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言葉にならない悲しみ

時々やってくる悲しみと怒りがなかなか言葉にならない。僕は書くことで心を落ち着けられるので、ちょっと書いてみることにした。

モディ政権は突然に極めて過激なことをする。2016年にはいきなり高額紙幣を廃止して、大騒動になった。市中からキャッシュが消えて、キャッシュレス化できていない地方の人たちの商売が一気に滞った。情報アクセスが十分でない人たちが高額紙幣を期日までに銀行に提出しなかった結果、タンス預金が紙くずになった。一番苦しんだのは、高額紙幣廃止がターゲットとしていた悪徳政治家・業者たちではなく、一番弱い立場にいる人たちだった。

2019年には市民権改正をいきなり打ち出した。結果として、バングラデシュ等の隣国にルーツを持つ人の大勢が国籍を失った。その数は200万人ともいわれる。多くの人が、これがモディ首相率いるBJPのヒンズー・ナショナリズム(仮想敵はムスリム)であり、国内のヘイトスピーチ・ヘイトクラムをさらに酷くすると反対した。インド東側で多くのデモが起き、少なくない人が亡くなった。このときも、不利益を被るのは立場の弱い人達だった。

そんなインドで突然にロックダウンが宣言されたのは2020年3月24日。実施は25日からだった。

この知らせを同僚から聞いて、僕が真っ先に心配したのは、大勢の出稼ぎ労働者や低所得層の人たちだった。その数は1.5億人ともいわれている。

インドの山奥で出稼ぎ労働者たち向けに提供されている金融サービスについては以前noteに書いていたことがある。

出稼ぎに出る男たちの多くは中卒で、工事現場で働くことが多い。若ければ10代半ばから出稼ぎが始まる。稼ぎはスキルがなかったら日当450円、あっても800円程度。毎日仕事があるわけでなく、雇用主の都合ですぐに仕事が無くなる。一ヶ月に働けるのは20日程度。雇用主がお金を払わない、労働者を騙す、機材を壊してしまった人を数ヶ月タダ働きさせる、といったトラブルにもよく見舞われる。法廷闘争するにもお金がない。

インドに限らず、途上国で暮らす人の相当数が、生きるために毎日働かないといけない。病気になっても、数日間休むことすらままらならない人がいる。ある程度蓄えがある人であっても、1ヶ月間仕事をせずに食べていくのはとても困難なことだ。

モディ政権はこういった状況にある人たちを支援するとは言っていたが、大量に存在する非正規労働者たちの全容を把握しているはずがない。全ての人に必要な支援を届けるのは不可能だということは明らかだ。日本のように行政サービスが丁寧に行き届いている国は多くはない。

インドでのロックダウンが延長されるたびに不安は増していった。このままだと死ぬ人が大量に出る。ウィルスよりも多くの人が死ぬ。

果たしてそれが実際に起こりつつある。多くの出稼ぎ労働者の貯蓄が底をつき、仕事もない都市を離れて地元に戻ることを決意した。ロックダウンで交通機関が動いていないため、歩く・ヒッチハイクなど以外に方法がない。中には子どもや高齢者を連れて歩かないといけない人たちもいた。

距離は短い人で200km、長い人だと1000kmを超えた。この時期のインドは灼熱で、特にデリーなどがある北部では最高気温が40度を上回る日が続く。それを荷物と子どもを抱えて歩く。多くの人が行き倒れたり、車に轢かれたりして亡くなった。報道されない死者はもっと多いはずだ。

感染の蔓延から人々を守らないといけないという正論は分かる。だけど、途上国の低所得者層の人たちは、毎年かなりの人が様々な病気(日本であれば死なないもの)で亡くなる。肌感覚だと0.2〜0.3%くらいだ(マイクロファイナンスの顧客が亡くなったら債務免除をするのだけど、それは取締役会決議事項になっている)。

おそらくだけど、COVID-19の実際の死亡率は、他の比較的致死性の高い病気と比べて格段に高いわけではない。勝手に代弁することは避けるべきだけど、彼ら彼女らにとっては「死にやすい理由が一つ増えた」だけだと、ある同僚が話していた。他にも心配しないといけないことは、いっぱいある。

ただ、医療アクセスが十分にあるお金持ちの人や、権力に近い人たちにとってはそうではない。インドのお金持ち向けの医療サービスのクオリティは相当に高い。だが、口利きをしてもらっていい病院に連れていってもらっても、COVID-19が発症したら助からない可能性がある。

これは先進国・途上国にかかわらず、世界中で起きていることだ。一定の蓄えがあり、ホワイトカラーワーカーであり、年齢は高く、肥満(多くの基礎疾患のもとでもあるし、途上国だと裕福さとほぼ連動している)である人たちは往々にしてロックダウンを続けることに対して肯定的になる。往々にして権力に近いところにいるこの人たちのリスク最小化のために、声が小さい人、立場の弱い人たちが病気以前の死の危険にさらされている。

かてて加えて、多くの権力者たちはこの機に乗じて自らの権勢を強化することに躍起になっている。大勢の人が塗炭の苦しみを味わっているのに、そんなことをできる人たちには怒りを抑えられなくなる。国際協調も弱体化の一途をたどっていて、それはまた外部ショックに対して脆弱な人たちの立場を弱くする。

そして、僕はこんな状況で現場に行くことができず、毎日各国のニュースサイトを見たり、現地の同僚たちの話を聞くことしかできていない。そんな自分の置かれた状況にも腹が立つ。グループ会社がインドの出稼ぎ労働者のために食糧支援を大々的に行っていることを知り、少しだけ慰められた。

もちろん日本でやるべきことはいっぱいある。こういう時だからこそ必要とされているサービスを届けるための資金調達、今だからこそできる組織のインフラづくり、一部の国で遅れていたDXを推進するための準備(危機感があるときでないと成功しない)など。みんな日々忙しく働いている。

悲しんでも誰も助からないので、日々粛々と仕事に取り組んでいるわけだけど、それでも時々言葉にならない悲しみと怒りがやってくる。


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