古代_中国人

中国の人々は、やはり現実的?②

前回、中国の人々の考え方の中心に、現実性があると書きました。

そのような中国の人々に影響を与えたのが、孔子や孟子が説いた「儒教」です。

儒教は、神や宗教といったいわゆる形而上学的な事柄についてはほとんど触れず、人間社会に立脚して、人々が自ら置かれた身分や立場に応じてあるべき姿、なすべきことを説いた、現実重視の思想と言うところに特徴があります。

特に君主や家臣、親や子、兄弟姉妹、友人同士といった人間関係に重きを置いてその思想が展開されて行きます。

君主に対しては忠義を、親に対しては孝を尽くすといった思想は、社会秩序をもたらすための人の道として為政者はもとより庶民の多くに浸透していきました。

それは宗教のような教義ではなく、あくまでも日常生活における実践的規範としての教えであり、その意味で人間の実生活という現実に立脚した思想であるといえます。

君主に対し中を求めるこの授業は為政者にとって都合の良い子そうであったかと言えば、一概にそうであるとも言えません。

前回も書いた通り、儒教は「修己知人(しゅうこちじん)」を説いています。

つまり、自分の身をちゃんと修めることができる人しか人を治めることができないとし、君主に対しても自らを理し人間性を高めることを求めています。

儒教の大家である孟子がある時、とある小国の君主と言葉を交わすことがありました。

その君主は、隣国との戦争において、将軍や士官が何十人も戦死したのに、その下にいる兵隊は皆に的に背を向けて逃げ帰ってきたと、強い不満を持っていることを孟子に告げました。

それに対し孟子は、兵隊が皆逃げ帰ってきたのは、日ごろの君主の行いや将軍、士官の庶民に対する態度に腹を立てていた兵士が仕返しをしたのだといった趣旨のことを君主に答えました。

孟子は説いています。実りが豊かでない凶作の時に、民衆が皆飢えをしのいでいるにもかかわらず、君主やその下に連なる役人は苦しい思いをしている民衆に施しを与えないばかりか、毎日のように酒食にふけり、自分たちはたらふく食べ物を食べている。普段から自分たちは何もしないで民衆から搾るだけ搾り取り、いざ戦争になったから戦ってこいと言われれば、誰もそれに従うものはいません、と。

つまり孟子は、庶民は君主に仕えるのが当たり前である、しかしだからといって君主はその上にあぐらをかいていてはいけない。君主たるもの庶民よりもより厳しく自らを律し、庶民に愛される君主になってこそ初めて庶民から支えられる存在になるのだ、といったことを言いたかったのです。

この逸話は、君主とその下にいる庶民という絶対服従的な関係のように思われる関係も、復讐される庶民も血の通った人間であり、その人間に対する道理を外れてしまえばたとえ君主といえども彼らを思い通りにさせることができないのであると言う、人間という生き物の現実に立脚した思想であることが見て取れます。

一見すれば固定化した教義と思われる儒教の根底にも、中国人が大切にする現実性が貫かれているのです。

続く。


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