にっき。

年始に、HSPの事について書いたような気がします。

ああ、そう、これこれ。

この日記の中で、わたしは自分を「HSPじゃない人とHSPの人の中間くらい」としました。

HSPの人によくある傾向で、「ヒトノキモチを考えすぎてしまう」ということにはものすごく共感するのですが、

●共通して見られる特徴として、大きな音、眩しい光・蛍光灯、強い匂いのような刺激に対して敏感であることが挙げられる。
●HSPはしばしば、豊かで複雑な内的生活を送っているという自覚をもっている。

HSPのかたに共通して見られるというこの2点については「そう言われてみれば確かに」程度でしかないので、これをもってHSPと定義するなら、わたしは違うかな~という感じです。


絶対にリア充じゃないけど、
HSPといってしまうほど繊細でも無い

わたしは自分をそう思っています。
と、いうか、わたしみたいな「どっちでもない」派のひとも、絶対に居るはずなんです……(いてほしい)

HSPは5人にひとりだというから、1クラス40人学級だとすれば、8人はHSPがいることになる。
わたしの考える「どっちでもない組」はもっと少なくて、そのHSPの中でも一番リア充タイプに近い人と、リア充タイプの中でHSPに近い人。
おそらくクラスに二人(程度)しか居ないので、お互いに出会って気持ちを話し合い、分け合うどころか、グループが違うと絶対に交わることもなく、ともすればお互い名字しかしらない状態で卒業を迎えるような……。

リア充もHSPも、どっちの気持ちもわかるし、でも、だからといってどっちともなんだかちょっと違う……

どちらのグループに対してもごく軽めの疎外感を抱いてしまう……そういう人がきっといるはず(いてほしい)


「ヒトノキモチを考えすぎてしまう」

ヒトノキモチを考えることは大事なんですが……
「過ぎてしまう」というのがポイント。

「ヒトノキモチ」といったところで、しょせんは自分の思考と常識の範囲内でしか考えられません。


ひとに○○と言ってしまった。
ムカつかれてたり、落ち込まれてたりしないだろうか。


そう悩みすぎて落ち込むことがよくあります。
平均して3日くらい胃もたれがしてご飯の量があからさまに減ります。

でも、よく考えてみると、「ムカつかれたり落ち込まれたりしてないか」って考えるのは、あからさまに自分目線なんですよね。

ムカつくのも落ち込むのも、傷つくポイントすら、相手の自由。
そもそも、価値観の違う他人なんだから、じぶんが想像もしていなかったところで傷つかれて嫌われている可能性の方が大きい。

例えばわたしがAさんに「お前、あほやな」って言う。
Aさんはその場で笑ってやり過ごしたとしても、家でものすごく落ち込んでいるかも知れない。
これは、想像がつきやすいので、↓この状態になる

でも、「良い天気ですね!」ってわたしが数人に声をかけていて、たまたまAさんにかけた「良い天気ですね」が他の人より若干元気すぎてAさんにはキツく聞こえてしまい、「わたしにだけキツイ言葉を投げかけてきた」と傷つかれてしまっていたとしても、わたしはきっと気づけない。

でも、人を傷つけるって案外、そういうことの方が多いかも知れないなと思うわけです……。

ヒトノキモチは「わからない」が正解

ヒトノキモチを察することは大事だけど、
「そのお察し、本当にあってますか?」
と、常に自分に対して問いかける事も大事かな? と、思います。

ではでは。






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