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これはほんとうの話です。

スキを比較的たくさんいただいている記事

意外な記事がスキされるのだなあ!
じゃあどの記事なら意外じゃないのか?
と自ら問えば、どれも意外には違いない。

読まれなくてもいいなら、オンラインに上げないので読んでいただけることを前提に書いている。
できるだけたくさん読まれたいけれど、たくさん読まれることが目的ではない。

なのでこれから書くことは、嘘のようなまことの話であります。

✳︎

昨日の午前、前出の隣家の主人が今日引っ越して行きます、と再び菓子折りを持参して現れた。

家を売ることになったと聞いてはいたものの、いっこうに引っ越す気配がないので、売却した家に家賃を払って住み続けるリースバックを選択したのか?と夫と話していた。


それで、餞別の用意を怠っていた。
玄関先で待たせたまま、祝儀袋などが収められている引き出しをゴソゴソ探る。
出てくるのは黒や黄色の水引きばかりで、紅白のはご丁寧に"ご祝儀"だの"お見舞い"と記入済みだ。

筆に自信のない私たち夫婦なので、一発で納得の表書きが書けない。
書けなかったなら、さっさと処分すれば良いのに、あまりこだわりのない宛てに使いまわそうと一応保存しているのだ。

この傾向は、特に夫の方に強い。
夫は、使用済み乾電池でも、たとえば二つセットの場合、どちらかはまだ残量があり、継続的に使うのではない間に合わせに再利用できるかもしれないと考えるらしく、すぐには捨てない。
それで、どれが使える乾電池でどれが使用済み乾電池かわからなくなり、たびたび私の癇癪の種になっている。

一言で言えば"ケチ"なのだが、切羽詰まっているというより、楽しんでるようなところがあるので本気で腹を立ててはいない。
始末というのは私のような、貧乏な家で育った者の方が下手くそで、そこそこ裕福な人は倹約しているものだと大人になって知った。
ケチを笑えない内心の事情があるのだ。

大慌てで餞別を渡し、別れを惜しむ挨拶を交わし見送ってから、ついでに件の引き出しの中身を少し整理しようと思い立った。

透明の袋から取り出してある祝儀袋は角が折れていたり、端の方が汚れているので処分した。
その中に、紅白の水引きが描かれた、中袋のあるタイプの、表書きも記名もない祝儀袋があった。
経年劣化して、よくわからないシミまで着いている。
それもそのままポンっとゴミ入れに投げ込んだ。

✳︎

話は飛んで独身時代。
勤め先で、十数枚の使用済みA4書類を、そのままゴミ入れに滑り込ませて事務所の女性に叱られたことがあった。
きちんと丸めて捨てろというのである。
私は、わざわざ丸めてカサを増やすことの意味がわからなかった。
機密文書ならシュレッダーにかけて捨てるべきで、丸めたくらいじゃ事足りない。
そのまま滑り込ませた方が、ゴミ入れの中で余計な空間が生まれずゴミ捨ての回数も減るのだ。

しかし百貨店の各部の事務の女性というのはなぜか威張っていて、課長にも意見をするくらいの勢いだから、新人女子が口ごたえできるはずもなく、黙ってゴミを取り出して丸めて捨て直した。

以来まとまった紙類をゴミ入れに捨てる際に、この一件を思い出す時がある。
私は未だに紙をわざわざ丸めない。
少し意地になっているのも否めない。
なかなかに執念深い。

それで今回もシミのついた祝儀袋をそのまま投げ入れた。
投げ入れてから、ふと思いついた。

こんなサラのままゴミ入れに在るのを、昼に戻る夫が見かけたら、なぜ捨てたと問うかもしれない。
あの祝儀袋は割と長い間引き出しにあって、夫も何度か見ているはずだ。いつか使おうと思っているかもしれない。
一見して特に問題なく使えそうなのだ。

咎められるほどのことでもないから、シミがあったから捨てたと答えれば良いが、それも面倒臭く感じた。
丸めて捨てれば良いことだわ、と思い、ゴミ入れから拾い出した。

表を開き、中袋を取り出した。
なんだか厚みがある。
透かしてみると影がある。
中袋には三枚の福沢諭吉さんが収められていた。

これ見よがしに、祝儀袋と中袋とピン札三枚を、食卓テーブルに並べて置いた。
昼に帰宅した夫に事の経緯を説明する。
二人とも、誰にいただいたのか、はたまた差し上げる予定だったのか、まったく覚えがないのである。

昼食は、三万円の使い道をどうするかで大いに盛り上がった。


※ご祝儀袋の画像はkonomiasahiさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪





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