第一子爆誕

12月23日、第一子が誕生した。今年の2月に結婚式を挙げたときは、まさかこんなことになるとは思っていなかった。

妻がつわりでこの世の終わりってくらい辛そうにしているのも、食べたいものが食べられなかったり、行きたいところに行けないモヤモヤも隣で経験してきたし、安定期に入ってからは2人だけの旅行を含め、やり残したことをしっかりやっていたので、気持ちとしては「お子バッチコーイ!」と身構えていたつもりだった。

しかし、自分は予定日の1週間前に40度超えの高熱でぶっ倒れるし、妻は同じタイミングで妊娠高血圧症の疑いがあると診断されるしと、ここまでハードモードでやってきた人生は相変わらず手を緩めてくれない。予定日も早まり、もはや立ち会いは絶体絶命かと思われたが、睡眠と薬のおかげで体調は奇跡的に回復。医者と会社の許可を得て、一路山形へと向かった。

合間では鬼の原稿仕事もなんとか終わらせ、経由地の新潟でグルメも楽しみながら、20日のうちに山形へ到着。が、すぐには生まれる気配もなく、妻の実家で仕事をするだけの2日間(めちゃくちゃ捗った)。

病院では子宮口が広がっていないからと、バカ長いバルーンを突っ込まれながらも気丈に振る舞ったり、大量の布を持ち込んで鬼のスタイ職人と化した妻に最大限のリスペクトを込めつつ、「気長に来週まで待つか……」と長期戦を覚悟していた22日の夜、突然その瞬間はやってきた。

突如妻の母から「行くよ! 来たから!」と叩き起こされ、半分寝ている状態のまま病院へ駆け込むと、そこには半日前からは想像もつかない、陣痛に身を悶えさせる妻の姿。テキパキと仕事をする看護師さんとは対照的に、腰を撫でて痛みを撫でることしかできない自分の無能さに嫌気がさしつつ、そんなことはお構い無しとばかり、次第にひどくなる陣痛。病院に到着したのは3時前だったが、次第に空も白みはじめ、妻がようやく「蝋燭の火を消すように息を吐き切る」という陣痛にあった呼吸法をできるようになってきた。自分も何もできないながらも、「うるさくない程度に声をかけ、定期的に水分補給を行う」という運動部のマネージャーのようなポジションに徹していた。

そこからは痛みで泣き叫ぶことも無くなったので、長くなることも覚悟して、妻の母に一旦現場を任せ、30分だけ仮眠。眠りから覚めても状況は変わらなかったが、7時を前にして「いよいよ来た! 開ききったよ!」という看護師さんの合図をきっかけに、戦場は分娩室へと移された。

分娩室に移されてからは、正直書くかどうか迷うくらい、ショッキングなことが起こった。妻の母がどうしても自宅に戻らねばならず、いきむ妻とそれを応援する自分の2人だけに。看護師さんのサポートを受け、陣痛の痛みも極まるなかで、ただひたすら子供の頭が出てくるまで頑張ってもらうという、シンプルだけどメチャクチャにキツいことを1時間ほど続けてもらっていたところ、突然妻が白目を剥き、泡を吹いて失神。まったく意識がなくなり、看護師さんも先生もパニックに陥った。慌てようを見るにどうやらイレギュラーな事態らしく、即座に医療スタッフも集合し、自分は分娩室から追い出されてしまった。

何が起こったのか、一瞬では全く理解できないし、思い出されるのは目の前で繰り広げられた「ゾンビ映画で人がゾンビに変わる瞬間」みたいにショッキングな出来事だけ。気持ちも整理できず、妻の母と自分の母に状況を事細かく伝えると「どっちかしか助からないことも考えておいたほうがいい」と腹を括らされて、泣きそうになりながら時間が過ぎるのを待った。およそ30分ほどだったが、永遠に感じられるくらい長かった。

待っていると、扉の向こうから赤子の泣き声が。「これってもしかして……?」と思い、ゆっくり扉を開けて入室の許可をもらうと、そこには産まれたての第一子がコテンと寝っ転がっておられました。そこに感動したいところだったが、何より心配だった妻の容態が気になり、子供はそっちのけで「どうなりましたか!?」と医者が話す前に食い気味で質問。「なんとか大丈夫でした」という言葉に喜びと引っかかりを覚えつつ、「一旦大丈夫、後で話します」と言われてしまった以上は待つしかなく、ようやく子供と向き合う時間ができる。

寝っ転がったお子は、想像していた赤ちゃんのイメージとは違い、ギャン泣きをまったくしない。生まれるときは大声を上げたから大丈夫と言われるものの、何をしても声を上げないので不安になってくる。

ここで妻の処置が終わり、医者からは「妊娠高血圧症、昔で言う妊娠中毒でした。もう少し意識を失うのが早かったら子供もお母さんも危なかった」と改めて病状を説明されたあと、まだ意識のはっきりしない妻は脳に後遺症が残っていないかどうかを確かめるべくCTスキャンをし、その後個室へと移動した。

CTの結果は後遺症なしということで一安心するが、「24時間以内は再発の可能性があるので、予断は許されない」ということで、経過観察へと突入。管だらけで意識もおぼつかない妻を見るのはなかなかに辛かったし、徐々に意識がはっきりしていく過程で、ようやく心が平穏になってきた。陣痛開始からの時間を含めると、丸2日病院に泊まり込みで妻を見守り、24日のお昼には体調もすっかり回復。点滴なども徐々に取れはじめ、その日の夕方には子供を抱くまでになった。医者からは「妊娠期間中の食事でしょう」と原因をはっきりと断定されたし、そこは自分も反省すべきポイントだったので、機会があれば次回以降にしっかりと活かしていきたいと思う。

そしてお子のほうは、じっと見れば見るほど毛が濃い。もう小学生くらいの毛量と濃さはあるのでは?というくらいのポテンシャルを持つ頭髪にはただただ笑うしかない。さらに、先述したがその後も一切ギャン泣きしない。尿を出してもミルクが足りなくても、ただただ静かに唸ったり暴れたり、少しだけ声をあげる程度。この落ち着きようがもう赤子離れしていて、年相応じゃないと言う意味では父親似のところもあるのかしらと、早くも親バカが炸裂しはじめているので、自分の先行きがただただ不安。

ともあれ、危ない瞬間はあったものの、妻も子も無事に乗り切ってくれたので、自分はただただ感謝し、一層尊敬の念を強くしただけ。とりあえず年始まで共に過ごして、この新たな一員がどんなポテンシャルを持っているのか、もう少しじっくり確かめてみることにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?