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南仏ギャンブル顛末記


第1話「イタリアとの国境の町 マントン」

話はいきなりニースから始まる。

この南仏のニースの東、モンテカルロのもっと東、もうすぐイタリアというところにマントンの街がある。現地の人の発音だと「モントゥン」に聞こえる。

料理に例えるならこの話のメインディッシュはこのマントンでのギャンブルのお話である。そこにサイドディッシュとして、ラスベガスの話やら旅の話がついてくる。というイメージである。
なぜこの日本人にはなじみの薄いマントンの街へ行ったのかというと、ジャン・コクトーの美術館があるからである。
私が荷物持ち兼通訳を務めるご主人さまがジャン・コクトーが好きで、「行きたい。行きたい。」とあまり騒ぐものだから来てしまった次第。しかしたどり着くのに苦労した。
ニースからマントンまで電車も出ているのだが、その時はあいにく鉄道労働者がストをやっていた。電車が動かないだけでなく、中・長距離バスも運休が多かった。いろいろと手を尽くして調査した結果、ただ一つだけ残された手段を見つけた。ニースの飛行場から、近隣の都市に行くバスだけは通常どおり運行していたのだ。

ご主人さまと僕は、ニースのネグレスコホテルを後にして(と言いたいところだが)実際には、ネグレスコホテル海から見て右隣りのホテルを後にして、ニース空港に向かった。
ニース空港からマントンまでのバスルートは思いがけず素晴らしかった。バスは海岸沿いをずっと走り、右手は海、左手には断崖に張りついた赤い瓦屋根の家を眺めて走る。
ニースから東の方へ行く海岸沿いには、鳥の巣村と呼ばれている山の頂に点在する可愛い中世から続く街が点在している。
ニースを出発して1時間ちょっとくらい走ったところでモナコへ着いた。隣のフランス領はモンテカルロという地名だ。モナコのシンボル:グラン・カジノを横目で眺め・・・・・・、私はここで降りて一勝負したかったのだが、目的地はマントンのジャン・コクトー美術館だったのだから、当然のことながらご主人様に却下されてしまった。モンテカルロのF1レースの準備で忙しい道路を通りながら、「この辺かなー、セナが死んじゃったのは。」などと考えているうちに、モナコ海岸をバスは通りすぎてしまった。そこからまた海岸沿いを約1時間半、やっとマントンへ着いた。

その後、もう一度、今度は電車でマントンへ行った事があるが、電車はトンネルを通るし内陸部を通る場所もあるので、風景は断然バスの方がいい。その時はバスでの長時間移動を恨んだが、後になって鉄道のストに感謝した。

それから、モナコとモンテカルロが実は1つの街だということもよく分かった。モナコ領は小さくて、その回りをフランス領のモンテカルロが取り巻いている。鉄道の駅もフランス領にあるからモンテカルロ駅だ。

前おきがまたまた長くなってしまった。
さて、私は隠れギャンブラーだった。

オランダ・アムステルダムのスキポール空港内にカジノがあるのをご存知だろうか。人々が歩いている大きなホールの真中に、スロットルマシンだけじゃなく、ブラックジャックのテーブルもルーレット台もある。さすがにバカラ台はなかったが。

ここでも実はブラックジャックをしたこともある。

このスキポール空港のカジノはまたこの物語の最後の方で出てくるので、乞うご期待。

地中海クルーズのイタリア船籍の船の上でも、ルーレットやポーカー、ブラックジャックも楽しめる。私とご主人さまが5泊6日で乗ったのは、あの沈没したコスタクルーズの持ち船コスタリビエラだった。(この船は、時代遅れの中型船だったため残念ながら今は運行していない。廃船となってしまったらしい。)この船上カジノでは、ご主人さまは初めてルーレットに挑戦したのだが、負けず嫌いがアダとなって大損して、その夜はたいそう機嫌が悪かった。
 南仏の玄関口のニースでも、海岸沿いの遊歩道ぞいにカジノがある。
今回の旅ではその観光客でにぎわうニースのカジノでは模様ながめで参戦しなかった私が、モントゥン(現地風の発音にしてみた)のちょっとさびれたカジノを見つけてしまったところから、本題に入るのだが、第1話はこれまでにしよう。 

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