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【怒髪天LIVE】ドハツの日(10・20)特別公演 "祝!10周年 なんだかんだでとおまわり"

久しぶりに怒髪天のLiveに行ってきました。
「何年振り?」と思って調べたら前回からもう4年も経っていた。コロナ流行前ですね。

2019年7月4日(木)北海道 BESSIE HALL
青春データ補完計画(札幌編)
<出演者>
怒髪天 / SLANG / シェッタガーリア / アルフォンヌ


出会い

増子さんとはもう40年以上の付き合いになる。初めて会った日のことも覚えてるな。しばらく付き合いがなくなった時期もあったけど、昔も今も全く変わらないのは本当に尊敬できる。ずっとずっと頑張っている姿がどれだけ刺激になり励みになったか。

1991年アルバム「怒髪天」でメジャーデビュー。この時はすごい嬉しかった記憶がある。このアルバムの「流れる雲のように」が今回のLiveで聴けたら泣くな・・・と思ってたけど聴けなかった!(でも他の曲でウルウル泣いた)「It's So Bad」はとても好きな曲で何百回聴いたかわからない。

札幌ペニーレーン24

少し話がそれてしまいますが、「ペニーレーン」は初めて行きました。昔バンドをやっていた頃「ペニーレーン」はすすきのにあったのご存じですか?それが二十四軒(実際には琴似駅からの方が近い?)に移転。そのころはボクもバンド活動も辞め、2015年まで東京で仕事していたので「ペニーレーン24」=新しいライブハウスのイメージだったのですが、調べてみると1990年移転・・・・あら、もう移転して34年なんですね。

セトリ

ライブハウスに貼りだされていたし書いても良いですよね?
昔の曲ばかりですごくボク的には嬉しい限り!

01. 北風に吠えろ!
02. 雑草挽歌
03. 愛の嵐~風速2004メートル~
04. 男の華
05. あえて荒野をゆく君へ
06. F・B・H・L
07. 青嵐 - アオアラシ -
08. 82.2
09. 枯レ葉ノ音
10. また来いよ
11. 風の中のメモリー
12. COME BACK HOME
13. 宿六小唄
14. はじまりのブーツ
15. 溜息も白くなる季節に・・・
16. サムライブルー
17. 色あせぬ花
18. 情熱のストレート
19. 酒燃料爆進曲
20. 美学

「北風に吠えろ!」で始まり、大興奮。

「風の中のメモリー」は友康さんボーカルの名曲ですが、これ全然嘘ではないのですが、昨日Liveに行く途中にYoutube Musicでオススメミックスプレイリストをランダムで聴いてたらこの曲を久しぶりに聴いて「やっぱ良い曲だよなぁ・・・」と思ってたら演ってくれるんですもん、たまらんです。

「枯レ葉ノ音」は曲ももちろん良いのですが、ギターが超絶格好良い。この曲も怒髪天の好きな曲上位ですね。

「はじまりのブーツ」「情熱のストレート」でウルウル最高潮に達し、
ラスト2曲「酒燃料爆進曲」からの「美学」なんてもう何も言うこと無し!

お土産

今回のLiveは「ドハツの日」という記念イベントだったというのもありますが、Liveで「ビールとぎょうざ」もらえることってあります?笑
それも「サッポロビール」と「みよしの」が協賛だったということなのですが、北海道民としてこの二大企業が協賛なんてすごいですよね。

特製クリアファイル

他にもお土産で「特製クリアファイル付き(札幌、小樽のおもひで観光名所の手書き地図)」がありました。「手書き」ってところがなんか怒髪らしくて好き。

「札幌」編はボクも思い入れがあるところが多い。

チェック・ポイントの説明  ▲→今は無し

※【Tacky】と書いている部分はボクの思いでコメント

①Zippy Hall 東区北16条東1丁目

②大通公園野外ステージ 大通西6丁目 清水加入後の初ステージ

③STUDIO ZIG
系列スタジオでCOM,DEWなどがあり、リハは殆んどこちらでやっていた。

④4丁目プラザ/みよしの△南1西4
当時、餃子定食、カレーライスの食べ放題があった。

⑤Campus 21▲
パンクナイトというイベントの出発点。 ブッチャーズの初ライブもここであった。

【Tacky】懐かしいね、ボクも当時「つっつどろどろどん」というバンドで2回ほどここでやったかな。ナゴムレーベルの「死ね死ね団」と対バンしたな・・・

⑥BLACK▲ 狸小路1丁目
パンクショップ。かっこいいTシャツやリストバンドが沢山あった。

【Tacky】店内に休憩スペースがあって、ショップの店員さんと話すのも楽しくて高校時代よく通っていた思い出深いお店。

⑦吉田楽器▲ 狸小路6丁目
「吉田のおばちゃん」と親しまれるおばちゃんのアットホームな楽器屋。「腕自慢」なるイベント主催。

⑧ロッテリア 狸小路4丁目
2階の奥にも出入口があり、勝手に入ってたむろしていた。仲間の集まる場所として重要

【Tacky】増子さん曰く『悪の巣窟』と呼ばれる狸小路4丁目ロッテリア笑
当時ここの2階はパンク野郎の溜まり場でしたね。何も頼まないで大勢が陣取ってるんだから今の時代だったら大問題(いや、当時から問題だったろうが・・・)案件。ボクも当時は毎日のように出入りしていた。決してやってることは自慢出来る思い出ではないけど、ボクにとっては宝物のような時間であったことは間違いない。

⑨ベッシー・ホール 南4条西6丁目
上京前の札幌での最後の企画をやらせていただいた。縁深き 聖地。

【Tacky】ここでもLive演ったなぁ・・・eastern youthイースタンユース)が当時はスキャナーズというバンド名だったんだけど、スキャナーズの初ライブがウチと対バンだったと思う。当時から格好良いバンドでしたね。

⑩旧ペニーレーン▲ 24軒へ移転
ベッシー同様、縁深いライブ・ハウス。 今となっては札幌のHomeとも。

【Tacky】移転前のペニーレーンね。このライブハウスでLiveが出来たことが自分の宝物の一つですね。

⑪松岡ビル1つぼ八 南4条西4丁目
打ち上げと言えばここの「つぼ八」。 出禁経験有り。

【Tacky】怒髪も言ってるけど、バンドの打ち上げと言えばまぁここだったね。出禁なんて珍しくもなかったw

⑫キクヤ楽器・スタジオメッセ▲ 狸小路3丁目
楽器、CD、レコード、ライブホールが1つのビルに。メッセホールは天井高く広くて圧倒的だった。

【Tacky】高校3年生の時、「高校の思い出になる何かを残したい!」と思い、当時最大キャパ(ライブハウスでは多分そうだったと思う)であるメッセホールで「10時間耐久コンサート」とクソダサいネーミング笑であるLiveを企画した。コンセプトは【高校生が企画する高校生だけのライブ】。

しかし、ホールレンタル代も高く、チケット代、持ち時間などを考えると15バンド必要で、札幌市内のライブはひたすら顔を出して、出演バンドを探した、これは大変でした。。
それに「高校生だけでは集客難しい」と思い、当時の札幌音楽シーンでは大人気である「ペルシャ」に出演を依頼。当然ギャラなんて払える余裕は無かったが快諾してくれた。

しかし、実際には集客は思うようには伸びず、なんだかんだで主催者であるボクも確か5万円以上自腹を切った。

高校生の5万は痛かったけど、それを救ってくれたのは「ペルシャ」のボーカルからの「今日はキミの為に演ったんだよ」の一言。
これは感動して未だに忘れられない。

が、数年前に「ペルシャ」のボーカルさんの数十年振りに飲んだ時にこの話をしたら「ん?オレそんなこと言ったの~?」笑

でもさ、10時間という長時間の音楽フェス、今ではフジロックやRSRなどたくさん長時間のフェスもあるけど、結構な「フェスの走りじゃない?」なんて思ったり。しかも高校生で。このころは本当自分で言うのも何だけどなんでも出来るような気がしていた時代。それが今では・・・・💦

⑬やき鳥キィー 南3条西3丁目
山盛りで出てくる手羽先が最高にうまい。

⑭カレー料理専門 DELHI 狸小路1丁目
本格なスープ・カレーがやめられない。

⑮U.K EDISON▲ 狸小路1丁目
パンク、ニューウェーブ、インディーズの中心。 奥にバースペースもあった。

【Tacky】今でも付き合いがある友人とここで知り合ったな。。。中学生までは歌謡曲とちょっとした洋楽ポップしか聴いてこなかったボクが、セックスピストルズを知り、そこからパンクの道へ。

⑯大谷会館
坂話が高校生の時、ド田舎からTHE STALINを見に行った時 終了後外に出て「帰りどうする?」 とダチと相談してした時、「〇〇のチケット買わない?」と言ってきたのが増子だったと坂詰加入後に判明。


ライブ終了後

怒髪メンバーにお土産を渡して少しだけ話した。
さっきまではヒーローのような存在が、ここでは「旧友」という感じに戻ってくれる。こういうところが怒髪天がこれだけ長く活動し、みんなに愛されているってことなのだと思う。
そのあと友人と琴似の「ふる里」へ。札幌駅前通りの「ふる里」にもこの友人と行って美味しかったので行ってみたけど、やはり美味しい!!
お客さんの何組かは、ライブハウスで見かけた方々もいたり、
トイレですれ違いに「さっきボクの前に居ましたよね!」と声をかけてくれたり。

いや~朝まで怒髪好きな人全員集めて盛り上がりたかったな笑






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