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立庭和奈のこの言葉に響きあり 8

 虎は死して皮を留め人は死して名を残す 虎や豹などの動物はその死後に役に立つ美しい毛皮を残し、それを利用する人々に恩恵を与えることとなる。人は生き様が美しかったり世の中に貢献をすれば、死んだのちにも名が語られ、その功績が世の中を潤すことになる。東大寺の大仏造立の勧進活動を行ったとされる、奈良時代の行基菩薩が残した言葉とされています。虎は毛皮という実態を伴う物をこの世に残していくのに対して、人は時として目には見えない功績をこの世に残して死んでいく。そういう意味にもとれる言葉ですね。しかしそこのところに、ご臨終間際の行基菩薩は知っていたのか知らずにいたのかわかりませんが、この世を生きる私たちに大きな救いとなる鍵が残されているのです。

 虎や豹などの動物は、生れながらにして美しい毛皮を我が身に持ち合わせており、死んでしまえば自動的にそれを利用する人たちに重宝がられます。(この場合動物愛護の観点は別ですよ。この言葉が生まれた時代背景を考えてください。)しかしながら人というものは、生れながらに恵まれた境遇の人もいれば、反面ハンディだらけの人、もしくはそのどちらでもない人と、置かれた状況は人それぞれです。そうするとこの言葉のように、人が後世まで語り継がれるような人物になるためには、虎が美しい毛皮をもともと持って生まれてきているように、何かしらの恵まれた資質や才能を、持って生まれてこなければ無理なのでしょうか。

 さあここがポイントですが、その答えはどちらでもありません。その人の資質に左右されるわけではないのです。生れながらに特別な才能がある人、もともと財力に恵まれた人、親や親戚の縁故で恵まれた地位にある人、それだけでは名を残すような人物になることはできないのです。もちろんそれらを利用すればよいのですが、虎が生れながらに皮を残すように、人は生れながらには名を残すことはできません。生れながらの資質ではなく、そう思うこと、そのような人生を歩もうとすること。そのことによって初めてスタートラインに立つことが出来るのです。

 ですからこの冒頭の言葉は次のようにも解釈できることになります。「虎は生れながらにして美しい毛皮を持ち合わせて、死んでしまえばそれだけの価値を残すことが出来る。しかしそれまで。人は生れながらに恵まれた人、そうでない人様々にしても、心がけ次第で世の中に名前が残るような人生を送ることが出来る。」人が残すのは「名」であるという形而上学的な指摘、今でいえばバーチャルなところに価値を見出した行基菩薩様、さすがですね。この言葉の本質的な意味合いを知った人は、誰しもそのスタートラインに立つことが出来るのです。

 

いつの世も 人の出会いは ゆくりなく 見えぬ糸にて 繫がれしか