囲碁についての雑感

たぶん、僕のいちばんの特技は、囲碁なんだと思う。小学1年生から中学3年生まで囲碁の道場に通っていて、当時(14歳の頃)は六段だった。当時の友だちの半分がプロになった。でも、中学生になってからはサッカーに夢中になり、それでも中学3年生まではきちんと続けて終わらせた。

昨日久々に碁を打ったのだけど、大人になると楽しいものだと思う。いくつか雑感。

・碁を打っているときはひたすらに集中するので、いい精神的リフレッシュになる。とはいえ、読みも記憶力も格段に下がっていて、何とかならないものかと思うが。中学生の頃は最初から最後まで全部覚えられてたのに。気分転換には昔何度も読んだ玄玄碁経や基本手筋事典を読むことにしようかとも思ってる。

・大人になると、囲碁から得られる洞察が増えた。碁で大切な能力には、記憶力や読みの力(論理的思考力)といったハードスキルだけでなく、大局観や形勢判断能力、バランス感覚、精神的な駆け引きといったソフトスキルが含まれる。
 子どもの頃はそんなことを全く考えずに、ただ勝つためにはどうすればいいかから逆算して打っていたけど、そうやって身につけた色んなものが、僕の精神的成長に大きな役割を果たしていた気もする。(いざという時だけにしか機能しない)記憶力や集中力は間違いなく囲碁のお蔭だという自覚は昔からあったのだけど、微妙なバランスの中でどう振る舞うかといったソフトスキルについても、囲碁から学び取っていたことが多かったのかもしれない。

・キャリアについて。当時は囲碁のプロになる場合、友だちの多くは中学卒業後は高校に行かないで院生になっていた。それでプロになれない場合は、またキャリアを一から作りなおさなければいけなくなる(とはいえ、碁ができる人はたいてい数学とかが得意なので、受験しても普通にうまくいくことが多いだろうけれど)。
 そういう重大な意思決定をしているにもかかわらず、多分当時の友人の多くは、あまり深くその重大さを考えていなかった気がする。大抵の場合、親が我が子をプロにさせたいと思い、幼いうちから道場に通わせ、子どもも知らず知らずのうちにそれにのめり込み、あまり深く考えないままプロを目指す、といったところだ。囲碁に限らず、プロの世界はたいていそんなもので、小中学生の頃に全精力を注がないとなかなか大成しない。しかし、その全精力を注いだとしても大成は保証されない。本当に過酷だなあと、改めて思う。

・本業以外に、人並み以上の技能(しかも一生関われる)を一つだけでも持っておくと、人生がかなり豊かになる。知り合いには楽器弾きが多くて、彼らを見ていると本当にそう思うのだけど(僕はもっとドラムがうまくなりたい)、僕にとっての囲碁はまさにそうだということに気がついた。碁を通じて、目上の色んな人と知り合うことができて、対局を通じてある種の深い会話をすることもできるようになる。こんな贅沢教育を受けさせようと決意した親と、それを金銭的にサポートしてくれた伯母さんには心から感謝。


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