「続けるむずかしさ」は、非日常の中に日常を保つことにある。
メルボルンから帰国して、24時間ほど経ちました。
旅行中に文章を書くのって、めちゃくちゃしんどいですね。
とりあえず体力的にものすごく疲れているのに、さらに時間をつくって頭と指を動かさなきゃいけない。
どうにかこうにか苦し紛れの文章で毎日更新してきましたが、
ダウンこそしていないだけのふらふらボクサーでした。
読んでくださった方には申し訳なかったですが、それでも「続けて書く」ことをなんとか優先させた次第です。
(後日、加筆修正してちゃんと旅エッセイに仕上げます)
でも、帰ってきたばかりで書くのも同じようにきついです。
疲れはまだまだありますし、今日もいろいろ動いてたので。
毎日なにかを続けることの大変さは
体調や環境が変わり続ける中でも、同じように続ける
ことです。
言い換えれば、
非日常の中に日常を保ち続ける
こと。
ことばにすれば「習慣」や「ルーティーン」と簡単に片付けられますが、
続けることはほんとうに大変です。
ぼくはいろんなことを自分なりに考えたり、それを文章にまとめたりする作業が大好きです。
でも、疲れた日や酔っ払った日は本音で言うならできれば書きたくありません。ただ、それを続けると決めて、人生を動かしていこうと思うと…
極端な話、意識があって文章が書ける状態である限りはインフルエンザで高熱がでても当然のように書かなければなりません。
もちろんそうなると仕事だって休まないといけない状況ですし、そこまでする必要なんてまったくないです。
じゃあどうして「続けようとする」のか。
それは、続けることで得られる力は
「続ける」ための環境をつくり続けること
だからなんです。
いつもいつも自堕落な自分にノックアウトされ続けるわけにはいかないから
「まだお酒は飲まないでおこう」「テレビは後にしよう」など、
どうにかして精一杯noteを書くための環境を整えます。
そのことは自分の弱さや煩悩をコントロールして、少しでも理想の自分に近けます。
これが、続けることのむつかしさであり、大変さであり、
おもしろさでもあるんだなぁと
この文章を早く書き終えてぐっすり眠りたいという欲望と闘いながらキーボードを叩いている男の本音であります。
録画したゴッドタン観て寝ます。
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