リスタート

ひとつのことに、みんなで夢中になって取り組むことはとても幸せでした。

崩れる自信

「こうすればよかった」「あれはやらなければよかった」のような後悔はないです。「やってしまったなあ」とあとで感じることはたくさんありましたが、その後にしっかり反省して、次は起こさないようにして、本人や別の誰かに還元していけば、自分の気持ちは保つことができました。

また、働いているときは(少なくとも、その時持っている情報の中では)合理的な意思決定をし続けられたと思っています。けれども、夢中になるものを失うと、頭の中に「(得体の知れない何かに)勝ちたい」という感情の塊がときどきやってきて、それの邪魔をしてきます。邪念です。意外でした。

焦りも生まれました。夢中になっているときは気にならないのですが、ふと頭を上げると、同年代には(社会的にも金銭的にも)成功している人たちがたくさんいて、劣等感で自信がからっぽになりそうになります。それを防ごうと、紙に年齢の数直線を引いて皮算用をして安心しようとします。ひどい気休めです。

今までもこういうグラツキはあったと思うのですが、崩れないようにみんなが自分の自信を保ってくれていたんだろうな、と感じています。

最初のきっかけ、次のきっかけ

別に、何かをはじめるきっかけはなんでも良いと思います。野心や反骨心がそれでも良いと思います。むしろ、それからスタートする人がほとんどかもしれません。自分も飛び込んだときはそうでした。

でも、進んでいくうちに変わってきます。その先には何もないことに気づくんです。例えば、何かを達成した後のビールは最高においしいですが、それは 280 円で十分だと気づきます。強そうな役職名を得ることで自尊心は一時的に満たされますが、長くは続きません。

それよりも、ユーザーやクライアントに価値提供をして感謝されたり、メンバーが成長して成果を出したり、ステークホルダーと達成の喜びを分かち合ったりすることで満たされていくのです。

結局のところ、人に必要とされたいんです。だから、もっと人の役に立ちたい。そうすることでもっと満たされたい。もちろんこれはエゴです。エゴでいいと思っています。だって、人生を楽しむために生きているんだから。

だからこそ、肉食的な気持ちに支配されそうになっている自分に危機感を感じていました。はじめのきっかけならまだしも、次のきっかけとしては不適切だろうと。

必要とされる立ち位置

それでも、環境の変化を少しずつ受け入れて、失っていた良い習慣を取り戻していくと、だんだんと余裕がもどってきます。その余裕で、周りのスタートアップが取り組んでいることをひとつひとつみていくと、虚ろな気持ちでいる自分がだんだんと恥ずかしくなり、純粋に感心したり尊敬の念を抱くようになります。

すごいと思うんです。理由はどうあれ、この資本主義のルールの中で起業という非合理性の塊をトライするのは。当事者以外、それより踏み込んだ評価はできないと思うんです。

それぞれが得意な領域をやったらいいと思います。原体験にこだわり続けることも素晴らしいことだと思うのですが、それをせずに必要とされるところで価値提供をするのもいいんじゃないかなと思っています(と思うようになりました)。

自分は、今のうねりの中で、自分が必要とされる立ち位置を見つけて、課題解決をしていこうと思っています。

ひとつのことに、みんなで夢中になって取り組むことはとても幸せでした。だからもう一度やりたい。

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tachiba

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