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巨大樹の森で学んだ「選択」と「責任」

日本は、上下関係にうるさい国です。

数ヶ月、数年先に産まれたりチームに属したりしただけで「先輩」「後輩」と明確な線引きが存在します。

「先輩の意見が絶対」という基本的人権の尊重を無視した組織は令和になってもいくらでもあるでしょう。

ほんとうは「だれが言ったか」ではなく「なにを言ったか」であるべきなんですが、なかなかそうはいきません。

明らかに先輩が間違っている場合なら後輩の意見が通ることもあると思いますが、どっちつかずならほとんど先輩が勝ちます。

チームとして、人生として、先輩のほうが経験値が高いのはわかりますが、経験値の高さが常に正しい答えにつながるとは限りません。

ここまでえらそうに書きましたが、ぼくが先輩として意見するときは無意識で「通るだろう」と思いながら意見してしまうし、後輩の意見に耳を傾けはするけれど、できれば自分のを通したいなと思うことが多いです。

よくないよなーと分かってはいるけれど、器の小ささからそれについて深く考えることをしないまま、頭の片隅に追いやってました。


しかし、その考えの答えになりうるひとつの学びをこの超人気漫画から得たんです。

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巨大樹の森で女型の巨人から逃げるエレンたち調査兵団。

逃げ方に対してエレンは組織と異なる判断を下そうか悩みます。

そこで兵長であるリヴァイは「組織の指示に従え」とエレンに命じつつ、

自分の力を信じても…信頼に足る仲間の選択を信じても…
結果はだれにもわからなかった…
だから…まぁせいぜい…
悔いが残らない方を自分で選べ

と続けます。

Aの意見を通したってことは、Bの意見は通さなかったということ。Aを選んだ結果と、Bを選んだ結果は、文字通りの「結果論」でしか語れません。

選ばれなかったほうの結果が起こすはずだった未来を見ることはできない。

だったら悔いのないほうを選ぶしかない。
正解は、選択のあとにしかないんだから。


これを先輩と後輩の意見の対立で考えたとき、大事なのは

責任の所在

です。

だれが責任を取るのか。

リヴァイは自分たちの作戦を遂行するよう命じながらも、エレンの考えを「悔いの残らない方を選べ」と尊重します。

これはきっと「どっちを選ぼうが正解はわからない。ただ、失敗の責任はオレがとってやる」という兵長としての決意です。

漫画のネタバレになってしまうので、ここでは選択の結論については触れませんが、リヴァイは先輩として後輩に対して理想ともいえる振る舞いを行いました。

自分たちの意見を通した結果も、後輩の意見を通した結果も、責任は長である自分が取る。

こんな風に背中を押された後輩は「自分で決めた」という経験をします。先輩や上司がどう言おうが、当然責任だって感じます。

「自分で決めた」

という経験をさせること

「失敗しても大丈夫」

だと思ってチャレンジさせることは人が成長する上で欠かせない要素です。


巨大樹の森で繰り広げられたやりとりを見ながら、

リヴァイのように、結果盛んな後輩に思い切った決断をさせてあげられる先輩でいたいなぁと思うのでした。

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