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偏屈上等。

今朝のBGM


僕はこう。

人のアレコレとか、
人生のアレコレとか、

そういうあやふやで個人差の激しいものを、
「こうだ!」と断定することがあまり好きじゃない。




だけど時々、
例えばこういう文章を書くときとか、
Kindleを出版するときは、
それをしなきゃいけない時があって。

めちゃくちゃドキドキしながら出版する。


それはまぁ、
一種の叩き台とか、人柱とか、偏った思考などと呼ばれるもの。

だけど、
議論の始まりとするための必要悪みたいなもんじゃないかなと思う。
触れた人の感情の「起こりのきっかけ」というか。

そういうものがあってこそ、僕らの言葉というものは、
なんらかの意味を持つはずだ。



そもそも、
誰かが主張する、「偏った思考」が、
社会を面白くする、みたいなところってある。

みんなそれを表立って言わないだけで。



何が言いたいかというと。

物書きというものは、
見方を変えたらお笑い芸人みたいなもんかもしれない、とか。
失礼なことを考えてしまったわけです。



突拍子もないからこそ、それは面白くて。
置きに行くこともスタイルとしては全然アリだけど、
そうじゃない感じはできれば出していきたい、とか。

思ったり、
思わなかったり。



もうね。
過去の常識なんて、
どんどんゴミクズになっていく現代なわけで。


「ものさし」がはちゃめちゃになってるんだから、

その中で何が「自分らしさ」か、なんて。
そんなものもよくわからない。



ひとまず、
飯食って、寝て、なんとか生きていることは普遍の最低限だから、
そんなことにしがみつく朝です。






終わり。
よしなに。


TACK

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