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愛の視点で見て、受け取るということ

こんにちは!
カウンセラー見習いの橘奈緒美です!

先日のお弟子講座では、一日目の罪悪感祭りに続き、二日目の講座での「受け取る」実習でも、さらに苦手な部分に光が当てられることになりました。

一日目の罪悪感にフォーカスしたデモセッションの様子は、前記事でまとめています。

二日目は、仕事としてカウンセリングを行っていく際に必要な知識や心得を学びますが、今回は特に「愛のあるカウンセリング」とは何か?というテーマで、心がかなり揺さぶられました。

すべての問題を愛の視点からみるとは、どういうことか

虐待や暴力、病気やハラスメントなど、自分ではどうしようもなかった要因で辛く悲しい思いをしてきた人に対して、その出来事を愛や才能の物語として見るということを学びました。

すべての問題を愛の視点からみることができると言われたら、綺麗事のように思うでしょうか。

私も最初は、聞くのも語るのも辛いような悲惨な状況に置かれている人に対して、「愛の物語として考える」ことなんてできるんだろうか、と疑問に思っていました。

死にゆく人や深く傷ついている人に「あなたの人生は誰かを救った」「その人生にはギフトがあった」と伝えることは救いになるのか?

親に薬物中毒にされてしまった子ども、戦争で子どもをなくした親、暴力で一生治らない傷や障害を負ってしまった人にもそんなこと言えるの?という思いが頭をよぎりました。

でも、親のせいでエイズになった子どもの話など、いくつかの事例を聞いていく中で、子どもはどんな状況に置かれていようが、どんなにひどい親だと世間が言おうが、親を愛する気持ちは根底からはなくならないこと。
そしてその行動の原動力は、親を救いたいという一心なのだということは、理解できました。

これはたとえ、表面的にはひどく憎んだり恨んだりしていても、親を捨てるような気がしてなかなか自立できなかったり、親と同じようなパートナーを選んでしまうという人が多いということからも理解できます。

さらに加害者が他人の場合は、家族を救うための行為以上に、「人を救いたい」という広い視野で見ると、同じことが言えるのかもしれません。

それはもしかしたら、世間や家族、本人も気づかないくらいの大きな愛で、大きな規模で、たくさんの人を救った出来事なのかもしれません。

病院や戦地など、命の現場で生きている人たちは、毎日そういう場面を見るのでしょうが、そういう人たちだけでなく、今目の前にいる人こそが誰かを救うために地上に現れたと考えたら、すべての人の問題は確かに、愛の視点から見ることができるのかな、と思いました。

今、私の理解というか、想像の及ぶ範囲ではここまでです。

それ以上はまだ私の心が追いついていないというか、私自身が感情と繋がりきれていないので、これからカウンセリングを行ったり、受けたりしていく中で、腑に落ちていくのかなと思っています。

あなたもすでに誰かを救っている

私達は目に見える形で「この人にこういう幸せを与えたい」と思いがちです。

でも、実際は自分の思った通りの幸せを与えられないことも多いので、「私では幸せに出来なかった」「救えなかった」と思ってしまうんですよね。

例えば、家族を幸せにしたいから仕事や家事を頑張っているのに、自分が無理をすることでストレスをためて、身体を壊してしまう。
イライラをぶつけて、家庭内の空気が悪くなったり、関係が悪くなってしまう。

そういうことって本当によくあることだと思います。
私自身も、「自分の思ったやり方で両親を救えなかったから、自分を許そうとしていない」と師匠に指摘されました。

でも本当は、みんな自分なりのやり方でそのときのベストは尽くしていたし、子どもは見返りも求めず、打算もなく、親に愛してもらうために精一杯頑張ったはずです。

それがうまく行かない(と思いこんでいる)ので、いつの間にか罪悪感を溜め込んで、自分を責める理由にしていってしまう。

そうやって溜め込んだ罪悪感で蓋をして、もともと持っていた愛や自分らしさは心の奥深くに押し込めて、抑え込んでしまうのかもしれません。

だから、カウンセリングでは悲しみや寂しさ、罪悪感といったネガティブな感情を扱うよりも、その感情の下に必ずある、「埋もれてしまった愛のエネルギーを使うことで、安全に問題にアプローチしていく」というのが、愛のあるカウンセリングなのだと思います。

自分の感情に蓋をして来た私には、「ぜひそうしていきたい!自分のネガティブな感情にアクセスするのは、めちゃくちゃ怖いから!」という思いが湧き上がりました。

どうやって愛に光を当てていくのか?

さて、その埋もれた愛を掘り起こして光を当てるというところで必要になるのが、「自分の価値・魅力を受け取る」ということ。

自分なりに「誰かの役に立ち、救うことが出来た」「頑張った」「愛を与えられた」ということを受け取ることができれば、自分の身に起きた辛い「事実」を愛の物語という「真実」に変えていくことができる。

ということで、実習では、お弟子仲間から集中砲火のように自分の価値や魅力の言葉を浴びせられ、ただひたすら黙って聴き、受け取るというワークを行いました。

これはもう私にとっても、多分お弟子仲間の半数位の人にとっても(もっと?)、かなりムズムズする時間だったはず。

私も「うわぁ!もういい!私そんないいもんじゃない!」とのけぞりながら聞いていました。
ずっと受け取り拒否をしてきたから、そうそうすんなり受け取れないんですよね。

でもその後の個人でのカウンセリング実習でも、お弟子仲間が価値・魅力をたくさん伝えてくれるので、拒否するのが逆に申し訳なくなってくるんです。

「目標を決められなくてもハードルを軽々と越えて来たのがすごい」
「もう十分努力してきたよ、頑張ったね」
「本当にエネルギーがない人なら人生を終わらせる人も居たかも。抑えてるだけで、エネルギーは大きいんだよ」

みんな、人の価値や魅力を見つけて伝えるのが本当にうまいんですよね。
相手が受け取りやすい言葉で伝えたい、私も見習いたいと、心から思いました。

それでも癖で「いや、そんなことなくて・・」とやってしまう私に、「とりあえず納得してなくてもいいから、紙に書いて毎日眺めたら?」という提案をくれた仲間もいました笑

そんな風に相手が受け取れるようになる練習のお手伝いをするのもまさに「愛のあるカウンセリング」ですよね。
私自身が練習をするのと同時に、他の人にも同じようにしていきたいと思います。

自分がしてほしいと思うことを相手にもする、というのは一番基本的な愛情表現ですもんね。
日々鍛錬です!(何かと修行にしたがるこれも癖)


読んでいただき、ありがとうございました!

橘奈緒美でした!


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