表題

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~3日目

 若鮎達が家に帰ると、出戻り姉達三人が、わらわらと若鮎の廻りにやってきて、人形のように可愛らしい弟を抱きしめた。

「アユちゃん。お奉行所に捕まったって、本当かい?」

「可哀想に、怖い思いをしたねえ」

「お部屋に、とびっきりの練切とお抹茶を用意しておいたから、ゆっくりお食べ」

 貞吾郎の十人の娘のうち、六人は嫁に出ているが、次女のヒラメ(お平・四十八)は三年前に夫と離婚し、七女のサメ(お交・二十七)が去年、亭主を亡くし、九女のアジ(お参・二十)が三ヶ月前に、姑と喧嘩して出戻ってきていた。甲斐甲斐しく美人の弟の世話を焼きたがる姉達を、お雪は冷ややかな目で見つめる。

「ヒラメちゃん達がそうやってアユを甘やかすから、こんな娘に育っちまったんじゃないのさ! もっと男らしく……」

 三人の中で一番年長の姉をそう叱りつけるが、姉達がキッとお雪を睨み付ける。

「男でも女でも、アユは綺麗だから良いの!」

 そんなことを言って、若鮎をぎゅうっと抱きしめる姉達に、お雪が呆れたように口をぱくぱくさせた。

「ハイハイ、お前達、店先でうるさいよ。奉行所に引っ捕らえられたとか、口の軽い他所のおかみさんに聞かれたらどうするんだい。とっととウチにお上がりな」

 中年と呼ぶのは申し訳ないほどに若くて美しい女性が、両手を大きく叩きながら娘達の口げんかを止める。

「はあい。おっかちゃん」

 その女性よりどう見ても年上にしか見えない……というよりはどう見てもその女性の母にしか見えない四十八歳のヒラメが「おっかちゃん」と呼んで肩をすくめるので、淳之介は驚いて女性の方を見つめた。

「おや、あんた誰だい?」

 女性が、淳之介に気付いて声をかける。

「あ、淳之介様。この人、あたしのおっかちゃんで、お千代さん」

 お雪は淳之介に、女性を自分の母だと紹介した。

「え!? 母上……って……」

 母親が違うと同じ姉弟でもこうも違うものかとお雪は溜息をついていたが、お雪の母親だというこの目の前の女性は、溜息をついたお雪に謝れと叱りつけてやりたくなるほどに美しい女性だった。


 廻船問屋増田屋の主である貞吾郎は、江戸に名の轟く好色ぶりで、十一人の子、全員母親が違う。

 元々江戸の者ではない貞吾郎は、地元の宗教上の理由とやらでそのどの恋人達とも結婚することはなかったが、甲斐性と情の厚さは人一倍あったから、生まれた娘は全員、自分の手元に引き取った。

 そんな中で……一人だけ、貞吾郎の寵愛を一身に受ける女性がいた。それが、お雪の母のお千代である。どの恋人達とも結婚も同居もしないと言っていた貞吾郎だったが、聡明で快活なお千代だけは傍に置きたがった。

 お千代は現在三十七歳。貞吾郎とは三十以上も年が離れ、先だって生まれていた貞吾郎の九人の娘達のうち、上から三人は五十、四十八、四十二でお千代よりもずっと年上。四女とお千代が同い年。だが、貞吾郎の娘達はみなこの江戸っ子気質で気っ風の良いお千代を「おっかちゃん」と呼び、実の母のように慕った。

 もちろん、お千代を愛していても、女遊びを止める貞吾郎ではない。

 お千代とのあいだに出来たお雪が「俺の最後の娘だ」と言いながら、吉原の遊女との密会がバレたときには、お千代と、彼女に荷担した上から五人の娘達と、三日三晩、茶碗が割れ、障子どころか襖まで破れるほどの壮絶な争いを繰り広げた。

 ところが、その遊女とのあいだに生まれてきた子は男の子。

「母が遊女の身では何かと育てにくかろう、その子を引き取って育て、立派な増田屋の跡継ぎにしてみせる」

 まだお雪を産んで半年も経っていなかったお千代がそう決めたので、「増田屋のお千代」の評判はうなぎ登り。それ以来、「増田屋のお千代さん」と言えば、瓦版屋の寄り合いが季節ごとに発行している「大江戸なんでも番付」の「美人女将編」では毎度その名が上がるほどの有名人になっている。


 そんなお千代に目を奪われていた淳之介に、お雪から事情を聞いたらしいお千代が、呆れたようにほほえみかけた。

「日本橋で飛び降りねえ……。あんなところで死ぬ気なら、もっと朝の早い時間か、夜の遅い時間を選ばなきゃ。お天道様がおいでになる時間なら、人通りが多いでしょう。誰かに助けられて当然ですわよ」

 口では冗談めかしてそう言いながら、お千代の目は笑っていない。

「なにがあったか存じませんがね……お武家のお坊ちゃまが、そのようなお姿で日本橋の下で見つかったなんてことになったら……おっかさまはどんなにお嘆きになるか……お考えになったことはおありですかね」

 背の高い淳之介の顔を見つめ……責めるような口調でも、諭すような口調でもなく、ただ、淡々とした口調で、お千代はそう呟く。

 そして、淳之介のあまりのにおいに、顔をしかめた。

「今、お風呂を用意させますからね。上がってきたら、夕餉の支度をしておきますから、娘達と一緒にお上がりなさいな」

 顔こそまったく似ていないが、お雪のテキパキとした気性は母のお千代から受け継いだものであるらしかった。言葉は優しいが、イヤとは言わせない言葉の強さを感じ、淳之介は思わず「はい」と頷く。

「アユちゃん、あんた、お客様のお世話をして差し上げな」

 お千代に命じられ、若鮎があからさまに嫌そうな顔をする。

「なんであたしが」

「うちには旦那様の他は、お前しか男がいないからじゃないか」

「丁稚に任せりゃ良いでしょうよ」

「バカ。丁稚はお店で働いてるのよ。うちのことまでさせてたら可哀想でしょう。うちには、娘の他には女中しかいないんだから、あんたがやらなくて誰がやるの」

 お千代に押し切られ、若鮎が渋々、淳之介を風呂場まで案内する。

 一番風呂は申し訳ないと淳之介は断ったが、「お客が遠慮をするな」と、淳之介のボロボロの着物を脱がせにかかった。

「ちょ……やめ……」

「あたしだってねえ! 好きでやってんじゃないわよ」

 嫌がる淳之介の着物を脱がせ、褌一枚にすると、自分も襦袢一枚になって、淳之介を風呂に放り込む。

「洗うくらい、自分で出来る!」

「だってあんた、匂うんだもん!」

 淳之介の、月代を剃らないぼさぼさの頭に無理矢理湯をかけ、丁寧に髪を洗い、やせこけてあばらの浮いた細い背中を手ぬぐいで丁寧にこすってやる。最後に、乾いた手ぬぐいでしっかりと拭いた髪で、丁寧に髷を結い上げた。

「……女のナリしてるくせに、上手に結うんだな」

 しっかりと歪みなく結い上げられた髷に手を触れて、淳之介が賞賛の声を上げる。

「おとっちゃんの髷、あたしが結い直してるもの」

「左様か」

 出会って初めて、淳之介がにこりと微笑んだ。思わず、若鮎の頬がぽっと赤くなる。

 背の高い淳之介に、お千代が渡した父の浴衣は小さすぎた。裾は膝がやっと隠れる程度。袖もかろうじて肘を覆うほど。この冬の寒空につんつるてんの浴衣はとても寒そうで、若鮎は思わず、自分の半纏を差し出す。

「ああ。これはかたじけない」

 桃色の半纏を嫌がりもせずに身に付けて、淳之介はにこりと微笑んだ。なぜだか自分の頬がほんのりと暖かくなるのを感じて、若鮎は思わず淳之介から目をそらす。


登場人物紹介

タラ(お雪)

増田屋の十女。数え18歳。

上の娘たちは九女までは嫁に行って、残っているのはタラと若鮎だけだったが、何故か3人ほど出戻ってきている。

十一人居る娘たちの中で唯一、才智に富んで読み書き、そろばんが出来、責任感の強い真面目な性格のため、十を過ぎた頃からは自然と跡取り娘として将来を期待されるようになる。

母はお千代といい、貞吾郎に請われて父親と共に増田屋に入った。お千代は貞吾郎とは結婚していないが、実質、女将として増田屋を取り仕切る傑女である。

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