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私の考える「球数制限」

兎にも角にも、野球における球数制限は絶対に必要です。しかしながら、万人にあてはまる具体的な制限の度合いについては特定することは難しいと思います。したがって、多数が納得する最も良い落とし所を見つけることが現時点の優先事項です。

去る9月20日、日本高校野球連盟が、来年のセンバツ大会から「1週間500球以内」「3日続けての登板禁止」という制限の3年間の試行を決めました。

この内容に関しては様々な意見がありますが、ようやく球数制限の規制が始まるということ自体は素晴らしいことだと思います。そして試行期間の終わる3年後に更に良い規制に進化して欲しいと願っています。

そもそも私が今の仕事を目指したのは、私自身が肩の故障で投手生命を絶たれたことがキッカケです。怪我で野球を辞める選手を少なくできる職種はないだろうか?と考えたからです。

私の場合は、高校入学前の段階で既に肩を痛めていました。その時の記憶は今でもハッキリと覚えています。中学3年生の、とある大会で優勝するのですが、一回戦から一人で投げ続けました。

その週末の土曜日の準々決勝を完投し、翌日曜日の第一試合の準決勝も完投しました。さらに、第二試合のもう一つの準決勝の間に「投げ方が悪い」と注意され、なんとその試合が終わるまでサブグラウンドで投げさせられたのです。

当然のように、その直後に行われた決勝戦も完投し、もう完全に肩、肘、指先の感覚は麻痺していました。そしてその日を境に肩肘に痛みを抱え、特に肩の痛みは慢性的に感じるようになったのです。

15歳の子供です。その頃の私に「僕はまだ成長期で成長軟骨が分泌しているのでたくさん投げるのは危険だ」などということは知る由もありません。それは指導者が知っておかなければならないことです。

私は単純に球数制限を取り入れるのも大事だと思いますが、それと同じくらい指導者が子供の成長とはどういうことなのか?を学ぶ機会が必要だと思っています。

先ほどの話の中で、私は準決勝と決勝の間にもサブグラウンドでピッチングを延々とさせられていたと書きましたが、ここでの球数は球数制限の中には入っていません。指導者に少しでも成長期に関する知識があればこうした練習での球数も考えるようになるでしょう。

私たち身体のことを授かる専門家は何百球も投げている子供達を見ると彼らの骨や靭帯の軋む音が聞こえてきそうになります。それは悲痛な叫びです。

皆さんは1998年の夏の甲子園大会を覚えていらっしゃるでしょうか?その大会で、横浜高校の松坂大輔投手は準々決勝のPL学園との試合で延長17回の死闘を一人で250球投げきり、翌日の準決勝で明徳義塾を相手にレフトで出場したのですが、途中から肘のテーピングを自ら剥がし、再びマウンドに上がるシーンが伝説として語られています。

あの試合を私は千葉ロッテ在籍時代、チームバスで選手たちと移動中にテレビで見ていました。そしてあの松坂投手を見て、後方から当時のセーブ王、ブライアン・ウォーレン投手が大声で前の方に座っている私にこう叫びました。「タチ、今すぐ甲子園に電話して止めてやってくれ!」と。

やはりアメリカの環境で育った彼からしたら異常なことだったのでしょう。彼にも私たちが聞こえるような骨や靭帯の軋む音が聞こえたのかもしれません。あのシーン、日本では「素晴らしい!」と絶賛する人が多いのですが、アメリカやスポーツ先進国では「将来のある子供になんてことをさせるんだ!」となるのです。

今回の高野連の判断は一つの大きな進歩ではありますが、高校生の球数を制限するだけではより多くの野球選手は救えません。アメリカのように野球界全体で子供が成人するまで(前回お伝えした骨端線が閉じるまで)を年齢計画で考えることが必要と言えます。次回以降、少しの間、私が考える球数制限を述べていきたいと思います。

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