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宇多田ヒカルLIVEレポ - “闇のなかの笑い”に光をあてる人

ファン待望8年ぶり、全国6か所を巡るツアー、その最終日はデビュー20周年記念日。そんな否が応でもテンションの上がる12月9日、宇多田ヒカルのコンサート「Laughter in the Dark Tour 2018」最終公演に行ってきました。

幕張メッセに着くと、日本では珍しい「スマホ写真・動画撮影OK」の張り紙。僕の席はリアステージの横にあたりで、画質も音質もiPhoneの限界を如実に感じますが、せっかくなのでいくつか撮りました(演奏の途中がカットされていたり尻切れとんぼだったりもしますが、お許しください)。

デビュー20周年の日に出てくる言葉を残しておきたくて、MCもいくつか。

冒頭から泣かせに来ないでよ(笑)

割れんばかりの拍手を全身に染みこませるかのように佇む宇多田さんは、このとき何を思って、何を思い出していたのだろう。こっちが泣けてくる。

スマホでは劣化してしまいましたが、現場では音の良さに鳥肌が立ちっぱなしでした。

それは歌が上手いとかの話ではなくて(言わずもがなのことで)、幕張メッセという真っ平らな会場で後ろの方まで澄み切ったサウンドを届ける音響さんの手腕の話。音だけでいえば、迫力もありながら、まるでビルボードライブのような近さも感じるのです。

じゃあ今日、めでたいね。誕生日じゃなくてもいろいろ、記念日だったり、まあ、例えば、初めてこどもを置いて家を出てきたとかさ、そういうの、いろいろ、あるよね(笑)、たぶん。うん。なんで、みんな、それぞれ・・・

うーん、あれだね、でも、いいこともわるいこともあるかもね。てことで今日は忘年会的な?感じで・・・お付き合いよろしくお願いします。

これぞ宇多田ヒカルの世界観であり神髄だと思いました。
このまま歌詞になりそうな。

おめでとうの隣にさようならがあって、祝福されるべき記念日の人の横に小さなハッピーや悲しみ(ツアータイトルに沿っていえば絶望)を抱えた人がいて、いいこともわるいこともあって。

ナボコフの小説から来ている「Laughter in the Dark」(闇のなかの笑い)というツアータイトルは、忘年会だったのか!(違

個人的に、このコンサートの翌日に娘が入院することになっていたので、なんだか寄り添ってもらえたような気が勝手にして、嬉しかったです。

「Too Proud」が終わると会場は暗転し、突然ステージのLEDビジョンに宇多田と又吉直樹の対談番組が流れ始めた。2人はなごやかな雰囲気でトークを展開し、宇多田は今回のツアー「Laughter in the Dark Tour」のテーマである「絶望とユーモア」について説明。又吉も、自分がお笑い芸人になったきっかけである子供の頃の出来事について宇多田に明かした。

ナタリーより)

この対談は結果的にめちゃくちゃ笑ったのですが、また見たいなぁ。絶望とユーモアについて掘り下げながらもサービス精神満載のコント仕立てになっていて、又吉直樹さんはこれから映画監督になるのでは?と思ったり。


これは別の方が福岡公演で撮られたものです。

「真夏の通り雨」「花束を君に」は自身が妊娠し母親になり、そして母・藤圭子さんが亡くなった後に作られ、歌唱法もふくめ新たなステージに到達したとされるエポックな作品。

活動休止中に自分の発声方法を見直せたし、妊娠をきっかけに前より健康的な生活習慣も身についたし、赤ん坊に毎日、日本の童謡を歌ってるうちに日本語を丁寧に伸びやかに発声する癖がついたのかもしれねーな

#ヒカルパイセンに聞け より)

僕の位置からは、絶望と希望を象徴するかのようなライトが。照明さんの仕事も素晴らしい。

ところで、僕自身は「UTADA UNITED 2006」ツアー以来、12年ぶりの生・宇多田ヒカルでした。

20代のみずみずしさ、がむしゃらな姿や声量はその時だけの宝物のような存在だけれど、30代、陳腐な表現かもしれませんが文字通り母性を宿したその人の歌声と言葉は、同じだけ年月を重ねて生きている僕らにより深く染みわたります。

ナタリーより)

そういえば、6曲目に歌われた『Kiss & Cry』の歌詞に

お父さんのリストラと
お兄ちゃんはインターネット
お母さんはダイエット
みんな夜空のパイロット
孤独を癒すムーンライト
今日は日清カップヌードル

というのがありますが、コンサートでは

お父さんのリストラと
娘さんはリストカット
お母さんはダイエット

と歌っていました(ドキッとした)。

どうやらこっちが元々の歌詞で、それがなぜ改変されたのかは推して知るべし、ですが、時を経て、コンサートではオリジナル版の歌詞で歌われていたようです。そのことを知った上で「お兄ちゃんはインターネット」に戻ると、お兄ちゃんは単にネットをしてました、という意味ではなくて引きこもりという孤独に身を置いていたことがより見えてきますし、リストカットしていた娘さんが歌い手の「私」になったのかな?とも想像できます。

20年がなんか不思議な節目の時間だなとという気はすごく感じてて。うん。ここまで来れたってことで、ちょっと、あれだよね。ホッとしちゃダメだけど、なんかすごいな!って思っていいよね?


「ありがとーぅ!」がかわいくないですか?

私を産んで育ててくれた母親と父親にありがとうと言いたくて

俺、号泣。

そしてラストの曲がこれ。
このチョイス。
納得。

もっと聴きたい。もっと欲しい。
切実にそう思いながら幕を閉じたライブでした。

レポありがとうございました。

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