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おいしいは最大の防御。

「美味しい」ではない。「おいしい」だ。

関東の人には理解できるだろうか?

かといって関西特有の文化であるとも思えない。
一応、解説する。


ここでぼくがいう「おいしい」は言い換えるなら
「人の不幸は蜜の味」を自らに落とし込んでいることだ。

つまり、
「自分に降りかかる不幸を相手は喜んでくれる」ことに快楽を見出す
マゾヒズム的奥義なのである。

なにか悩みがあるとき、なにか嫌なことや悲しいことがあったとき
「この不幸をどうやったらみんなが笑ってくれるだろうか」
と考えることで、不幸に対する免疫ができてくる。

所詮、人の悩みなんてその人にしか分からない。
どれだけ寄り添い共感しても、きっかけをもらったとしても、結局最後はみんな自分でどうにかしなければならない。
これは優しさや善意で解決できるものではなく、当然のこととして、悩みを聞いてもらう側も聞く側も理解しておくべきことだ。

だったら、なるべく多いに笑ってもらおうじゃないか。
笑っちゃいけない不幸も、どうやっても笑いにできない不幸もあるけれど、大抵の不幸は笑っていける。

ぼくやあなたに必要なのは、不幸をおいしいとする技術であり、それを発表できる場所の構築だ

リリー・フランキーの書籍(どの本だったか失念。「エコラム」だったかな?)に好きな話がある。
要約すると

「初体験からレイプされてしまった女性の知り合いがいる。その事実だけを聞くと、まわりは同情し、可哀想だと決めつける。男性不信になってしまうと決めるける。だが、その女性は“はじめてのセックスがこんなクソみたいな体験だったから、もう性生活を恥じることなく楽しむぜ”というスタイルに切り替え、常人には真似できないセックスライフを骨の髄までたのしんでいる。人間の不幸は、まわりの人間が決められない」

というものだ。

ぼくらは勝手に決めつける。あれは幸せで、これは不幸せ。
これからの人生で何度だって襲いかかってくる不幸に対し、脊髄反射で「おいしい」と返せることが、人生を愉快に闊歩する秘訣ではないだろうか。

防御は、相手の攻撃に合わせて形を変えなければいけない。
自由度は、圧倒的に攻撃だ。
攻めて攻めて攻め続け、防御なんか忘れてしまえ。

不幸は全部「おいしい」だ。

笑い、笑わせ、笑ってもらえ!


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