雨宮処凛著『生き地獄天国』(太田出版、2000)

本書は、雨宮処凛の自伝である。
1歳の時からアトピー性皮膚炎で、小学校のころからイジメに合い、死にそうな時間を過ごしてきた。14歳のときビジュアル系バンドを聴き、追っかけを始め、深みに嵌っていった。寺山修司、夢野久作、江戸川乱歩、澁澤龍彦らを読み耽り、やがて天野可淡(故人)の人形に出会う。
この本を読んでゆくと、早く自分だけの何かを見出したいという性急な想いが、常に彼女を突き動かしていることが判る。立ち止まるとすぐに、自己否定が始まり、リストカットとオーバードーズ(薬物の過剰摂取)にまで辿りついてしまう。
天野可淡の元夫でもある人形作家のもとに弟子入りし、自己表現の道が開きかけるが、アトピーが邪魔をした。そこで、新たに”姫処凛”というバンドを始め、イベントを開く。このイベントで、サブカルやリスカの話が出来る人間や、元オウム真理教信者に出会う。
雨宮処凛を駆り立ててきたものは、自分の内なる虚無である。この虚無は、”お前には、この世界に居場所はない。お前の価値は、ゼロだ”と囁きかける。この虚無に打ち勝つためには、誰かから必要とされる人間になる必要がある。雨宮処凛の流転する生き方は、そういった場所を探す旅であった。
だが、この探求は個人的なものに留まらず、やがて世界を巻き込んだものになってゆく。
日常のかったるさや閉塞感への憤懣を感ずるようになり、それを内部から吹き飛ばしてくれる破壊的な革命を希求するようになる。
福居ショウジン、鈴木邦男、見沢知廉……といった人物の名前が頻出するようになり、ついには見沢知廉に誘われ、右翼の集会に行くことになる。
こうして、雨宮処凛は、民族派右翼に覚醒し、突撃隊に入隊し、ミニスカ右翼となる。”維新赤誠塾”を結成し、民族派パンク・ロックを行うようになる。
だが、雨宮処凛は、そこで終わらなかった。『天皇の戦争責任についてどう思いますか?』という自主制作の映画を撮っていた土屋豊と出会い、ドキュメンタリー映画『新しい神様』に出演することになるのである。撮影と平行して、元赤軍派議長の塩見孝也に誘われ、北朝鮮に渡り、よど号グループと接触する。さらには、イラクに渡り、音楽祭に参加する……。
本書は、ここで終わっているが、雨宮処凛はその後も変貌を遂げ続ける。『生き地獄天国』をきっかけに作家となり、『暴力恋愛』『EXIT』『ともだち刑』を上梓する。『戦場へ行こう!』では、よど号事件の子供を日本に連れ帰る仕事に関わったおかげで、警察のガサ入れを受ける。さらにイラクに関しては、爆撃を受ける子供たちの観点から、命の価値をないがしろにする世界に異議申し立てをする。
私は、雨宮処凛の作品になぜ惹かれるのだろう。
天皇制や靖国の問題に関していえば、私は雨宮処凛と対極的な意見を持っている。(注)
しかし、生きることと書くことが、分かちがたく結びついており、絶えず現実と接触することで、変貌を遂げてゆく雨宮処凛は、実存的である。このような作家は、非常に稀有である。
また、雨宮処凛は、理念や大義名分よりも、いまここで死んでゆく子供たちの存在を指摘して、異議申し立てをする人なのである。
「北朝鮮で死んでゆく子供に、いくら「偉大な主席」や「民族の誇り」を持ち出しても何の足しにもならない。それと同じく、イラクで死んでゆく子供たちにとって「アラブの大義」は何の意味もないだろう。」(『悪の枢軸を訪ねて』幻冬舎単行本258頁)
死んでゆく子供たちの存在を掲げるのは、(神によって保証された予定調和の未来を拒否する)イワン・カラマーゾフと同一の論法であるが、この一点を抑えてゆく限り、大きく道を間違えることはないし、その真摯な誠実さを失わない限り、まわり道をしても、正しい道にたどり着けるはずである。

(注)右翼的な立場からすれば、先の大戦で死んでいった兵隊さんのために、靖国参拝をするのが当然ということになる。しかし、彼らが好むと好まざると関わらず、国家意思の都合で、否応なしに殺戮をする道具に改造されてしまった事実を考え合わせるならば、むしろ靖国と対峙するのが、彼らの側に立つことだと、私は思う。

初出:2005年07月03日 16:12 ソーシャル・ネットワーキングサイト[mixi(ミクシィ)]内レビュー

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