものだ。

 僕は、デイケアを離れて実際の世の中で働いた事があるが、とても悔しい事ばかりの繰り返しで、周囲の期待に応えることは出来なかった。


 現実の世界で主人公の僕は、職員やデイケアの仲間を愛しながら、50才を迎えるに当たり、これからどの様に生きていく方法を模索していた。

 職員やデイケアの仲間は、ヒーローや負け犬を選択することなく、自分らしい表現で生きる道を決定した。



 僕の中にどういう核心があるのか?

 例えば他人を信頼する事の難しさだったり、僕の心持ちの中にある障がいだったりが自信の無さとして露呈する。

 ある方は弱点が才能だという、思考の変換をして励ましてくれるが、僕の黒歴史を払拭することは出来ない。


 僕の中にある核心は、無言でいると、対人関係を悪化していくものだった。

 僕の心持ちにあるのは、デイケア職員の声掛けに感謝しているという事だった。


 障がい者noterとして、僕が気になることは、僕達を肯定してくれる言葉が見つからない事だ。

 それは、きっと障がいと向き合う自分を嫌になっているのだと思う。

 だから、他人を見限らなけねばならない現実があるのだと思う。

 現実の世界を乗り越えていく為に、どうして良いのか分からない。


 僕を良い状態にする為に、他人を傷つけてしまう。

 救いは変わろうとする思いがある事である。

 本質的な自分への自信のなさは変わらないのだけれど。

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