なんというか、くだらん

前回のエントリ、

バカ差別の差別性(note.mu/tablesalt/n/nd3a9184785ec)に対して、ちだいさんから「反論」(note.mu/chidaism/n/n6fde81bcb6e4)があったようだ。


まず最初に不思議なのは、「なぜそれに関して通知もしてこないで満足できるのなら、ツイキャスにわたしが参加することをあそこまで執拗に求め続けたんだろうということだが、それは次のエントリに別にまとめることにする。


そしてエントリの内容だが。

藁人形のオンパレードである。

とりあえず、頭からつっこんでいくことにする。


まず、

「バカにバカというのはレイシズムでもなんでもない」というツイートを見て「偏差値が低いから嘲笑してよい」「バカにバカというのはレイシズムでもなんでもない」というツイートを見て「偏差値が低いから嘲笑してよい」と言っているように感じてしまうのだとしたら、それはもしかして「学歴コンプレックス」をこじらせている可能性があります。

云々という点に関して。


「バカにバカというのはレイシズムでもなんでもない」というのは、こちらのツイートである。

ここで引用されているのは下のツイート。

ポンコシ人間氏の「バカにバカという」はKYAN氏のツイートでいう「偏差値低いってきめつけ」「差別」に対応する。

そしてここで@MARINA氏が引用しているのが、こちらのちだいさんのツイートである。

ここへ至るまでの文脈も当然確認した上で(文末 参照のこと)、わたしはこのツイートを『「偏差値が低いから嘲笑している」のはこちらのツイート』だとして紹介した。

実際にこのツイートを読んでみると、偏差値の低い人間及びネトウヨへの嘲笑など可愛いもので、幸福の科学とその信者を殴りに行っていることがわかる。
公称1200万だかの幸福の科学の信者は、かなり保守的に見積もっても国内に数十万いると考えていいだろう。
ちだいさんは自分が、数十万、下手すると数百万という会ったこともない人たちを、「幸福の科学の信者」だからというだけで踏みつけたということをどこまで理解してるんだろう?
一体どこに、そんな事をする必要性があったんだろうか。


それに対するちだいさんの「反論」が、こちらである。


「バカにバカというのはレイシズムでもなんでもない」とツイートした人に対し、この「In Need of a Break」というアカウントのオジサンが「当然、人種で差別しているわけではないからレイシズムではないけれど、『偏差値が低いから嘲笑してよい』というならそれは差別だとしか言いようがない」とコメントしてみたという話から始まります。僕に対する批判ではないので、そのツイートを人がどう思ったのかは知りませんが、僕だったらきっとこう思います。「何言っちゃってるんだろう、コイツはバカなのかな?」です。
"「バカにバカというのはレイシズムでもなんでもない=偏差値が低いから嘲笑してよい」"

どんな力技を使ったら、こんな方程式が作れるのでしょうか。「バカにバカというのはレイシズムでもなんでもない」というツイートを見て、「偏差値が低いから嘲笑してよい」と言っているように感じてしまうのだとしたら、それはもしかして「学歴コンプレックス」をこじらせている可能性があります。誰もあなたの話なんてしていないのに「今、私の悪口を言っていませんでしたか?」みたいなことになっているので、一旦、気持ちを落ち着かせましょう。この2つの話は全然つながっていません。それに、そもそも人間を「偏差値だけ」で評価することなんてできるでしょうか。大谷翔平選手を「高卒だから」と言って笑っているオジサンがいたとしたら、そいつは「勉強ができる」こと以外に何の取り柄のない、悲しいオジサンでしかありません。


その「力技」はたぶん、「引用されてるツイートを開いて文脈を確認する」という行為のことだろう。「こいつはバカかな?」「いったいどんな力技を使ったらこんな方程式が作れるのか」「学歴コンプレックスをこじらせている可能性が」と、思い込み放題言いたいの中傷を垂れ流すまえに、一度確認することをお勧めする。


2.

そこから、「そもそも『バカ』とは何なのか?」「麻生太郎も、福田事務次官も、米山隆一知事も「バカ」である」というセクションを設けて、屏風に描いた虎との独り相撲が続く。

「バカ」という言葉は「勉強ができない」という意味だけに用いられる言葉ではなく、もっと広く使われていることを知るべきです。
偏差値が高ければ何でも許されるわけではないし、偏差値が低いからといって人間的に終わっているわけでもない。「バカ」というのは、それだけ汎用性の高い言葉なのです。

と、「なんで『バカ』という言葉を見て『偏差値』のことだと思い込んだのか」と全力で否定するちだいさんだが突然、

「偏差値の低い人を嘲笑している」と指摘されたのは自分のツイートであったことを思い出したのか、以下のような「反省の意」を表明する。

「よほど幸福の科学が公開した動画が都合悪いんだな」とツイートされたので、まったく都合悪くなんかないどころか、「幸福の科学」の動画を重宝しているのは幸福の科学の信者、もしくはネトウヨのオジサンだけである言いたかったのです。その際に僕が「偏差値の低いネトウヨ」と表現したばっかりに、学歴差別だと感じ取られてしまったようです。今になって思えば、読解力がなかったり、あるいは学歴コンプレックスを抱いている人たちに対して、少し思いやりに欠けた表現をしてしまったという反省はあります。「頭の悪いネトウヨ」と書いた方が柔らかな表現だったと思いますが、表現にエッジを立て、「偏差値の低いネトウヨ」と書いてしまったことで、このたびの面倒臭い展開を生んでしまったので、今後はなるべく優しい表現をしていくことも大切だと思いました。

のだが、その直後に今度はわたしが前のエントリで以下のような形

ちだいさんet al.(この一連のツイートにおいてちだいさんに賛同しているらしい人々) の考え方としてはだいたい…(中略・リスト)…だと見受けられる。

で提示したリストを、中身だけ以下のように紹介し、「批判」しはじめる。

しかし、「脳内変換によって間違った解釈をされてしまったもの」に関しては、僕はもうどうしたらいいのか分かりません。僕のツイートを見た「In Need of a Break」さんの解釈は以下のとおり
あのツイートから、このように解釈をして、批判していらっしゃるのです。
なにしろ、②、③、⑤は「In Need of a Break」さんの脳内変換によって生み出されたものなので、誰もそんなものに賛同していないからです。もう「石原さとみちゃんが好きだ」と言っただけで、「石原さとみが好きだということは、石原さとみとキスしたり、セックスしたいんだな。ってことは、おっぱいも揉みたいのだな。福田事務次官と同じだな。石原さとみのおっぱい揉みたいなんて言うのは、けしからん!」と言われているに等しいです。脳内変換で勝手に置き換えられて批判されるなんて、めちゃくちゃ地獄なんですけど!

「脳内変換で勝手に置き換えられて批判されるなんて、めちゃくちゃ地獄なんですけど!」という言葉を、まずはそっくりお返ししておこう。


3.

この先延々とつっこみを書いたのだが、ただただ長くなるのでばっさりカットすることにする。

わたしが延々と三大宗教を出してうんたら語ったのは、「幸福の科学みたいな悪質な宗教に騙されて信じてしまう人の自己責任だから、幸福の科学を批判するときに信者や信仰も積極的に侮辱・嘲笑しても構わない」という考え方がなぜ間違ってると思うか(三大宗教でも、教団の運営、教義ともにおかしい事なんかたくさんあるだろうと)である。

だから人の信仰はそれだけで踏みにじるべきのないものだし、だから宗教団体の批判に信者を巻き添えにすべきではないという話をした。人の信仰や宗教的探求を、教義の内包する論理的矛盾に気付いたり、教団の運営を客観的に評価するような総合的知的能力(を「偏差値」と呼んだ)で評価するのもよくないという話をした。

知的能力の発達に関わる要因や環境は個人差が激しいこともあり、他者がそのような能力について安直な思い込みで判定を下したり、そうした相手を社会的議論を排除するようなこともよくないという話もした。

そういう話をするのに以下のような対話を題材にとるにあたって、一応結果的にメインで批判が集中したちだいさんには一言連絡ぐらい入れるのが筋だろうと考えたのがどうも余計だったようだ。




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