そうだったのか!現代史1/2・日本現代史

今年15、16、17冊目。

そうだったのか!現代史
そうだったのか!現代史<パート2>
そうだったのか!日本現代史

誰かと対談するときには、その人の書いた本を読んでから臨むのだけど、池上さんからは「それは実際問題として不可能なので、この三冊だけ読んでください。ここに私の問題意識が全てあります」といわれ、この三冊を手にとった。本書のテーマは様々な話題にわたり、それらをここにメモするのは単なる羅列になってしまうので、ここでは池上彰さんの問題意識がどこにあるのかという点を中心に考えたい。

歴史は事実の積み上げと思う人がいるかもしれないが、どの事実をとりあげ、どのような解説を加えるかは著者の考えに依存しているため、決して著者の思想から自由になりえない。例えば日本現代史について定評のある本といえば、半藤一利氏やジョン・ダワー氏の本などがあるが、やはり書き口はだいぶ異なっているものだ。

中立公正な語り口でのニュース解説が話題の池上彰さんだが、この三冊をとても注意深く読んでいると、確かに池上さんの思想や意見が見えてくるように思えてくる。古典を読むくらいの注意深さでゆっくりと合計1200ページ以上の本書を読んだ。

この3冊に通奏低音として感じられたのは、弱い立場の人々の側に立ち、権力を持つ人々に対決するという姿勢だった。ジャーナリストとは本来そういうものかもしれないが。具体的には次の3点。

第一に、労働運動については、労働者の側に立っていること。もう少しいえば、労働運動についての思い入れを感じられること。

全体のトーンの話なので、一つ一つの字句を取り上げることは困難だが、読んでいると労働運動へのシンパシーを感じる。例えば、三池闘争に関する章において那須俊春氏の「三池闘争は、後世に残る偉大な闘争です」という言葉を引用している箇所。こういった非常に主観の強い言葉を引用する場合、本書では必ずと言っていいほど池上さんの解説がつき、本全体のトーンが中立的なものに戻されるのに対し、ここでは同氏の言葉の引用で節を終えている。賛成も反対もせず。

水俣病に関する記述においても、「企業の社員という立場が、人間らしくあることをいかにむずかしくするものなのか。人間性を失わせる企業とは何なのか」という言葉が出てくる。大学生の頃にマルクスの著作やマルクス主義の書籍を多く読んでいた僕には労働疎外を思い出させた。

労働運動に限らず、学生運動、在日コリアンの問題、パレスチナ問題などについても、常に弱者の側に立っているように感じられた。ただ、とても中立的に見える書き方になっているので、主張がフェアなものとしてストンと落ちてくる。もし労働運動等の機関紙がこういったノリでものを書いていたら、もっと大勢の支持を得たのかもしれないと感じる。


第二は、労働運動や日本の共産主義者への共感の裏返しなのか、人々に災厄をもたらした社会主義・共産主義への批判の厳しさ。確かに社会主義の仮面を被った全体主義ほど多くの人を殺したものは存在しないように思うが、やけに批判が厳しいなというのが気になった。唯一の例外はキューバとベトナムだが、これはどちらもアメリカに対抗する立場で描かれているからなのかもしれない。

共産主義・社会主義がなぜうまくいかなかったのかを批判しつつ、 ソ連崩壊後に多くの人びとが党を逃げ出したことを取り上げ「この点が、不利益を覚悟して、自分の信じるイデオロギーで共産党に入っている資本主義国の共産党員とは異なるのです」と書かれているのが印象的だった。先に述べた第一点と組み合わせて読むと、著者のスタンスが浮かび上がってくるように思う。

なお、僕自身は、社会主義革命というのは本来、ゲバラが言ったように、人間による人間の収奪を無くすことだと思っている。そして、それが出来ていない国家が革命を語るのはちゃんちゃらおかしいと思っている。このゲバラの定義に従うのであれば、革命は新たな王朝を作り上げるために存在しているものではない。


第三は、ソ連とアメリカ、旧宗主国への怒り。実際にそうなのだが、本書の記述を読むと、現代における紛争の多くは大国が自らの都合で行ってきたことの結果であるというように読めます。アフガニスタン、インドのパキスタンとの分離、中東紛争など、すべて大国(イギリスなども含み)が何が正しいかではなく、自分たちの都合でものごとを進めていった結果、生み出される悲劇が多い。多くの国が語る美辞麗句がいかに薄っぺらいものかというのが、本書を読んでいると痛感させられる。

個人的には、もちろん旧宗主国や大国がこういった惨禍の種を撒いたのは事実だと思うが、とはいえ数十年が経った今であれば、その国に住む人々にもある程度の責任があり、それをきちんと指摘していくことは大切なのではないかと思う。少し例は変わるが、僕たち一人一人は過去の生い立ちから無縁ではなく、いま問題行動を起こしている大人たちの多くが過去に何らかの経験をしていることが多い。そういった人々を包摂しつつ、その人々に対しても過去だけを論難せず自分の足で人生を踏み出していくことを促し、支援するべきなのだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?