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喉の渇きは癒せてもココロの渇きが癒せない


こういう良くあるキャッチコピーを見て

『寒い』

と思うような人間だった。


周りが聴いている流行りの恋愛ソングを聞いても

『歌詞には共感できないけど、最近の子はこういうのが好きなのね』

と、どこか1歩引いてみていたりした。


教室の端で、昨日のアニメについて大声で語るオタクも

僕の目には眩しく思えた。


振り返ると僕は

何かを心から好きになった事が無かった。


何かを心から嫌う事も無かった。



僕にはココロが無かった。



正確に言うと、ココロを持つ事を放棄していた。


負の感情に晒されて、傷つくことから逃げ続けていた。



毎日死にたいと思っていた中学生のある日


僕の感情のスイッチは壊れてしまった。



世界の


色が

温度が

味が

音が

手触りが


ぼやけるようになった。



頑張るだけでは報われない事もあるんだと。


悟った顔で、変に冷めてしまった自分がいた。



それからはただひたすらに
人と向き合うことから逃げてきた。


めんどくさいという感情にだけは敏感だった。


振り返ればただ逃げ続けていただけの道が


自分には上手くいっているように思えていた。


そのままボーッとしていると
気づけば


虚しいだけの人生であるように思えた。


就職活動はそのことに気づかせていただいた。


僕にとっては人生の転機だった。


再起の好機でもあった。



就職活動なんかについてはまた別の機会に話すとして


(中略)



生ける屍のニート同然だった自分が


気づいたらTwitter経由で採用をして頂いた。


蓋をゆっくり開けてみると

法人様に対してのお仕事だった。


それまで相手の気持ちなんてろくに考えずに


生きてきてしまった自分にとって


生きてこれてしまった自分にとって


そのお仕事はとても大変なように思えた。


飲み会の席で

『お前は感情で将来苦労するぞ』

とある人に言われた。



その言葉の意味が今は痛いほど分かる。


クライアント様に対して興味を持つことが出来ない。
クライアント様の魅力を腹落ちさせることが出来ない。
自分の意見を相手にぶつけることが出来ない。
相手に配慮した文章を書くことが出来ない。


このnoteなんてその典型だ。


僕の事を知らない人からしたら

『知るかボケが。しばくぞ』

と言われかねない内容である。


そう、今僕の目の前には出来ないことで溢れている。


当然と言えば当然。


あってしかるべき結果。


そもそも既に出来ることをやったって面白くねぇーじゃん。


といった思考で捉えた方がいいことは、頭では理解出来ても感覚が追いつかなかった。



ここまでがこのnoteの前段



さあ、やっとだ。


今回の本題に入ろう。


有難いことに23歳の誕生日を迎えた。


LINEで繋がっていた学生時代の友達から、一通も、何の反応もないというサプライズ付きだけど


何はどうあれ23歳になった。


なってしまった。


学生気分で甘えていればその場しのぎになる年齢ではなくなってしまった。


社会人としての自覚を持たなければならない年齢になってしまった。


仕事が全くできない自分と向き合わなければならない年齢になってしまった。




そしてこの前、飲み会で
誕生日ケーキをお皿から滑り落としながら


「23歳の抱負は?」


と聞かれた。


僕は未来の事を考えるのが苦手だ。

自分にどこか期待すぎてしまう節がある。


理想上の自分と現実の自分にいつも苦しめられきた。


今は尚更、今を生きるのに必死だ。


気を抜いたら橋から足を踏み外して、奈落の底に落ちてしまいそうな危うさがある。


冬の雪山を登っているような感覚がある。

足は重たく、目の前の視界は有難いことに不良

空気が薄く息苦しい、頭の働きも弱まっている。


途中で下山していくメンバーも見てきた。

でも、そんなメンバーにも頂上の景色を見せてあげたくて1歩ずつ前に進んでいる。


んー、まぁそんな感じ。



だから、僕はその場で考えてみた。



23歳の抱負


今僕に1番足りないもの


抽象化して上流にあるのは何か


それが『感情』だった。


感情は欲望と言い替えてもいいかもしれない。


欲望があって感情が生まれる


感情があって、センスが生まれる。


センスがあって、思いやりが生まれる。


だから、僕はこれから1年で感情を取り戻す。


リハビリ期間に入る。


自分と周りの

ココロの渇きを癒す為に。


サポートしていただいたお金は中の人のマカロン代になります。