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【紀行文】古代の伝説を巡る 飛鳥工房で作られた富本銭と白蛇伝説の大神神社

當麻寺を堪能した後は、再び飛鳥へと戻った。

史跡系のめぼしいところは大体見たので、あとは建物を見ようという計画だった。そこで向かったのは、奈良県立万葉文化館。

なんと、入館料無料である。
無料だからと言ってけしてさもない施設ではない。
万葉集の謳われた世界を体感することができるよう工夫されており、映像、模型、ゲームなど様々な形で楽しめる。
入り口では、奈良県のキャラクター(ゆるキャラ?)のせんとくんが迎えててくれる。
私は結構このせんとくんが好きで、記念写真をノリノリで何枚か撮った。連れは、ちょっと引いていたような。

さて、館内に入るとすぐに渡り廊下がある。その下に遺跡があり、何が出土したのかなあとみていると、すぐに解説員の方が説明をしてくれた。
富本銭だった。

刀剣ワールドより

飛鳥池工房遺跡が見つかった

ここは、万葉集のことが中心のはずだよな、という疑問は解説で氷解する。万葉集の記念館を建てようという計画があり、土地を選定し、いざ発掘調査をしたらこの遺跡が出てきたということだ。
日本書紀にも語られる(と推定される)富本銭の鋳造現場の発掘はそれこそ一大ニュースなのだが、県としてもこの建物建設構想をストップできない、ということで万葉文化館の中にこうして一部保存展示となったようだ。
富本銭自体は、各地で見つかっているようだが、鋳造現場としてはここが初めて。かつて某人気テレビ番組の鑑定団で、数千万円の値が付いたのを記憶している。発見した人しびれたろうな・・・。
実際に富本銭がこの現場で最初に見つかった場所は、万葉文化館の展示場にしっかりと残されており、下の写真のようになっている。
私くらいの年代は、最初の貨幣は和同開珎と習ったが、今は富本銭が最初と教えるそうだ。

富本銭がこの遺跡で最初に見つかった場所

万葉集の世界を体感できる場所

万葉集というものを知っていても、その中身をじっくりと呼んだ人はあまりいないのではなかろうか。
自分の学校の教科書に載っているくらいの歌がわずかに記憶に残っている程度だった。
しかし、ここ数年で古典や歌謡への興味が湧いてきた。
きっかけは折口信夫だと思うが、もとより神道文化は好きであり、和歌や子分は触れていたが、あまり読み込むことはせずに、すぐに口語訳を読んでいた。

しかし、最近はそれなりにまとまった量の和歌や古文に触れており、すると頭の回路が切り替わるように、和歌そのものの情景がそれなりに浮かんでくるようになった。
口語訳を介さず、ダイレクトに歌から情景が読み取れるというのは大きな変化だった。この万葉文化館は、万葉集の読まれたころの情景を体感できる施設である。写真にある通り、精巧な人形や再現された住居などが展示されており、視覚、触覚、聴覚で万葉の世界に触れることができる。

万葉のころの日常 謡の場か

現代と万葉の時代では、文字も異なるが発音も異なっていたようだ。その発音を聞き比べる仕掛けがあり、これも面白かった。
古代日本語で語られる日常会話とはどのようなものだったのか、すこしまとめて聞いてみたいが、どこかそういう音源はあるのだろうか。

万葉文化館内の喫茶店で提供されるカレー 飛鳥産の野菜がふんだんに使われている。特にイチゴは飛鳥ルビーというブランドで売り出していた。とても甘くておいしい。

万葉文化館を堪能したのちは、フリープランだった。連れに行きたい場所を訪ね、適当に回ってみることとした。

安倍文殊院~三人寄れば文殊の知恵

まずは、三人寄れば文殊の知恵のことわざで有名な文殊菩薩が祀られている安倍文殊院にいった。
安倍がついているからには、安倍晴明にもゆかりのある場所で、安倍晴明が天文観測をした場所と推定される高台もあった。

安倍文殊院の金閣浮御堂

安倍文殊院の白山堂から「合格門」を潜ると階段の上に安倍晴明を祀ったお堂があるが、その近くに京都を空襲から救ったアメリカ人のウォーナー氏に感謝をささげる碑が顕っている。
なんとなく京都や奈良が戦中の空襲対象から、文化保護的な観点から外されたという話を聞いたことがある。その具体的な働きかけをした人物がこのウォーナー博士ということで、「ウォーナーおじさんありがとう。」というような地元小学生の言葉もあった。
本当に一個人が軍部に対してそのような権限があったのか、それはさておき、戦争という非合理の極みの中で、日本の文化を象徴する京都や奈良を破壊することは世界的な損失だという判断が結果的になされたということは素晴らしい。
こうして古の世界を感じることができるのは、こうした人々のおかげでもあると思うと、一際の感動がある。
この安倍文殊院の中で、一番印象に残った場所は、実はここである。

蛇伝説の大神神社(おおみわじんじゃ)

次は、私のリクエストで、神話の舞台地、大神神社に向かった。
古事記や日本書紀に語られる神を祀る、しかも社殿ではなく神の鎮まる山そのものを祀るという日本古来の祀り方を今に伝える貴重な神社だ。

私はその三輪山をぜひ見たくて晴れることを祈っていた。
この日実は、天気予報では大雨の予報であった。三日間の奈良滞在予定のどこかで晴れることを祈っていたが、この日運よく雨は降らず、また時折晴れ間ものぞいた。おかげでくっきりとした三輪山を拝むことができた。
特徴的な形だとは思わなかったが、やはり霊威、霊験を何となく感じる。

大神神社のご神体は三輪山そのものだ
風格漂う鳥居

私はハイキングも好きなので、三輪山に登りたいと思うのだが、ご神域であるためいかがなものかと思っていたが、どうやら今は禁足地ではなく「登拝」ということで入山が許可されているらしい。
また奈良に来ることができるのであれば、ぜひ登ってみたい。
奈良盆地には印象的な(神秘的なというべきか)山がいくつもある。おそらく昔はどこもご神域だったと思うが、今は大体登れるようである。
あまり高くない山々なので、一日ではしごも可能と思われるので、奈良の山々のハイキングツアーを計画してみようか。

大神神社の縁起

大神神社は何もかもが巨大だった。
まず石造りの巨大な一の鳥居に圧倒され、拝殿に続く二の鳥居の木の太さ、風格にも感慨を覚える。拝殿前の注連縄(しめなわ)の太さ巨大さはどうだ! 神話の白蛇を思い起こさるにふさわしい。
神に抱かれるような気分になるこの大神神社はとても心地の良い場所だった。連れにかなりの疲労が見られたので、早めに立ち去ったが、じっくりと見て回り、ここで神話の舞台地を堪能するのが本来であろう。

折口信夫をきっかけに生まれた古都飛鳥への旅

今回の旅は、飛鳥を目指してやってきた。
実は、娘の名も「あすか」であり、名前の由来の一つであるこの地に感受性の豊かな時期に連れてきたかったことがある。
そして、もう一つは考古学者であり国文学者であり歌人であった折口信夫の足跡をたどることも目的としてあった。
下調べをあまりしていなかったが、そこかしこで歌碑や足跡に触れることができた。
うれしいことに、ここ大神神社でも折口信夫の歌碑とであうことができた。
やはり何かのご縁を感じるのである。

今回の奈良旅行、古の地飛鳥を巡る旅は、新緑のむせ返るような景色の中、さまざまな不思議な感覚や符号に出会いながら、充実して終えることが出来た。車旅行で体力的にはそこそこ疲れたが、それ以上に実りのあるものだった。やはり日本人の心のふるさと、そう言ってしっくりくるのは、ここ飛鳥の地のみなのかもしれない。

そしてここにも折口信夫(釈超空)の和歌があった。


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