ザ・裏切り女

 一日は裏切りから始まる。
 朝の五時に起床し、一時間半かけて化粧を施す。鏡の中に現れるのは、つるつるの卵肌、ほんのりと色づく桃色の頬、そして肉感的な唇を持った美女。我ながらこれが自分かと疑うほどだ。
 私の素顔は彼氏も知らない。否、気がつかない。
 数ヶ月前、コンビニへすっぴんジャージ姿へ買い出しに行ったとき、たまたま彼とすれ違ったが、そのまま素通りされた。分厚いメガネ、土気色の肌、血色の悪い唇。そう鏡の中の女とはまったく正反対なのが私の素顔だ。
 さて、それほどまでの分厚い裏切りの仮面を被った私はいそいそと出社する。
 パソコンを立ち上げ、メールを確認して振り分けていく。すると、そこへ電話が鳴り響く。
「ナガタニさんをお願いします」
 お客様のお言葉に従い、私は永谷さんに電話をまわす。しかし、永谷さんは二言ほど会話を交わした後、首を捻って、中谷さんへと転送した。
 聞き間違いをしてしまったことに気がつき、私は赤面する。ああ、早く中谷さんと打ち合わせをしたいというお客様の期待を裏切ってしまった。
 永谷さんは、仕方ないよと微笑んでくれたが、それがいっそう私を惨めにする。今度こそ間違えぬようにと決意を新たに私は仕事に励むが、その後、中谷さん、永谷さん、両者への電話を私が取ることは無く、名誉挽回の機会を与えられず昼休みを迎えた。

 社員食堂で頼むのは一番安い日替わり定食だ。盆の上には、焼き魚と野菜サラダ。サラダの中には私の大嫌いなトマトが入っている。おお、父よ母よ許したまえ。私は好き嫌いすることなかれという両親の教えを裏切り、同じく日替わり定食を頼んだ同僚にサラダと焼き魚のトレードを提案する。
「ダイエット中なのよね、私」
 彼女は嬉しそうにドレッシングのたっぷりかかったサラダを二人分平らげたが、油の存在を指摘しなかったことも裏切りに入るのだろうか。
 父よ母よ、私は食べ物を無駄にすることは無かった、そのことは認めていただきたい。

 昼休みの時間の残りを確認し、スマホでTwitterを開く。そこでの私は「彼氏と別れたばかりのちょっとえっちな寂しいOL」だ。フォロワーはおじさま方ばかり。下心見え見えの彼らと戯れるのは楽しかったが、そろそろ終わりにしよう。こんな空しい裏切り行為は。
 ということで、「20RT越えたら私の下着姿アップしちゃおうかな」と今朝の通勤途中でツイートしたものが、20RTを越えていたため、早速私はアップする。私の彼氏の下着姿を。もちろん、隠すところはちゃんと隠しているので一安心。
 この裏切りにより、どれだけ爆発炎上するのか、それは後のお楽しみだ。

 気分も新たに午後の業務に取りかかった。ふと時間が空くと、ちょっとした雑談を仲間内で交わす。最近流行のグロゾンビマンガを愛読していることを告げると、「ええー、意外」「今度貸してくれる?」となかなか受けがよろしい。清楚系美人を装う私が贈るちょっとした裏切りサプライズはなかなか好評で大成功だった。
 これに気をよくした私は順調に伝票の処理をこなし、あと少しで本日の業務完了と言うところへ重要な電話がかかってくる。なんと、運送会社の手配ミスで製品の納期が遅れるというのだ。私は天を仰ぎ、慌てて顧客へお詫びの電話を入れた。
「困るんだよね。そちらの言葉を信用してこちらも予定を立てているんだから」
 その通りである。実際に問題を引き起こしたのは運送会社であるが、納期を直接伝えたのはこの私であり、受話器越しより裏切り者とのそしりを受けるのはごく自然のことなのだ。
「信頼を裏切るようなことはあっちゃならないんだ。こっちだってお客さんがいるんだから」
 ああ、一つの裏切りにより裏切りの連鎖を呼び、さらにこれからも裏切りを生むであろう。

 私はようやく就業時間を終え、心の疲れを癒すべく給湯室へと向かった。営業の近藤さんが女子社員分だけ出張土産のひよこ饅頭を買ってきてくれたのだ。
 ウキウキしながら、テーブルの上を見る。箱はあった。蓋は開け放たれていた。そして、ひよこ饅頭の姿はどこにもなかった。
 人数分きっかりあったはず。誰だ、誰が裏切った。
 給湯室の窓から赤い夕日が射し込み、私を、部屋を朱に染め上げる。
 私の二つの眼から止めどなく熱い滴が流れ出た。だが、その熱すらファンデーションを溶かすことはない。裏切りの仮面は、私の真実の思いにすら打ち勝つ。

 かくて、私は裏切り裏切られる人生を歩む。親から男子であることを望まれながら、女として生まれ落ちた瞬間から。
 そして、私を裏切り、ひよこ饅頭を食べた誰かも、同じく裏切り裏切られを繰り返していくのだろう。
 このように裏切りは絡み合い、私たち人間世界を繋いでいく。