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友寄隆哉の音楽講義:Vol.6:新世代のためのジャズ入門教科書:脱”日本ジャズ統一教会”からの解脱!「2000年:ジャズは、なぜ死んだか?:」2023年版


今年8月に64歳となり、「そろそろ今の内に、何もかも暴露したジャズの入門書を書いておかないといけないなあ」とは!思っていました。

なぜなら、これからジャズを目指す人たちには、大きな声では、言えないのですが、若者の間では、「ジャズはオワコン(終わったコンテンツ)が常識なのに、ジャズ界は、いかにもそうでないかのように振る舞っているからです。
まるで、世界には、全く通用しないスポーツなのに、いかにも世界でも通用する実力のチームのようにアピールばかりするマスコミのようです。
マスコミに踊らされてTVを見たら、なぜか、いつも負けている。
それなのに、もう少しだった、と騒いでる。

あれから、あっと言う間に20年?

実際、私の元にも20代の生徒もやって来ますが、彼らのジャズ趣味は、、特殊なようで、友達は、一人としてジャズに関心がない、というのが彼らを取り巻く現状だそうです。

そんな中、今年(2023年6月)「ブルージャイアント」の映画は、ヒット?した、と言いますが、、

BLUE GIANT - Wikipedia

映画『BLUE GIANT』公式サイト (bluegiant-movie.jp)


私の時代には、1983年に出た小説”キャバレー”があります。

キャバレー (小説) - Wikipedia

栗本 薫(くりもと かおる、1953年2月13日 - 2009年5月26日

栗本薫 - Wikipedia


この小説に感動し、23歳の時に、この小説のテーマを勝手に書きました。

23歳オリジナル:キャバレーCABRET[NO.2](1983 COMPOSITION :TAKAYA TOMOYOSE:TENOR SAX&ELECTRIC GUITAR VERSION. - YouTube


その3年後、この小説は、角川から映画化されました。

キャバレー(邦画 / 1986)の動画視聴 | U-NEXT 31日間無料トライアル (unext.jp)


その時も、別に、私の身の回りには、何も起こりませんでしたが、毎日のジャズ演奏の私の青春時代を応援してくれる曲となりました。

その後、私は、2000年、41歳の時に「ジャズはなぜ死んだか?:日本人はなぜ模倣するのか?」というサイトを立ち上げます。

そこでは、まず、日本人は、なぜ物真似した事を誇らし気に披露するのか、という事を取り上げました。

これは、ロック・ギターの世界でも顕著です。

そっくりに弾いたら大喜びです。

確かに、1970年代当時、ロックギターを弾く、というと、「天国への階段(レッド・ツェッペリン)弾いて!」とか、「哀愁のヨーロッパ(サンタナ)」弾いてから、「ハイウェイスター(ディープ・パーブル)」、「ホテル・カリフォルニア(イーグルス)」と切りがありませんでした。

その体質のまま、ジャズ・ギターも同様でした。
とにかく、そっくりに弾けた人がスターでした。

その点からすると、日本は、コピー譜(曲集)の宝庫でした。

様々なジャズミュージシャンのコピー曲集が出版されました。

私も70年代当時、10代でしたが、様々なミュージシャンのコピー曲集を買いました。

一方、本場、米国では、コピー譜よりも理論書が多く出版されている、と聞き、20代からは、輸入版の理論書もできるだけ取り寄せました。

現在は、確かに「ジャズは、オワコン」と言われていますが、私が、ジャズを始めた頃は、フュージョン・ミュージックが流行っていたので、その流れの中で、「フュージョンやるなら本格的にジャズもできたらいいぞ!」という感じでした。

リーリトナーが、「キャプテン・フィンガーズ」を発表したのは、1977年とあります。リーリトナーのレコード!は、買いまくりました。
1977年は、18歳になる年。

”1970年代半ばに自身のグループ、「ジェントル・ソウツ」を結成、1976年にファースト・アルバム『ファースト・コース』を発表。1977年の『キャプテン・フィンガーズ』で自身初のBillboard 200入りを果たし、アルバム・タイトルはリトナーの愛称となる”

Lee Ritenour & Gentle Thoughts -Captain Fingers- Mt.FUJI '04 - YouTube

リー・リトナー(Lee Ritenour、1952年1月11日 - )

リー・リトナー - Wikipedia


そんな時代に、これまでロックギターとして聴いて来た、ロック・ギタリストのカリスマ、ジェフ・ベックが「ブローバイブロー」を出したのが、1975年。16歳になる年。

J̤e̤f̤f̤ ̤B̤e̤c̤k̤- Blow By Blow (SACD HD Remastered ltd) Full HQ - YouTube

翌年の1976年には、「ワイアード」です。

Jḛf̰f Bec̰k̰-Wirḛd̰ DSD Rem Full Album HQ - YouTube

さらに、その翌年の1977年には、「ワイアード」のライブ版です!

Jeff Beck With The Jan Hammer Group ‎– Live (1977) - YouTube

ジェフ・ベックJeff" Beck1944年6月24日 - 2023年1月10日[1]

ジェフ・ベック - Wikipedia


1976年は、無敵のジャズ・ギタリストの黒人ジャズ・ギタリストのジョージ・ベンソンのアルバム”ブリージン”を出して大ヒットした年です。

Breezin' - YouTube

ジョージ・ベンソンGeorge Benson1943年3月22日 - )

ジョージ・ベンソン - Wikipedia

ジョージ・ベンソンの弟分のガット・ギターの名手、アール・クルーが出て来たのは、1977年。

Earl Klugh - Dr. Macumba(1977) - YouTube

アール・クルーEarl Klugh1953年9月16日 - )

アール・クルー - Wikipedia


「ラリーのように弾いてくれ!」と言われ続けたリーリトナーのスタジオミュージシャン時代の先輩ギタリストのラリー・カールトンが、ついにこのアルバムで世界に認知されたのが、1978年。
ラリーを知れば知るほど、ブルースとジャズギターに関心は行きます。

Room 335 (Long Version) - YouTube

ラリー・カールトン英語: Larry Eugene Carlton、1948年3月2日 - )

”6歳の頃からギターを始め、ハイスクール時代にはブルース・ギタリストのB.B.キングやジャズ・サックス・プレーヤーのジョン・コルトレーンに影響を受け、ジャズを演奏し始める。スリム・エドワーズジョー・パスに師事した”

ラリー・カールトン - Wikipedia


ラリーカールトンを通じて、改めて、ラリーが師事した、というジョーパスを聴くわけです。


Joe Pass - Django - YouTube (1964年)

ジョー・パスJoe Pass1929年1月13日 - 1994年5月23日

ジョー・パス - Wikipedia


John Scofield - Softly as in a morning sunrise - YouTube 1977年


ジョン・スコフィールド
John Scofield1951年12月26日 - )

ジョン・スコフィールド (音楽家) - Wikipedia


1975年~78年は、私は、16歳~19歳

「男だったら、ジャ~ズに賭ける~(銭形平次、主題歌より)」という感じでした。

そっち系のギタリストの方が、むちゃくちゃ上手いわけですから、行かない方がおかしいでしょ!と思ったわけです。


友寄隆哉の音楽講義 VOL.5:私は、こうしてギターを学んだ:Vol.1:ロック&ジャズのピッキング編|トモヨセタカヤ (note.com)


しかし、純粋に、こうした新しいギターの世界に惹かれて入り込んだジャズの世界でしたが、まさか、ジャズの世界が、5000人程度のジャズ・オタクの世界で成り立っている、とは思いもしませんでした。

「こんなのジャズじゃねぇ~」というオタクが君臨していた世界だったんですね。
オタク、というくらいですから、普通の人たちじゃないでよ!

とにかく、みんな異性にモテないのが”オタク”族です。

それで、2000年のホームページ「ジャズは、なぜ死んだか?」になるわけです。

当時、私は、「こんなの豚骨ラーメンじゃね~」というラーメン通の話をしたりしました。
九州の”本場の豚骨ラーメン”は、匂いが強烈です。

「こんな匂いが強烈では、全国には広がらないなあ」と思っていたらからです。(現在、豚骨ラーメンは、全国で大人気ですが、あの強烈な匂いはありません!)

今でもいます。
10年ほど前、日本蕎麦を、女性店主が打つ店が、近所にあったのですが、年輩客が、「女が打ってんのか」と会話していました。
カウンターの中の女性店主にも聞こえたのではないでしょうか。
日本蕎麦に厳しいのでしょうか。
私は、沖縄なので、日本蕎麦の文化を知りませんでしたから、近所にできた、本土出身の女性店主と、その店に訪れた本土、中年男性たちの関係が理解できませんでしたが、ジャズ・オタク族を通じてわかりました。

日本蕎麦通(つう)?

今は、もう、この店はありませんが、、、、。


そんなサイトでしたから、当時、あの、ひろゆきの立ち上げた中傷サイト、2chから数々のスレッドが立ちあがり、私は、批判の対象となりました。
「速く死んだ方がいいバンドマン」というわけです。

今考えると、こうしたジャズ・オタク族に支配されたジャズは、その頃から、すでに”オワコン”だったんですね。

(もちろん、異性にモテる人は、”オタク”ではありません!)

相手は、暇を持て余した、オタク族ですから、暇つぶしの中傷批判対象を見つけて、毎日の投稿に夢中です。

当時も、「職業は、ジャズ・ミュージシャンです!」というと、まず、「有名でもないのに、どうやって食べてるの?」と危惧されましたから、これは、「職業は、金塊堀(ガリンペイロ)」と言うようなものでした。

金塊堀り、ですね。

ガリンペイロ - Wikipedia

落語に出て来る“ガタロ”という職業でもいいわけです。

ガタロ

上方落語の演目『代書』『商売根問』などに登場する商売。川底を網でさらって得た鉄くずや貴金属などを換金して稼ぎを得る自営業を指し、その川さらいの姿が河童を連想させる事から商売の隠語として河童の関西名「河太郎」(がたろ)が当てられた。水泳が得意な人や、頭頂の毛髪が少ない人など、河童を連想させる人物のあだ名として使われることもある。

河童 - Wikipedia

あの2000年のホームページ「ジャズは、なぜ死んだか?」から、現在、23年が経ちました。

しかし、当時、私のホームページ”ジャズはなぜ死んだか?”を知り、通信教育生になった者も50人ほどいました。(現在は、Skypeなどを利用してのオンライン・レッスン中)

このサイトは、2010年にリニューアルし”ALL THA JAZZ….”と名称も変更したりしましたが、現在は、このようになっています。

TAKAYA TOMOYOSE GUITAR LESSON | 沖縄を拠点に活動しているギタリスト友寄隆哉のHP (tomoyosejazz.com)


こうした変遷で、2000年に立ち上げた「ジャズは、なぜ死んだか?」は、2010年に、これまでの様々な記事をリニューアルしたためか、ジャズ界は、再び、私が批判し危惧した事が再発し、現在に至ります。

厳しくダイエットさせていたら痩せていたのに、厳しく管理する人がいなくなったので、またまた、太り出した?、、みたいなものでしょうか、、、。

再び「こんなの豚骨ラーメンじゃねぇ!」「こんなのジャズじゃねぇ!」という世代の復活ですね。

こうした父親の世代の息子が、今度は、父の教えを受け継ぐわけです。

YouTubeでジャズ講義は、盛んですが、ジャズ風BGMなレッスンが人気です。
アドリブしまくるライブ用のジャズではありません。

なぜなら、講師自身が、即興が苦手で、アドリブしまくれないからです。

そのため、何か、ジャズから、すべての毒とエゴを取り去り、誰でも可能な大量生産用ジャズにジャズを仕立て上げての講義ですね。

「それ?BGMジャズじゃない?そんなんでお喋り禁止の人前でのライブなんかできないだろ?ひょっとしたら、お喋りOKの演奏なんか?」というジャズ講義ばかりです。

私は、こうした大量生産型のジャズ教育”日本全国統一ジャズ協会”と呼ぶ事にしました。
講師の模範演奏を聴いても、無個性ですから、そんな講師から学べば、当然、無個性な音楽を弾く人間が、大量生産されるだろう、と思ったわけです。

無個性=大量生産 です。

今の学校教育にも共通していますね。

人畜無害な音楽ができるバンドマンを大量生産して、あちこちのホテルやレストランに送り込みましょう!という、米国ジャズ教育システムが、ついに日本でも主流となりました。

ギターで言えば、”全国ジャズ・ギター統一協会”の発足です。

そうでないと、教育ビジネスにならないんですね。

それは、調理師学校でも、美容楽員でも、音楽大学でも同じです。

誰でもプロにしないといけないわけです。

それが、米国の音楽教育ビジネスです。

米国は、もう”ジャズ演奏”では、儲かりませんから、儲からないものは、あとは、”教育”で稼ぐしかありません。

そうした状況に、洗脳?され、吸い寄せられて、いまだに”留学”、”留学”、洗脳システム・ビジネスです。

昔は、クラシック音楽を学ぶためには、イタリアに留学しないといけなかったわけです。

反田 恭平(そりた きょうへい、1994年9月1日 - )

2021年10月、第18回ショパン国際ピアノコンクールで第2位に入賞[28]。2位はアレクサンダー・ガジェヴと同時受賞であり、同コンクールにおける日本人歴代最高位タイで、内田光子以来51年ぶり2人目

反田恭平 - Wikipedia

今や、米国ジャズ留学は、4年も掛けて、無個性バンドマンを大量に輩出させるわけです。

その就職先は、レストランでのBGM、クラブでのBGMです。

とにかく、BGM、BGMが、大量生産した”バンドマン”の就職先です。

BGMとしては、重宝されますが、案の定、誰が誰か、全く区別がつきません。
(海外の一流ミュージシャンは、すぐに誰かわかりますが、、、)

お喋りしながら聴いている分には、いいのですが、真面目に直視して聴いていると、退屈でたまりません!

当時、私が主張していたのは、なぜ、こうも日本人は、**そっくりさん、というだけで、権威化して、崇められるのか?

というものでした。


戦前は、日本のチャーリー・パーカー、日本のジム・ホール、戦後は、日本のジョン・スコフィールド、日本のパット・メセニーと言った具合です。
しかし、こうした事は、ジャズ界に限りません。

ブルース界で言えば、日本のBBキング、ロック界で言えば、日本のジェフ・ベック、、と言った具合で、それだけで支持されてしまいます。

これでは、最初から、負けているようなものです。

近所では、盗作しても「凄い!」と絶賛され、OKですが、これが、さらに大きなメディアに乗って広まってしまうと、”盗作”と呼ばれてしまうのです。

大人のための作曲入門本|商品一覧|リットーミュージック (rittor-music.co.jp)

私は、本土復帰(祖国復帰1972年5月15日)前の米軍統治下?の沖縄生まれなので、アメリカ人に負けるな、日本人に負けるな!と育った世代です。

そのためか、最初から、日本本土にも米国にも白旗を上げる洗脳教育メソッドが馴染みません。

どんなにレベルの差、体格の差があっても、現役でいる限り、選手である限りは、どんな選手とも闘わないといけません。

WBC決勝戦は大谷翔平の名言からスタートした。「憧れるの、やめましょう」試合前の円陣で【動画】 | ハフポスト NEWS (huffingtonpost.jp)

しかし、まだロックが誕生していない以前の音楽であった、日本の昭和一桁世代のジャズの世界は、かなり事情は違います。

真似される方も、みんな同世代だったのです。

日本のチャーリー・パーカーと言えば、昭和一桁生まれでもある渡辺貞夫氏ですが、チャーリー・パーカーは、渡辺氏の13歳上。

私からすると、39歳上ですから、いまだに、チャーリー・パーカーを尊敬しないといけないとなると、チャーリー・パーカーは、ロックも知らない、レッド・ツェッペリンもディープ・パープルのロックが誕生したのも知らない、ラップが誕生したのも知らないお爺ちゃんだぞ!となるわけです。

これを、いまだに、”ジャズの基本”としているオタク族がいるわけです。
チャーリーは、大正9年の生まれです!

こんなお爺ちゃんが、いまだに”ジャズ”に君臨していて、「これはジャズじゃない!」とジャズ・オタク族は言うわけです。

毎日、デートもなく、暇ですから、批判も激しい。

統計では、ネットで批判するのは、大抵は、40代のエリート・サラリーマンだそうです。
かつての、”ジャズ・オタク”は、今や、さすがに70代、80代ですから、その息子たちの世代でしょうか。

チャーリー・パーカーCharlie Parker Jr. 1920年(大正9年)8月29日 - 1955年3月12日

日本のチャーリーパーカーと言われた、渡辺貞夫氏も、現在、90歳!

渡辺 貞夫(わたなべ さだお、1933年昭和8年〉2月1日 - )

渡辺貞夫 - Wikipedia

しかし、渡辺貞夫氏は、日本に、新しい音楽としてボサノバや、フュージョン音楽を持ち込みましたから、90歳の現在も全国で演奏している、と思えば、日本のアマノテラス大御神が、日本に、ジャズ伝道師として誕生させた、としか思えません。

日本のジャズブームは、1960年代から、渡辺貞夫に始まっています。

”ナベサダ”ブームですね。

その渡辺氏は、ジャズ・オタク族に、いまだに、”ボサノバ”も”フュージョン”も否定され続けながら、現在90歳(2023年9月)に至るわけです。

さすがに、80代、90代のオタク族は、亡くなったと思いますから、その子孫ですね。

こいつらが、、、いや、この人たちが、、いまだに、ジャズ界に君臨してんですね。

しかし、渡辺氏は、ちゃんと米国でも成功していて、名声を得ています。

現在、あの渡辺貞夫氏を批判した世代の子孫が、50代~70代。

アドリブができない現在のビッグバンド部員も、元は、小学校からの鼓笛隊、中高のブラスバンド部出身者ですが、アドリブもできないのに”ジャズ・ミュージシャンと名乗るのか!”と、私もまだ40代、50代の頃は、批判の対象でしたが、彼らは、アドリブ、というものに一切興味がないのに、自分自身を”ジャズ・ミュージシャン”と名乗りたいわけですから、それは、仕方ありません。

友寄隆哉の音楽講義:Vol.3:ジャズ、ロック、ブルースを目指す人、必読!アドリブが効く人、アドリブが苦手な人:ジャズから学ぶ、即興演奏のトレーニング・メソッド(自由に弾く、自由に喋る、自由に書く脳の使|トモヨセタカヤ (note.com)


これから、本講座のnote記事を読んで、ホンモノのジャズを知った若者、小学生たちが「ジャズ・ミュージシャンなら、まず、ハトポッポをアドリブで弾いて見て!」と、今後、彼らと、彼らの子孫に問いかけて見るといいでしょう。

「ごめんなさい、おじさんは、アドリブができないジャズ・ミュージシャンだから」と、ちゃんとその素性を明かしてくれると思います。

その流れの中で、「ごめん、おじさんたちは、ロックやラテン、ジャズの曲を演奏はするけど、それは、譜面があるから吹いているだけで、ロックもラテンもジャズのCDも持っていないんだ!ミュージシャンの名前もよく知らないんだ!」と教えてくれるでしょう。

「聴いた事もないのに、譜面があれば、何でも弾けるの?」と聞く子があれば、自分なりに答えてみるといいです。

「音楽は、譜面さえあれば、何でも弾けるんだよ!」とか、、、ですね。

もしも、こんな意見を言って”音楽”を説いている大人がいるとしたら、残念でなりません。

現在90歳の渡辺貞夫氏を批判していた、同世代の90代の子は、70代、60代

さらにその孫の世代は、40代、30代。20代

「お父さんの言ってた通り、こんなのジャズじゃないぜ!」となるわけです。

渡辺貞夫1933年昭和8年〉2月1日 - )、この世代の日本のジャズ・ミュージシャンは、世界レベルに達し、米国も席巻した者が多くいます。

「上を向いて歩こう」が世界的な全米ヒットとなった作曲家の中村八大氏もジャズ・ミュージシャンです。

中村 八大(なかむら はちだい、1931年昭和6年〉1月20日 - 1992年平成4年〉6月10日)は、日本作曲家ジャズピアニスト

上を向いて歩こう』、『こんにちは赤ちゃん』、『遠くへ行きたい』、『明日があるさ』など、1950年代末から1960年代にかけての数々のヒット曲を作曲した。

龝吉 敏子(あきよし としこ、1929年12月12日[2] - )は、ニューヨーク在住の日本ジャズピアニスト作曲家編曲家ビッグバンドリーダー。

現在は、世界を熱狂させている上原ひろみの存在も大きいでしょう。

上原 ひろみ(うえはら ひろみ、Hiromi Uehara、1979年3月26日 - )は、日本の静岡県生まれでアメリカ合衆国在住のジャズピアニスト。日本以外ではHiromiという名前で通している。

友寄隆哉の音楽講義 :Vol.1:日本人は、なぜ世界に通用しないのか!?:ジャズ&ロックギター、ピアノ、管楽器、作編曲(2021 5月28日)|トモヨセタカヤ (note.com)

こうした人たちと現在のジャズ学習者の学習の仕方の何が違うのか?という事を今回は、探って見たいと思います。

今回の話は、なぜ、こうも日本人ジャズ(特に、私の住むジャズギター界?)は、誰が誰か?の区別がつかないほど、無個性になってしまったのか?

みんな同じようにアドリブ演奏をしますが、お互いの区別がつかないのです。

一体全体、それはどうして起こるのか?、と、今回は、その原因?を探って行こうと思います。

そして、ジャズがなぜ、若者の間でオワコン扱いされるほとの退屈なものになってしまったのかを解明して行こうかと思います。

世界的には、ジャズのライブとなると、まず高齢の観客が目立ちます。

昔、日本でジャズが流行った時代は、「蕎麦屋の出前も『モーニン』(英語: Moanin' 「1958年「昭和33年」ボビー・ティモンズが作曲)のテーマを口ずさみながら出前した、というエピソードが有名です。

https://youtu.be/7UpOvIK2UlY


また、この時代は、「上を向いて歩こう」の中村八大氏を始め、ジャズ・ミュージシャンであってもテレビのコマーシャルに出演するほどの人気ミュージシャンがいました。

その中で、ダントツにCM出演が多かったのが、世良譲氏です。
演奏を聴けば、すぐに、その実力が、世界レベルに達している事がわかります。


世良譲

https://youtu.be/w4onrDcmQjE

世良 譲(せら ゆずる、1932年3月10日 - 2004年2月17日)は、日本ジャズピアニスト

世良譲 - WiKipedia


しかし、かつて、あれほど人気を誇っていた日本ジャズも今や、完全にオワコンです。(一般の人かるすると、実際、かなり退屈なんでしょう。)

したがい、デートコースには、絶対になりません。

ジャズはオワコンですか?20世紀の「巨人」たちの遺産だけでやっていけま... - Yahoo!知恵袋

また、ジャズ趣味は、高齢化してますから、老人らしく?未来の変革、危機意識なんか、全くありません。

「盆栽の良さは、若者には、わからん!」というような中年や老人たちが主流の世界です。

どうせ、自分たちは、未来には生きていないわけだし、今が楽しければ、どうでもいいんだよ~とばかり、ジャズは、オタク化しています。

その一方で、少女たちは、ヘビメタ・ギターの速弾きに夢中です。


https://www.tiktok.com/@shredguitarkiller/video/6978568860353957125?is_from_webapp=1&sender_device=pc


https://www.tiktok.com/@liveguitarsolos/video/7209410577779756290?is_from_webapp=1&sender_device=pc


私は、今年(2023年)、3月頃、あるきっかけから、日本人ジャズ・ギターをあれこれ聴いて、発見した事があります。

どうぞ、これからジャズ学習を始める人は、この講義を読んで、今、置かれているジャズ界の”オワコン”状況に危機意識を持って取り組んで貰いたいものです。

ジャズは、ロックとは正反対で、異性にモテない老人たち?のための趣味の音楽ではありません。

ジャズのライブが、老若男女のデートコースになった時代に戻しましょう!

お客さんがいないのがジャズ・ライブ、という自虐ネタで語るプロ・ミュージシャンが多々いますが、その演奏が、どれだけ退屈なのかは、もう、ひょうっとしたらお爺ちゃんたちには、見えないのかもしれません。(「お爺ちゃん、歯が臭~い!」というコマーシャルがありましたが、、。お爺ちゃんになると歯が臭いのもわからなくなるのです。)

これからジャズを学ぶ人は、まず、こうした問題を、真剣に危機意識を持って考え、学んで行きましょう。

ジャズを”異性にモテない変人たちの音楽”にしてはいけません。

みんなが、同じ考え方、学習法に洗脳されているので、ジャズは、今や、演奏が無個性なYouTuber講師のマーケットとなっているのです。

YouTubeは、フォロワー数により収入が決まりますから、なかなか演奏しないYouTuber講師が、数秒か、1分ほど弾く事があります。

何分弾いても、その演奏は、あらかじめ決まっているものですから、オリンピックのフィギュア・スケート競技のような緊張感があります。

即興のように見せてはいますが、実際は、即興ではないので、クラシック演奏のように、「ミスなく、ちゃんと譜面通りに弾けてるのか!?」という緊張感を与えてしまうわけです。

本当の即興演奏は、決められた事を弾いているわけではないのですから、緊張感など全く与えません。

緊張感を与える事自体、決められたプログラム、進行表がある、という事になるわけです。

即興は、ミスさえも音楽的にしてしまうほどのリラックスした演奏になるので、まず、聴いていて飽きないものです。(実力者のアドリブの場合は、)

また、YouTuber講師の、”これが正解だ!”という、その演奏が、あまりに無個性であるので、今回、この記事を遺して置きたい、と思った次第です。

無個性の意味は、これは、有限で、誰が演奏しても、結局、みんな同じ演奏にしかならない演奏の事です。

つまり、無限の演奏ではない、正解は、一つの演奏しかない、という意味で使っています。

「これが正しい演奏だ!」と模範演奏を見せるのですが、それが、無個性なわけです。

誰でも練習すれば、こうした無個性で正しい演奏が可能だ!という、非常に都合の良い模範演奏を披露するわけですから、一度、マスターすれば、誰でも大量生産型の演奏ができるわけです。

本来、この曲は、無限の表現力が出せる曲だぞ!と演奏して見せるのが、優秀な講師なのですが、本人自身も大量生産型ロボットとして製造されているので、それが、どんな演奏かは、示せないわけです。

尚、この講義は、将来、どんな演奏家になるのか?という事を含めた講義です。

内容も膨大です。

普通に気軽に読んでスルーしていると、将来、ようやく人前で演奏できた、と思ったら、その演奏は、誰も聴いていない退屈な”オワコンジャズ”として扱われてしまいますよ!

この講義は、少しずつ、少しずつ、理解するように努めて下さい。

全くの、大学のジャズ講義と思って下さい。

かつての私の通信教育の生徒の中には、米国のバークリー音楽大学に3年近く通っていた生徒もいます。

様々な個々のケースの体験から、私自身も、ようやく、こうして、64歳にして、何が、ジャズを”オワコン”にした原因だったのかを、まとめる事ができました。

起立!

礼!

着席!

それでは、「ジャズは、なぜ、オワコン音楽と呼ばれるようになったのか?」の講義を始めたいと思います。

気合を入れて、一つ、一つ、受けて下さい。


PS:

何事も初心が大事です。ジャズ・オタクのおじさん連合は、絶対に初心者にこの記事を読ませないよう、ありとあらゆる妨害をして来ると思います。
「あいつの言う事聴かない方がいいぞ!」とかですね。

なかなか演奏しないYouTube講師とは違い、喋らず、演奏ばっかりしているチャンネルですが、、自分自身の耳で判断して下さい。

TAKAYA TOMOYOSE(友寄隆哉)JAZZ GUITAR CHANNEL - YouTube

何が何でも、本土のミュージシャンが最高!とする、哀れな、ミーハー世代の沖縄県民にも捧げます。

たぶん、ちょっと、日本の音楽洗脳雑誌ばかり読んでしまい、洗脳されてしまったのではないか、と思います。

近年、マスコミや国家のプロパガンダも激しいので、その被害者だと思います。

こうした”おじさん連合”にも、若者は、気をつけましょう。

まず、自分にアドバイスするおじさん連合が、どんな活動をして来たのか?プロかアマか?を徹底して探る事です。

もちろん、世界的に活躍し評価を得た人の話を優先して聴いて下さい。

まず、その人の演奏は、すぐに、その人の演奏だ!とわかるものか?という事を常に、検証して下さい。

誰が弾いても同じように聴こえる”ブルース”は、ありませんが、日本では、みんな同じで、誰が、誰なのか、さっぱり区別がつかないのが現状です。

以下は、私のブルース演奏です。

ジャズブルース ギタートリオ/JazzBlues Guitar Trio/MORNING BLUE(2006):友寄隆哉TAKAYA TOMOYOSE(Okinawa,Japan) - YouTube


PS:
人は、突然、何があるかわかりませんから、今の内に投稿して置きます。
誤字誤植があれば、その都度、訂正して行きたいと思います。
改訂、追記された場合は、購入後も告知しています。(追加料金は無用です。)
記事全体にも言えますが、記事自体も、追記され続けますから、成長し続ける生き物です。購入する事は、常に変化する生き物を手に入れる事にはなります。
こうして、たまに、すべての記事を追記しては、います。
ビジネスにはなりませんが、記事自体も生きている、という事になります。
その意味では、毎月無料の”サブスク”と同じです。

サブスクリプション - Wikipedia


もちろん、私に何かあれば、記事は、そのまま追記される事はありません。



2023年 9月未明


1:模倣好きな日本人は、本当に模倣が上手いのか!?


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私にもし時間があれば、これまでのように音楽作品を創造したり執筆する時間が作れます。時間はお金です。両方なければ、ただただ毎日をサトウキビ畑でbluesを口ずさみながら働くしかありません。そうして来たのですが、自分の年齢を忘れてました!😱 サポートお願いします🙇‍♂️