走ることについて。16

21日目(鳥取市東部→鳥取市西部)

いよいよ始まった最終ラウンド。カンボジアから徹夜便で羽田に戻ってきたのが6時過ぎ、家に着いたのが8時前。そこからシャワーを浴び、頭をすっきりさせてから荷物を準備したらあっという間に時間になっていた。急いで出かける。

羽田空港のモノレール駅到着時間が10時31分、フライト時間が10時45分で万事休すかと思っていたけど、なんとフライト時間が10分遅れ無事にセーフ。運をここで使い切ってしまったのではないかと心配になる。

鳥取には12時過ぎに到着し、バスで鳥取砂丘まで行き少し景色を眺めた後に、前回走った場所であるラブホテルまで戻り、ランニング再開。

(鳥取砂丘は砂漠というより大きな砂場だった)

今日から出雲までは、LIPメンバーの一人でありニシダさんが伴走についてくれる。今日は23kmの短い距離。13時半から4時間かけて走り、浜村温泉の旅館に着く。カンボジアからのフライトでほとんど眠れなかったので、今日はお風呂に入って早めに眠ってしまいたいのだけど、生憎LIPのSkype会議が入ってしまっている。

「Readyfor?」でのクラウドファンディングの約束通り、出資者の方々の代わりにお祈りするために、ここから140km離れた出雲大社に明後日の午後4時までにたどり着く必要がある。明日からは3時半起床4時出発でいく。


22日目(鳥取市西部→安来市)

朝3時15分に旅館で起床し、温泉に入ってすぐにテーピングやらを巻きつけて宿を出発したのは4時過ぎ。ずっと暗い中を若干ゆっくりと進む。空は快晴で星が美しい。

(満天の星空)

明るくなってきたのは6時半も過ぎようとした頃で、道は海岸線に入っていた。

この日はずっと平坦なまっすぐ道に、風力発電機が悠々と回る風景で、走りやすさとしても、見た目的にも(マリオの)ボーナスステージみたいだった。距離は80km以上なので、決して楽なものではないのだけれど、美しい風景が見られるだけで身体は随分と元気になる。

(このあたりは風力発電機が多かった)

昼ご飯を食べにラーメン屋に寄り、いつも通り待ち時間にテーピングを貼り替えようとしたときにハプニングが起こった。剥がしたテーピングごと、足の裏の皮がズルっとむけてしまった。多分、朝に温泉でふやけた足にそのままテーピングをして、かつ防護テープを貼るのをサボったからだ。とにかくこの旅では、こういう一つ一つの気配りの大切さを思い知らされる。きちんと考えていたら、これくらいのことは予想できるはずなのに。

むけたところから血が出ていて、ヒリヒリ痛い。しかも足の裏は、いつも靴に入って密閉されていて、汗もかくので、細菌が繁殖しやすい。化膿すると結構たいへんなことになる。いつも水ぶくれができたときに使っている軟膏を塗りたくって、防護テープをはり、テーピングを貼り替える。不思議なもので、足の他の場所がいたいと、こういったヒリヒリ系の傷はほとんど痛まない。

その後、多少のアップダウンもあるものの、基本的には走りやすい平地が続き、日暮れには米子市に入ることができた。

米子の中心地あたりで、国道沿いに出雲そばのお店があったので迷わず入って食べる。桃太郎電鉄で出雲には出雲そばがあることを知ってから20年くらい気になっていた出雲そばを初めて食べたけど、これは確かに美味しい。東京に出店していたら食べにいきたい。

(出雲そば。蕎麦好きにはたまらない)

そこから暗くなって、目的地の安来市に進む。安来市に入ったすぐそこにあった道の駅の名前がかなり強烈でびっくりした。その名も、「あらエッサ」。今までたくさんの個性的な名前の道の駅を見てきたけど、これほどに強烈な名前のものは初めてだ。なお「あらエッサ」は地元の踊りである安来節の掛け声で、「あらエッサくん」は安来市のご当地キャラである。

安来駅に着いたのはもう19時半頃。カンボジアから無茶なスケジュールでやってきた旅の疲れか、喉が痛くて風邪っぽくなってきたので、駅前にあった薬局に駆け込んでトローチと葛根湯を買う。旅館のおばちゃんはめずらしいお客さんに記念品をと言って、旅館のタオルをくれた。

ビールが飲みたいし、身体を回復させるためにタンパク質を採りたかったので、歩いて100mくらいの居酒屋「かば」に行く。ビール大ジョッキと、刺身盛り合わせとマグロ刺身とご飯と日本酒。刺身盛り合わせの量がものすごくて、マグロの刺身も食べたところでもうお腹はいっぱいになる。旅館に戻って9時半には就寝。明日はいよいよ出雲大社。


23日目(安来市→出雲市)

起きたのは3時半頃。夜中には喉の痛みで一回目が覚めるほどに、体調は悪い。準備をして4時20分くらいに旅館を出発。

お腹が空いたので、走り始めてすぐのところにあるポプラでカレーと栄養ドリンクを買う。ポプラのカレーは、ルーをレンジで温めて、ご飯はお店で炊いたものを入れてくれる。他にも唐揚げ弁当なども店内で揚げたすぐの唐揚げを詰めてくれるし、コンビニで手に入る弁当類では一番美味しい部類。はしたないと知りながらも、歩きながらカレーを食べる。それにしても、この期間、別に誰も気にしないのをいいことに、何でも歩きながら食べるようになった。

国道を走っているうちに、むかし仕事関係で訪問した工場を見かけて驚いた。見知らぬ場所と思っていた土地で、一度でも見たことがあるものに出会うのは、それがたとえ無機質な建物であっても、本当にうれしいものだ。

(松江市で拝む朝日)

松江市に入ってすぐのところで、Googleが示す近道に入る。一面のたんぼ道を歩くうちに日の出がやってきた。いつも本当に不思議だけど、太陽は人の気持を前向きにしてくれる。

(霜化粧が朝日に映える)

ところで、もう12月2日になっていた。11月いっぱいで前職の有給消化が終了し、正式に退職をしたので、保険に入っていない状態に自分があることにふと気づく。手続きをすれば自分で保険に入れるのだけど、この状態ではそういったことをすることもできない。大怪我しないことを祈るのみ。

松江市に入り、宍道湖の脇を走る頃には再びアキレス腱が痛みだして、競歩みたいなフォームで走ることになる。後ろからずっと伴走してくれていたニシダさんはニコニコしながら「慎さん、なんかフォームがどんどんヤバくなってますね」とつぶやいていた。

こういう時にはテーピングの貼り替えが必要。出雲市に入ったらすぐにあった道の駅で長めの休みをとる。唐揚げ定食を食べながらテーピングを貼り替えるとともに、Readyfor?のプロジェクトで約束していた、「出雲大社で代わりにお祈り」をする相手の名前を携帯電話にメモする。それが終わったら50分が経過。

貼り替えていたテーピングをテーブルに一時的に置いていたら、同じく道の駅を利用していたおばさんに叱られる。そういえば、この期間には色んな人に叱られたなあ。こういう基礎的なことができていないのは、子どもの頃から全く進歩していない。特に疲れていると素が出てきてどうしようもなくなる。

道の駅を出発したのは13時。出雲大社までの距離は残り18km。休息とテーピングのお陰で足も少し調子が戻り、時速6kmで再び走りはじめる。そして、出雲大社にはほぼ予定通り16時に到着。

(出雲大社)

縁結びの神様がいるらしい出雲大社は噂通りとても立派な神社だった。到着したのが夕暮れ時だったので人も少なく、ゆるりと歩きまわることができた。本殿でファンドレイジング協力者の方々へのお祈りを済ませ、おみやげの縁結びお守りを買ったあとは、自分自身のお祈りをする。新しい仕事で良い縁に結ばれるようにと。

(出雲大社近辺のローソン)

それにしても島根県は神社が多いし、神話の登場人物の姿を見ていても、よくある和装とは出自が異なっているような服装も多い気がする。かといって、中国や朝鮮半島の影響が明らかというわけでもない。大陸と距離的にも近かったので、色々な文化の行き来があり、この独特なスタイルになったのだろうか。

出雲大社の近くの出店で牛肉おにぎりとぜんざいを食べたところで、ニシダさんとはお別れ。今まで最長で50kmまでしか走ったことがないのに、泣き言一ついわず170kmを走りきったのは見事だと思う(後日談によると、本人は本当に大変だったのだが、それを察知されないように気をつけていたらしい)。

すっかりと夕暮れになった後、宿泊予定地まで15kmのランニング。出雲の中心を出てからは平地がなくなり、海岸沿いであっても坂道の繰り返し。やっとの思いで目的地にたどりついたのは20時頃。

元気が出る食べ物を、とあたりを見たら寿司屋があったので入る。メニューも値札もついていない、とても高級そうな感じの寿司屋さん。味もこれまたお見事だった。「お寿司、本当に美味しいです」と言ったら、「日本海で採れた魚でも、本当に最高品質のものは全部東京に行くようになっているので、手に入れようとしたら漁師さんと直接契約するしかないんですよ」と話していた。地元の人が支払うよりもずっと高い値段で、東京の高級寿司屋や料亭が仕入をしているので、美味しい魚は全て東京に行ってしまうのだそうだ。

明日も頑張るためにお寿司をたらふく食べ、ビールと日本酒を飲んで、少しビクビクしながら「お勘定はいくらでしょうか?」と聞いたら、全部で4,800円だった。安くはないけれど、多分東京で同じことをしたら4倍の値段にはなると思う。東京で修行をしてから地元に帰ってきた板前さんは、「田舎はこんなもんですよ」とすこし自嘲気味に笑っていた。

この先からは、今までと全く違ってほとんど平地は存在せず、ずっと坂道続きらしい。地元の人でさえ、「ここから先は本当に何もないから気をつけて」と話していた(ところで、この期間「この先には本当に何もないから」と何回聞いたことだろう)。海岸沿いだから平地だと思っていた自分が甘かった。気を引き締めて頑張ろう。

目的地のホテルで風呂に入っているうちにやけに息苦しくなり、ホテルの部屋でうずくまりながら10分ぐらいゼエゼエしていた。熱い風呂が心臓に負担をかけたのだろうか。さすがに身体も疲れているみたいだ。残り4日、無事に走りきれますように。


24日目(出雲市→浜田市)

どんどん疲れが溜まってきているので、朝の起床もずれてくる。昨日眠ったのは12時、朝起きたのは4時半で、ホテルを出たのは5時20分頃。ホテルの中で提供されていた暖かいコーヒーを飲んで出発。

例によってお腹が空いて仕方がないので、ローソンに入って食事をとる。今日の朝ごはんは、広島風お好み焼きとどん兵衛特盛。外の気温は0度近いので、お好み焼きは一気に冷えきってしまったが、どん兵衛は暖かいままで、歩きながら食べ終えたらまた元気が出てきた。

昨日の寿司屋でお話を聞いた通り、この日はこれでもかというほどに坂道の連続。峠は一番高いものでも200mも無いくらいなのだけれど、ひたすらに坂道が続くので、累積の標高差ということでいえば1000mは軽く超えていると思う。地図を見る限り、本当に何も無さそうなので、途中で入った大田市で見つけたドラッグストアでテーピングを多めに買い込んでおく。

(出雲市を過ぎてからの山陰道。歩道が文字通り存在しない)

その後もひたすらに山道が続く。しかも、道幅が狭く、歩行者用道路も存在しない。車はすごいスピードで通りすぎていくので、精神的なストレスもかなりのもの。特にトンネルは相当に怖い。

(このトンネルとか本当に怖かった)

ようやく40kmを過ぎて、山間の温泉津温泉(ちなみに、これは「ゆのつおんせん」と読む)に来たあたりでドライブインに入り、天ぷらそばとホットケーキとコーラを注文し、待ち時間と食べながらの時間でテーピングを貼り替え。レストランのおじさんが、頑張れと暖かいお茶を入れてくれた。

この温泉津温泉を出発して江津市に入ってようやく平坦な道が10kmくらい続く。もう足はかなり痛くて、少しでも気を抜いて走っていたらかなり深刻なダメージが身体に残りそうな状態になっている。走るフォームだけに意識を集中して、走り続ける。

最後の峠を越えて浜田市に入ったのは9時頃。ここにもあった居酒屋「かば」(どうやら安来で入ったのが本店だったらしい)で刺身の盛り合わせとご飯とビールを食べる。のどぐろが美味しかった。

ホテルに着いてベッドに寝っ転がったらすぐに意識不明になり、1時間後に目が覚める。仕事のメールを返したり再来週のフライトのブッキングをしていたのだけど、航空会社のシステム処理にとても時間がかかり、1時間以上かけて予約がとれたと思ったら実はその便が取れないことが分かり、茫然自失したところでもう時計は午前1時半。とりあえずは3時間だけでも眠ろうと決めて眠りにつく。


25日目(浜田市→須佐駅)

なんとか午前4時40分に起きて、テーピングを貼り、ホテルを出たのは5時20分頃。身体が温まる前には足も重く、近くにあるセブン・イレブンまで歩くのに一苦労。今日の朝ごはんは、チキンバーガーとどん兵衛の天そばにコーヒー。それと、ここから先にはあまり店が無さそうなので、食料を大量に買い込んでおく。

セブン・イレブンの店員のお姉さんが、商品を袋にいれている間に「自転車ですか?」と聞いてきたので、「いえ、ランニングです。あと少しで下関です」と答える。「大変だねえ。頑張ってください」と励まされる。

買い物を終えてどん兵衛にお湯を入れたりコーヒーを入れたりしている間に、貼るホッカイロを買い忘れていたことに気付き、またそれを持ってレジに行く。この時期になると朝は氷点下になるので、ホッカイロがあったほうが随分と楽になる。

レジにいたのは、さっきと同じ店員さん。「ホッカイロなら私持っているよ。おばさんので良かったらあげようか?」と持ってきてくれた(ちなみにこの人はおばさんと自称していたけど、本当に若々しい人だった)。店を出る時に「気をつけて行きんさいね」とかけてくれる一言が有難い。この旅の期間は、何回も人の優しさに救われた。

この日もずっと続くアップダウン。特に益田市までは本当にこれといったものもなく、坂道の登り降りを続ける。あまりにもしんどかったので、iTunesストアでZARDの「負けないで」を購入。この歌、ちょうど早歩きのテンポで進んでくれるので、坂道を登るのにちょうどよいだけでなく、「負けないでほらそこにゴールは近づいてる」という歌詞が今の状況にピッタリだ。何回も同じ歌をリピートさせながら益田市まで向かう。

(先にある交差点を右に曲がると、国道191号線)

残り25km地点である益田市についたのは15時頃。ここで、ついに京都から走り続けてきた山陰道に別れを告げて、最後の国道191号線に入る。あとは基本的にこの道をずっと通って下関まで行くだけ。ユニクロがあったので手袋と下着を買う。元々持っていた手袋はなぜかボロボロにやぶれてしまい、靴下も擦り切れてしまっていたので。パンツについてはこの期間替えを持ってくるのを忘れ、毎日同じものを夜ホテルに着く度に洗っていた。

その後、ユニクロから歩いてすぐのところにあるガストに入り、豆腐サラダとぜんざいとオムライスを頼む。テーピングを貼り替えていたタイミングで、応援に来てくれたマキが新しい靴を持ってやってきてくれた。履いていた靴は、もう固いゴムの部分は消え失せ、クッション素材である白い発泡スチロール(?)みたいな部分も半分すり減っている状態。新しい靴を履くと、気分は顔を入れ替えたときのアンパンマン。足元も大分安定してきた。15分仮眠をとって、17時前に益田市を出発した。

マキも最初まで一緒に走ると言い、着いてきていた。本当は戸田小浜駅でお別れして、そこから彼女は電車に乗る予定だったのだけど、駅があまりにも暗くて寂しく、ここで1時間弱待つのには不安を覚えたらしい。結局、次の飯浦駅まで一緒に走ることに。真っ暗な道中を、二人分の荷物を抱えて走り、がらんとした飯浦駅でマキが電車に乗るのを見届けてから、今日の目的地である須佐まで向かう。

ずーっと続く長い坂道を歩いて登り抜けたところで、ついに山口県に突入。青森県からやってきて、ついに最後の県に辿り着いた。事前に調べたところによると、益田市を抜けてからは40km以上コンビニが全く無いという情報だったのだけど、少し進んだところでポプラを発見。迷わず入って、最後の食料を調達して、残り10km先にある須佐に向かう。

須佐から徒歩1分の好月旅館に着いたのは21時20分頃。旅館の人は、ご飯が冷めてはいけないから、と食事を調理せずに待っていてくれた。

(男命イカ。命に感謝して、最後まで頂きました)

須佐之男命が降誕したという須佐で取れるイカは、男命イカ(みこといか)といって、この旅館ではその踊り食いを出してくれる。踊り食いは精神的にも大変な食べ方ではあるけれど、命を頂いているという有難さを教えてくれる。

山口の有名な日本酒といえば獺祭なので、獺祭を頼んだら、「日本酒にしますか?焼酎にしますか?」という返事が。獺祭の焼酎があるなんて初めて知った。日本酒の香りがする不思議な焼酎で、非常に美味。

美味しい料理で元気が回復したところで、就寝は12時。あと2日。


Day 26(萩市 須佐→長門市)

4時半に起床し、暗いうちに旅館を出発する。とにかく眠い。近くにはコンビニも無いが、旅館のおばさんが作ってくれたおむすびを食べて出発。

暗い坂道を歩き、早速一つ目の峠を越えるころには夜が明ける。海岸沿いの通りを走り続ける。

とにかく今日は眠い。走り続けながら眠ってしまいそうなくらい眠い。このままだと走ったまま眠って車に轢かれるかもしれないと思ったので、途中にあった阿武町の道の駅でコーヒーとパンを口にして20分間仮眠する。目が覚めたらまたノソノソと走り出し、萩市の市街まで向かう。

以前大学の軽音部の先輩と一緒に来た萩は相変わらず気品のある町だった。長州藩のリーダーたちの旧家がそのまま保存されている区画は特に美しい場所。

萩を越えると、今度は長門まで向かう峠道。Google mapの示す通りの近道を進んだら、ずっと坂道の連続で若干辟易とする。途中でアキレス腱に嫌な痛みを感じたので、飯井のあたりでテーピングを貼り替える。日陰の寒い中でテーピングを貼り替えたので、足が痛くなるくらい冷えきってしまったが、どうしようもない。とても急な坂道をとぼとぼと歩く。

(長門に向かう高い峠を登りきったところで暗くなってきた)

長い峠道を越えた頃には辺りは暗くなり、またもヘッドライトをつけてのナイトランの開始。長門市街に入ってからは平坦な道を進み、そこを越えるとまた小さな峠道。

今日は、萩に昔一緒にきたトニー先輩に楊貴館というホテルに泊めて頂く約束をしていて、その約束の時間は20時半。どうしても間に合いそうにない。峠を登り、県道286号線に入って1kmくらい走ったところで、先輩が車でピックアップしてくれた。そして、ホテルに着いたのは20時40分頃。

ホテルで待っていたのは、ふぐ料理のフルコースと獺祭。この期間で食べたどのご飯よりも美味しかった。温泉も、ぬめりがある独特の泉質をしていて、疲れた足を癒してくれた。

酒と温泉のお陰で眠気がやってきて、12時には正体もなく眠りにつく。いよいよ明日でこの長い旅も終わりになる。


27日目(長門市→下関駅)

ついにやってきた最終日。

ホテルのベッドの上で目が覚めたのは午前7時。完全に寝坊した。しかも、今日の午前9時までに提出しなければいけない仕事の資料作成を全くすっぽかしたままだった。身体にも熱がある。原因は昨日そのままベッドに倒れこんで眠っていたためで、布団をかぶっていなかったから。しかも、毎晩やっていた足のアイシングもしていない。最後の最後に自分の詰めの甘さを呪う。でも、後悔してもしょうがない。前を向こう。

朝7時半からホテルで朝ごはんを食べる。ご飯は4杯お代わり。食べられるだけ食べる。身体が食べ物を消化している間に、朝までに作らないといけない資料を作りこむ。そして、テーピングを終えてホテルを出発したのは9時20分。先輩がピックアップしてくれた場所まで車で送ってくれた。

(先輩の車。ルパン三世みたいでかっこいい)

9時40分頃からランニング開始。疲れが溜まっているので、想定時速は5km以下、70kmの距離を走るのには14時間はかかるので24時頃到着かと覚悟を決めていた。

しかし、走り始めてから身体の変化に気づく。体調が、これまで走っていたどの日よりもいい。温泉と美味しい食事と深い睡眠、更に今日が最後だという状況からくる精神的高揚感も効いているのだと思う。ランニングの時速を測ってみたら、7.5kmくらいまで出ていた。休憩を入れても時速6.5kmくらいで快調に進む。しかも、今日の道はとてもなだらか。

(このウルトラマラソン最後の夕日)

美しい海岸線でこのマラソン最後の夕日を拝んだところで日が暮れはじめ、下関駅から28kmのところにあるコンビニ(やっぱりポプラ)で一休み。唐揚げ弁当を食べながらテーピングを貼り替える。

最後の28kmは、時速7kmくらいで進むことができた。とにかく快調。これまでの苦労が嘘だったかのように体調が良くなっている。

18kmも走ったところで下関の中心部に入る。大都市で街灯の光が十分にあるので、ヘッドライトも不要になる。明るい市街地を走りぬけ、下関駅に到着したのは午後10時頃。長い旅が終わった。

ホテルにチェックインした後、近くの焼肉屋まで歩き、タン塩・ハラミ・ミノと大盛りライスとカルビうどんを食べ、温泉へ。明日も朝から仕事があるとはいえ、時間を気にする必要もなく、ゆっくりと温泉につかりながら、ホテルに置いてあった漫画を読む。部屋に戻り、1時には眠りにつく。


走り終えた最後はいつもそうだ。ゴールはそこにあるのだけど、そこに辿り着いたときには、ゴールはただの通過点と化していて、達成感はあまり沸き上がってこない。あるのはどちらかというと、ここまでは辿り着いたという実感と、ここまで支えてきてくれた人びとへの感謝の気持ち。

そして、ゴールと決めていた場所に辿り着いた時点で、次の何かがまた見えてくる。ああ、旅に終わりはなく、ただただ方向だけがあるんだなあと思う。


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