非営利事業のリーダーたちに大切にして欲しいこと

LIPの理事長も退任して、今は時間がある限りのお手伝いをいろいろな場所でしている。そのお陰で、少し客観的にいろいろな組織を見られるようになったので、思うところを書いておきたい。とくに非営利組織のリーダーたちに読んでもらえたらうれしいな。(僕は自分の会社経営でもこの点は結構大切にしている)

1.原体験の奴隷にならない
だいたい非営利事業を始める人の多くが、子ども時代や青少年時代に辛い体験をしていて、それが理由で何らかの活動を始めているように僕は観察している。そういった原体験は素晴らしいことなのだけど、ただ、その原体験をあまりにも神聖化してしまっている人が多いように思う。(例えば、自分の家庭が素晴らしい場所だったから特別養子縁組に断固反対とか、逆に自分の家庭があまりにもひどかったので特別養子縁組を絶対推進しちゃうとか)

体験は個々人にとってユニークなものなので、それを神聖化すると、課題解決における思考の柔軟性が下がり、結果として受益者である人たちが迷惑する。自分の大切な思い出はそっとしまっておいて、日々の活動の原動力にはしつつ、その原体験の奴隷にならないようにしてほしい。

2.仲間がシラケることをしない
往々にして非営利組織は多くの人の善意が寄り集まって動いている。支援者や仲間が費やしてくれる工数に適切な報酬を払ったら、とても事業としてやっていけないだろう。だからこそ、仲間が「やってらんねーよ」と思うようなことをしてはいけない。僕が観察する限りだと、主に3つある。

・一部の人間だけで意思決定をしてしまう:皆自分たちが対等な仲間だと思って活動をしているのに、一部の人間だけでものごとを勝手に決め、その意思決定プロセスを公開しないようになると、周りの人は一気にやる気を失う。特に全員プロボノベースの組織で、こういうことをする人がいると、一気に人がいなくなっていく、というのをよく見た。

・間違いを認められない:間違いを認めたら自分が世界から消え去ってしまうと思っていそうな人が多いのだけど(これも、先にあげた原体験の奴隷になった結果である場合がある)、そんなことは決してないから安心してほしい。自分が間違っていたと思ったら仲間に謝る。善意で集まるような人たちの多くは許してくれるし、謝ることで強くなる絆だってあるのだ。

・自分に利益誘導してしまう:特に代表がそういうことをすると大変なことになる。例えば僕はEndeavorというNGOのボードメンバーに今もなっているのだけど、正式に団体が立ち上がりボードメンバーになった時点で他のボードの人達には自分の会社への投資のお願いは出来ないなと思った(一人だけ、たまたま他の株主経由で株主になった人がいる)。自分の友人がやっている会社に対する支援を優先させるとかも論外。もちろん論理的な線引きは難しいのだけど、自分自身に「私心がないか」と自問してやましいと思ったらやっちゃいけない。周りはみんなよく見ている。

3. 同じ領域で活動している人とちょっとの違いで喧嘩しない
僕は自民党がこんなに強くて、リベラルが異常に弱いのはちょっとの違いに対する寛容度の差にあると思っている。

自民党内の議員には僕にはとても理解できないような発言をする人もいるけど、その人が「問題発言」をしたときに自民党の他の議員は表立って批判したりはしない。党の内部では厳しい批判をしているかもしれないが、対外的には常に一枚岩だ。

だけど、日本のリベラル(そして非営利事業をやっている人の多くがリベラルだ)はそうではないことが多い。いつも全ての領域で、ちょっとした違いが許せずに喧嘩ばかりしているように僕には見える。そんな調子だと、組織が割くべきエネルギーが喧嘩にばかり使われて、結局目的を達成できない。

意見が違う人や、明らかに狭い見解を持っている人も受け止めて、その人たちの人間としての限界に寄り添い、皆を仲間にしていこうという雅量を持てないものだろうか。自分のエゴではなく成果を出すことに誠実な人は絶対そうするはずだと思っているのだけど。

違う角度からいうと、毎回のように意見の違いを受け入れられないこと(もしくは自分の考えた方針の変更を受け入れられないこと)は、他人でなく、自分のエゴを向いて仕事をしている証拠だと僕は思っている。もちろん譲れないことは時にはあるだろうけど、そんなに譲れないことなんて、年に1回くらいしかないんじゃないだろうか。

 

(何か思いついたら加筆するかもしれない→少しだけてにをはを直した@2018-09-04-9:38)

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