竹井善昭氏の「児童養護施設をいますぐ止めるべき理由」が一部ミスリーディングな件

児童養護施設は税金の無駄遣いであり、無くすべきなのではないか――。日本の社会保障費の削減のためにも、そして、なによりも施設に入居している子どもたちのためにもそう思う。(同記事冒頭より)

僕も連載を持っていたので、基本的にウェブマガジンのタイトルが釣りっぽくなるのはよく分かっているのだけど、これは内容に関しても一部ミスリーディングなものがあるので、書いておこう(もちろん、全部ミスリーディングというつもりはないです)。

予め僕の立場を明らかにしておこう。児童養護施設に住みこみをして以来ずっと関わっており、今は評議員もしている。一方で、個人で里親のようなことも2年間やっていたので(「ようなこと」と書いたのはお金を国からもらってないから)、多分両方の事情も葛藤もある程度分かると思う。それと、ここ2年位アドボカシーもやっているので、政治家、官僚、業界団体の人たちがどういうことを考えているのかも、ある程度分かっているとは思う。

まず言葉について。親と何らかの事情で暮らすことができない子どもを社会で育てる仕組みのことを、社会的養護という。施設で子どもを育てるのを施設養護、家庭で子どもを育てるのを家庭的養護という。施設養護の代表は児童養護施設や乳児院、家庭養護の代表は里親だ。


さて、竹井氏の記事について、いくつかコメントしよう。大きく四つだ。

1.施設養護により多くの国費がかかるのは事実だが、コスト比較は見えないコスト転嫁も踏まえて行うべき
まず施設養護は、当然ながら里親よりお金がかかる。それは、子どもの養育費のうち、家賃・家事全般のために費やされるお金の結構な部分が、里親家庭では不要だからだ。特に大きいのが家賃。だから、国や地方公共団体の支出を減らすという観点のみからみれば、施設養護より里親養護のほうが望ましいというのは事実。

ただし、この支出差は政府から家計へのコスト転嫁の結果そうなっているのであって、社会全体で負っている費用の価値の総額はそんなに大差がつくものではない。よって、この記事で一般家庭の養育費と比較しているのはミスリーディング。というのも、そこには専業主婦の家庭内労働の対価が含まれていないし、社会的養護を受ける子どもは普通に家でほったらかして育つよりもより手厚い養育を必要としているから。

もちろん、それを踏まえても(遊休労働の活用という点においても)、経済的には里親養育のほうが優れているといえるだろう。


2.子どもは家庭的な環境で育つべきであり、家庭的環境を提供するという点で施設養護が家庭養護に劣るのは事実
次に、子どもが家庭に近い環境で育つほうが望ましいというのも事実。特に大舎・中舎とよばれる、合宿所のような環境で子どもが育つのは、子どもの心に様々な問題が生じやすいとされている。特に乳幼児の場合、担当する保育士さんがコロコロ変わったりすると、子どもは一人の人間と愛着関係を築く経験(多くの場合は親とこの関係を結ぶ)がなくなってしまい、それは子どもに愛着障害をもたらす。また、乳児院にいる乳幼児が児童養護施設に移動するときに、子どもは保育士さんから引き剥がされ、それも子どもの心に大きな悪影響を与えるのは事実。

この問題は大抵の施設でも認識されていて、施設そのものも家庭に近い環境で子どもが育つように物事を進めている。僕のいるLiving in Peaceがやっているのは、こういった合宿所のような施設を、集合住宅のようなものに変えること。ただし、多くの施設において、家庭的な環境に施設を変えるのが財政問題その他で全然進んでいないことは事実だ。しかも、施設という形態で、職員が途中で変わったりすることがある以上、里親家庭と同じような家庭的な環境を出すのは相当に難しいだろう。


3.施設出身者と里親出身者の比較はapple to appleになっていない。施設出身者に問題が生じることが多いのは、より深い心の傷を負った子どもが施設にいくためという要因も大きく、養育環境だけの問題ではない
同氏は「児童養護施設は、1人当たり1億円もの費用をかけて、ホームレスやワーキングプアの若者を量産している」と言っているが、これはちょっと事情を把握していないか、ミスリーディングだろう。

子どもは何らかの理由で親から引き離されて、まずは児童相談所に移される。そこで、児童福祉司(役職名)は子どもが家庭に戻るべきか、里親養育を受けるべきか、施設養育を受けるべきかを考える。これは、子どもの家庭環境や、受けている虐待の影響(心理診断なども行う)を把握した上で決められる。

ここで、心理的なダメージが大きいと思われた子どもは施設養護を受けるようになることが多い。それは、里親家庭で子どもが大きな問題を起こした場合、里親家庭そのものに負担がかかったりする(場合によっては家庭が壊れる)一方で、施設で問題が起こってもそれは職員の配置換えなどで対処できる確率が高いからだ(さらに、施設には心理療法専門の職員もいる)。どのようにして問題が起きるリスクを下げるかという観点に立った際には、問題を起こしにくそうな子どもは里親に、起こしそうな子どもは施設に、ということが起こりやすい。なお、ただの里親では被虐待児を預かることはできず、被虐待児を預かれるのは専門里親のみ。

なので、社会的養護を受ける子どもの中で施設にいる子どものほうが問題行動(といっても、これは子どもたちのせいではないのだけど)を起こすことが多いのは、そもそもの母数となる子どもの違いを考えると当然のことともいえる。すなわち、施設出身者・里親出身者の比較はそもそもapple to appleになっていないのだ。

ただし、環境が子どもに与える要因も大きい。児童養護施設を見ていても、施設によって子どもの育ち方のばらつきが大きいのは、養育環境が子どもに与える影響を示してくれるのだろう。高校卒業生がほとんど大学・専門学校に進学する施設がある一方で、半分の子どもが高校中退する施設もある。施設の養育環境がちゃんとしているかどうかによって(特に職員の本気度や人員数)、子どものその後は大きく異なってくるのは事実だが、それは一般家庭でも同じことだ。


4.施設がゼロが望ましいというのは誤り
ここまでを踏まえて言えるのは、次のことだろう。

・家庭的養護は乳幼児や虐待の心のダメージが少ない子どもにとっては望ましいものであるが、心のダメージが大きい&比較的年齢の高い子どもを受け入れるには難易度が高い。

・施設養護は家庭的な環境を子どもに提供しにくいという短所はあるものの、とはいえ心のダメージが大きい&比較的年齢が高い子どもの受け皿としては必要である。

なので、両方の現場を踏まえて考えれば、施設ゼロが望ましいという結論には決してならない。ただし、日本で施設養護の比率が高過ぎる(8割以上)のは問題であると僕も思うし、この割合はより少なくなっていくべきだろう。特に乳幼児に関しては、長期的にその子どもが家庭と再統合できない可能性が高いと考えるのであれば、ほとんどの子どもは里親家庭で養育されたほうが望ましいと思う。どうしてもマッチング先が見つからない乳幼児を一時的に乳児院で預かることがあっても、可能な限り早く里親とのマッチングを目指すべきだろう。

実際問題、日本では施設側のほうが歴史的に数も多く、組織としてもまとまっており、過去数十年にわたって行政との関係を里親よりも強く持ち続けてきたため、声が大きいという問題はあると思う(とはいえ、その声も、日本社会の他のロビー団体に比べるとメチャクチャ小さいのだが)。そして、それが里親・施設のバランスをいびつなものにし続ける圧力になっている可能性は否定できない。しかし、子どもの観点にたって、適切な家庭養護・施設養護の割合を提供する社会にするべきだし、それこそが政治の仕事だろう。


X.個人的な雑感
いつも残念に思うのは、施設側と里親側の仲がいい地域が少ないこと。お互いがお互いを攻撃している。施設側は里親には専門性が足りないと言ったり、里親側は施設のような冷たい環境で子どもを育てるのはとんでもないと言ったり。子どもからすれば「そんな喧嘩なぞせず、ぼく・わたしたちにとって最もよい環境を用意してよ」と言いたいところではないだろうか。

だいたい、真実は論争する両者の間に落ちているものだ。その真実を大切にすることが、本当に子どものためになると僕は信じている。


最後に、元記事でも書かれているHuman Rights Watchのイベントは、ここでお話をされている里親養育をメインテーマとしたものです。Living in Peaceもブースを出すので、興味のある方はこちらから申し込みを。


(急いで書いたので、誤り等あったらごめんなさい)

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