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車窓からバナナを投げる女の懺悔。

アダムとイブでさえ林檎を食べてしまった。

煙が出ておじいさんになろうとも玉手箱は開けてしまう。台風の日に田んぼや畑を見にいってしまう。押すなよと言われても、押してしまう。

人間は何千年もまえから「やっちゃいけないよ」と言われることをやってしまう。

「自分だけは大丈夫」「どうせバレやしない」と高をくくる。

歴史やニュースから何度も学んできたはずなのに、自分に実際の被害が出るまで止められない。台風のすごさは家の外に出るまでわからない。

馬鹿馬鹿しい話だとは思うし、自分はちがうと思いたいけど、残念ながらぼくもまったくその通りだ。

今まで何度も失敗を重ねてきた。

なんなんだろう、あのたのしさは。

かっちょいいお笑い用語でいうなら「緊張」と「緩和」が味わえるからなのかな。

それとも、もっと単純に「やっちゃいけないことを、やる」って背徳感がたまらないんだろうか。

なんにせよ、人間はとことん頭の悪い生き物だ。

法律に触れることは論外だとして、「やっちゃいけない」の線引きは人によって当然ちがう。


むかし、いっしょに働いてた年配の美術教師から

「私はちょっと自分に無理していいことをしたあと、だれも見ていないことを確認して、車の窓からみかんやバナナの皮を草の茂みに投げ捨てることで善悪のバランスを取ってる」

と懺悔に近いカミングアウトをされたことがある。

とても人柄がよく仕事熱心な彼女は同僚からも子どもから好かれ、尊敬されていた。そんな彼女でも、聴いてるこっちがまったく理解できない方法でやっちゃいけないことをやっている。

プラゴミではなく、きちんと自然に還るであろう物を捨てているところが憎めない。悪人にはなりきれない。

ぼくはしょっちゅう電車の中でラジオを聴く。
芸人のくっだらない話に思わず頬がゆるむが、電車の中でひとりにやつくブスな男ほど不気味な者もいない。

じゃあ電車で聴くなよ!という話にもなりそうだが

「笑っちゃいけないところで笑いをこらえる自分をたのしむ」マゾヒスト全開の嗜好なので許してほしい。

窓からバナナの皮を投げる先生とおなじように、

両耳で爆笑トークを捉えながら、今日もぼくは真面目な顔して電車に乗る。


やっちゃいけないことって、おもしろい。

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