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Net De 連想コラム「松本人志~落語とリラクゼーション~上方嫌い「ぜいろく」~大阪万博~タモリ」

◆松本人志

 わたしは松本人志と同い年である。彼は今渦中の人で、裁判に注力するためにしばらく芸能活動を休止するらしい。

 最初この事件のことを聞いたとき、松本本人は「まったく記憶にない」と記者に答えていたことから、そもそも高級スイートルームでの合コンがあったかどうかも怪しいと思っていた。

 しかし女性を連れてきたというスピードワゴンの小沢が、その女性とのやりとりを記録したラインを公開したために、その合コンが確かに8年前に行われたことが明白になった。

 もう、これだけでアウトでしょw

小沢君はこの件について何も話していないらしいが、少なくとも、そこには松本氏はいなかったとはいっていない。

 「俺の子供産め」と言っていなくても、全裸でキスを強要していなくても、そして日本の婚姻制度に不服を言い募っていなくても、だめです。なにを言われても仕方がない。事実関係がどうだ、とか、合意があったかなかったとか、そんなことは関係がないとわたしは思う。

 だって52ですよ、8年前って。言い訳きかないです。いい年した地位のある男が、女性を部屋に引き入れて時間を過ごすだけで、何を言われるかわからない。言われたら認めるしかない。それが世間です。おかしいですよ、確かに。でも、世間のルールは天下の松本にも従えというのです。

 その世間のルールを利用して、文春は遠慮なく彼を「権力を振り回す横暴な野郎」に仕立て上げ、周囲が平気で悪口が言えるようにした。

 しかし本気で裁判で勝つつもりなのだろうか。本当に「真実」が明らかになるとおもっているのだろうか。

 だれか教えてあげたらいいのに。でも、何をいってもきかないんだろうな。

 松本という人はかなり子供っぽいところもあるらしく、アメリカ人の5割が日本への原爆投下は間違っていなかったとしていることに対し、号泣しながら憤っていた。

 そのうえ、9,11のアメリカの被害に対しても、「こっちは原爆2発落とされとんねん」なんてことを言っている。

 原爆投下が改めて犯罪として裁かれることはないし、戦勝国の国民はそんなものだと思う。ましてやテロ被害と原爆の被害をごちゃまぜにするなんて、ガキでしかない。純粋だといえばそれまでだけどね。

 その純粋さをそのままに、裁判を戦おうというのだろうか。真実を賭けて。そして理不尽な結果になったら、「ちょっとまてとぉっ」とアメリカ国民に憤ったように叫ぶのだろうか。

 ともあれ松本人志は、あと100年は出てこないお笑い界のスーパースターであり、表現者である。

 一人の芸人としてのパフォーマンスだけとっても、あの軽妙なボケっぷりはすごい。もうこれだけでも「大師匠」として君臨できる。

 でも彼はそれだけじゃない。さまざまなキャラを発明したクリエイターであり、これは、志村けんにも負けない実績がある。さらにまったく新しい切り口の番組を構成する才能もあり、IPPONグランプリなんていままでどこにもなかったものを作り出している。

 IPPONグランプリは、昔彼がやっていた「一人ごっつ」からの派生版だけど、見事にメジャー番組に仕立て上げた。音楽では、コンビとして世界の坂本龍一や小室哲哉とコラボしてとんでもない関西弁ラップを発表している。最近では何人もの芸人を集めて、コンプラ無視のシンプルなお笑い番組を作り、プロデューサー的手腕も見せつけた。

 正直いうと裁判なんかで時間を浪費してほしくない。もうテレビなんか捨てて、映画とネット配信で、自由にギャグを飛ばしていい作品を作ってもらいたい。天才も時間には勝てないのだ。

◆落語とリラクゼーション

 今回の騒動を知る以前に、松本人志が落語を毎晩聞いているということを知った。すきなのは桂枝雀と立川志の輔だという。子供のころからの習慣だそうだ。

 落語は演目によってはかなり騒がしいものもあるが、なぜかリラクゼーションになるという。神経の高ぶりが抑えられるようだ。

 桂枝雀という人は、かなり破天荒なキャラクターを噺の中に登場させて、客を魅了した。はっきりいってやかましいときがあるが、なぜか心静かに聞いていられた。枝雀は新作はやらなかったけど、噺し方がこれまでの落語の枠からはみ出ていて、おもしろかった。志の輔は古典もやるが、新作もやる。松本はたぶん従来の古典落語にはない新しさが好きなのかもしれない。

 枝雀とは、子供のころに家の近所でよく見かけた。ベビーカーに赤ん坊を乗せて、ぶつぶつ、噺を繰りながら歩いていた。少し後をつけて歩いたことはあったけど、すぐに飽きてしまった。まさかその人が、後年、自死するなんてと、驚いた。

 関東のほうはよく知らないが、わたしが子供のころの関西のテレビでは、漫才なども含め演芸番組がしょっちゅう放映されていて、土曜日の午後などは、吉本や松竹の番組で、漫才に交じって、落語が上演されていた。だから、小学生や中学生の時代でも、好きな落語家について友達と話すことも多かった。

 落語の話ではないけど・・・

 たぶん、松本氏も同じような体験をしていたに違いない。小学校のころ土曜日、テレビをつけるといつものようにお笑い番組が流れてきて、女の子の漫才コンビが出てきた。期待をしないで見てると、ものすごい勢いでしやべくり、どんどん笑いをとっていく。なんだこのコンビ・・・とびっくりしてると、名前が出てきた。「海原千里・万里」とあった。

 海原千里は後の上沼恵美子だ。M1グランプリで上沼を批判する若手芸人に対して、松本氏は「勉強不足、彼女がどんなにすごかったか知らないの」とコメントしていたと思う。わたしはその通り、と膝を打った。

 同時代にそんなに遠く離れていない場所で少年時代を過ごしたものとして、松本氏の新しい門出を見届けたい。

◆上方嫌い「ぜいろく」

 わたしが落語を長時間聞くようになったのは、10年くらい前からだ。上方よりも江戸のほうを聞いていた。いまもそうだ。上方が嫌いというわけじゃないが、どうしてもそうなってしまう。

 ただいろいろ聞いているうちに、江戸落語では、上方全般をバカにすることがあるのもわかってきて、複雑な気分になる。

 わたしはもう東京に住んで40年になる。いまさら生まれ故郷をコケにされても、何も感じないが、好きな噺家の口から、関西をバカにしたような言いぶりを聞くと、さすがにちょっとショックだW

「ぜいろく」という言葉を知ったのも、立川談志の何かの「まくら」を聞いていてのことだった。「しょせんぜいろく野郎だから」というセリフが耳に残り、調べたら侮蔑語だった。

 談志という人は、表ウラが激しくて、桂三枝(現 桂 文枝)のことなんか、ほめたふりをしているときもあるのに、別の場所では「あいつの新作もなんだかよくわからんね、しょせんぜいろくだから」みたいなことをしゃべっていたのを覚えている。

 談志の弟弟子の柳家小三治も、ぜいろくという言葉は使わないものの、名古屋以西についてはいい印象をもっていないらしい。昔名古屋で江戸前の葛餅を地元の人に勧めたら、えらい剣幕で拒否された話をして「なんだ、あのういろうってのは、にちゃにちゃして食えたもんじゃない」なんていってさかんに悪口を高座ではなしていた。

 小三治は希代の名手だけに「うどんや」なんて演目では、関西のうどんを徹底的にバカにするw

 だいたいあの演目自体が関西人の気持ちを逆なでする噺だ。屋台のそばの掛け声を上手に演じておいて、なべ焼きうどんの掛け声を実にバカにした調子で演じる。

 うどんやがひどい目にあう噺で、さんざんわがままを言う酔っ払いのおやじが、最後までうどんを食べようとせず、主人がいっぱいめしあがってくれといっても「そんなミミズみたいなもの食えるか」といって去っていく。それなのに、なぜか人情噺みたいに客を泣かせる描写もあるから憎らしい。酔っ払いのおやじが、昔なじみの少女のお嫁入の話をして、感極まって涙にむせぶシーンがある。小三治は、また、うどんをばかにしつつ、酔っ払いのじじいを熱演する。

 たぶん、談志も小三治も、上方にはあんまりいい印象は持っていない。小三治なんか、上方落語の重鎮、桂米朝についても、からかうような発言をしている。悪気はないんだろうけどw

 それにひきかえ、彼らにひけをとらない名人、古今亭志ん朝は、箱根の先のほうにも頻繁に出かけ、上方との交流に熱心だった。名古屋の大須演芸場や大阪の道頓堀角座などで落語を披露して、時間をかけて大阪の客に受け入れられていったという。たぶん、上方には埋もれた演目が多く残っているので、そういうものも研究したかったのだろう。

 さすが落語界のプリンスだね。もし志ん朝の「うどんや」があったら聴いてみたい。

◆大阪万博

 松本人志が活動停止となると、大阪万博のアンバサダーは、浜田雅功が単独で担当するのだろうか。

 ダウンタウンの2人は、昔の大阪万博が開かれたとき、7歳だったから、一も二もなくアンバサダーの仕事はうけたに違いない。アメリカ館の月の石を見るために並んだクチだろう。わたしもそうだ。

 北陸での地震があったため、万博の建築で使う資材や人手を復興事業に回せという声もあるらしい。痛いところついてくるなあ。でも、中止はしないと思うなあ。実際開催されてからも、中止しろっていう声は続くような気がするがw

 維新が嫌いという人もそれなりにいるだろうし、うまくいってもらもっては困る人も大勢いるのだろう。わたしは実家が関西にあるけど、万博には行かないと思う。関西と関西以外とで、万博に対する熱気はまったく違うようだ。

 自分が行かないからと言って、万博が失敗すればいいなんてことは思わない。成功したらいいと思う。IR施設もできるそうだから、長期的にみれば、人をたくさん集めるのではないだろうか。ほらUSJだって、できたばかりのころは、TDLのバッタもんみたいに言われてたけど、あとから人気スポットになったじゃない。

◆タモリ

 噺家や落語の演目でも、関西に対する侮蔑意識がでてきたりするし、大阪万博についてどちらかというと、他の地方は冷ややかだ。

 今回の松本事件をきっかけに「関西ってやっぱり・・・」という印象を持つ人が増えているのかもしれない。いやいや、1日30万円くらいの部屋で、女性を呼んで、パーティを開いている「非関西人」は大勢いるんだけどねw

 関西が責められているみたいな感じはするけど、逆もあるんだよね。関西人の江戸嫌い。これは根強いw

 「天皇さんは東京に貸しているだけ、いつか京都にお戻りになる。東京が都だった期間はたかだか400年程度。関西はずっと都だった」とか、本気ではなす同世代の関西人がいて驚いたことがあった。そうまでして、自分たちが正統だといいたいのかととても奇異に感じた。

 すでに故人となっているが、昔、上岡龍太郎という芸人さんがいた。この人は関西ではすでに重鎮で、関西ローカルの番組ならいくつもレギュラーを張っていた。普段は流麗な語り口で番組の司会をするくせに、ゲストに呼んだ芸能リポーターの須藤 甚一郎を「死んだらええねん」といきなり罵倒するようなこともする人だった。

 関西テレビ界の最前線で活躍し、つねにクールな文明批判みたいなことを語る人だったけど、一方で、剣劇みたいな古い芸能が好きで、国定忠治みたいなべたな物語を演じたりする人だった。

 この人は、全国ネットの番組には出ないので有名だったけど「笑っていいとも」のテレホンショッキングに何度か出演している。タモリには興味があったのだろう。

 そのなかで、彼は「東京は民度、文化レベルが低い」「東京は田舎者の集まり」と発言したのを、わたしはライブで見ていた。

 その時の会場の雰囲気はなんとも言えない重苦しいものになったけど、タモリがあくまでおずおずとした調子でこんなことを言ったのを覚えている。

 「わたし、関西の人の話し方を聞いていつも不思議におもってるんだけど、なんであんなに、活舌がいいんですかね。ネクタイって普通にいえばいいのに、『ねぇ、くぅ、たぁ、いぃ』って。あれは何なんですね」

 これを聞いて上岡はあっけにとられた様子で、黙ってしまい、反対に客席からは、笑いが起こった。拍手も聞こえた。

 「俺たちも田舎者だけど、東京にきて民度、文化レベルが低いなんていう、あんたも相当田舎者だろ」

 というセリフをタモリは言い換えたのだと思う。

 わたしはそのときは東京に出てきたばかりのころで、東京の悪口をわめく関西人にへきえきしていた。だから大いに笑った。関西の番組では、上岡氏を言い負かす芸人など皆無だったので、さすがタモリだと思った。

 「東京は民度、文化レベルが低い」「東京は田舎者の集まり」というのは、東京ものが一番よく知ってることなんだよw だから大阪あたりからくる芸人に改めて教えてもらうことはねぇんだよ、と元関西人のわたしはつぶやくのである。

 しかし上岡龍太郎という人は、すごい芸人だった。それは「横山ノックへの弔辞」でわかる。こんな弔辞、聞いたことがない。何度聞いても飽きないし、泣けてしまう。彼の業績はもちろんこれだけではないけど「一世一代の」というのはこういうことを言うのだと思う。タモリの赤塚不二夫への弔辞とはまったく違う種類のものだ。タモリの弔辞が冷えた天然水だとしたら、上岡のはまさに熱湯だ。

 また上岡氏は島田紳助とよくテレビ共演した。笑福亭鶴瓶ともよく共演していたが、なんというか、「先輩、後輩」のようだった。しかし紳助との関係は、番組の中でも「師匠と弟子」だった。

 そして紳助は、松本人志と長い間番組で共演している。この関係も「先輩、後輩」というより、「師匠と弟子」のように見えた。紳助はいま松本にどんな言葉をかけるのだろう。

 上岡氏は、2000年に芸能界を引退した。58歳のときである。ちなみに紳助は55で引退している。

 松本人志について、もう引退するしかないという人もいる。裁判に集中しすぎたら、そうなるかもしれない。

 関西が生んだ天才芸人を、彼の先輩、師匠と同じように、早くリタイアさせるのは、どう考えても残念すぎる。

 ぜいろくにも、意地がある。

(おわり) 文中敬称略。

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