複数回増資をする企業におけるバリュエーションの一般理論とその示唆

スタートアップのバリュエーションについて、起業家側は結構悩むと思う。結果的に、ほとんどのバリュエーションは言い値で決まっていて(それはそれで極めて正しいあり方の一つだとは思うのだけど)、きちんとした理屈が述べられる場合はほとんど無い気がしている。

バリュエーションの考え方について、PEとかIBとかのセクターにいる人たちも納得できるフレームワークで説明する機会があったので、ここに書いておく。

ディスクレイマー:ここまで一般化された理屈は本邦初ではないかくらいに思っているが、単なる勘違いである可能性も往々にしてある。それと、仕事の合間にぱぱっと計算しただけなので、計算が間違っていたら許してください。

1回のみ増資する会社におけるバリュエーション

まず、増資のEconomicsについて理解してもらうために、とても単純な、増資が一回きりで終わる会社の場合を考えてみよう。

その時、その会社のバリュエーション(100%株式価値)は次のように決まる。(本来は増資後予定していたROEが達成されるまでの時間の機会費用などもあるのだけど、それはここでは捨象している。)

Post PBR = 会社が達成できるROE/投資家が期待するリターン
Post Valuation = Post PBR x 増資後の資本額
Pre Valuation = Post Valuation - 増資額
よって
Post Valuation = (ROE / 期待リターン) x (増資前資本額 + 増資額) 

たとえば、資本が100億円あって、ROEとして30%が見込める会社があったとする。その会社に投資しようとする人の期待リターンが15%で、増資に100億円分の応募が集まるとする。

そうすると、Post PBRは2なので、Post Valuationは400億円、Pre Valuationは300億円となる。この会社の経営者は、投資家に対して「じゃあ弊社の増資前の100%株式価値を300億円と見てください」ということになる。

「1回増資モデル」から得られる示唆

この超単純なモデルであっても、バリュエーションは次のような要因によって決まる。

・収益力:どれくらい高いROEを中長期的に見込むことができるか。それはすなわち、どれくらいマーケットが魅力的で、会社の経営が強く、ビジネスモデルが秀逸なのか、ということに依存する。
 当然ながら、収益力があるほど価格は高くつく。

・増資に応じる投資家の期待リターン:これはもちろんその事業のリスク(理屈でいえばベータ)も加味されるが、実際問題として、その会社に投資をすることで得られる戦略的な価値、さらには社会的な意義や個人的な想いみたいなものまで入ってくる。事業会社であれば戦略的な価値は重視されるし、個人投資家には社会的な意義を重視する人もいるだろう。
 そして、リスクの低さ、戦略的な価値、社会的意義は、投資家が期待するリターン、すなわち資本コストを下げる。そして、それはその分会社のバリュエーションを高める。

・増資額:出したいと思える人を多く集めることができるかどうか。それは事業や経営者の魅力であったり、調達環境であったりで決まるだろう。
 増資額が大きければ大きいほど、当然ながら会社のポストバリュエーションは高くつく。


複数回増資し続ける会社におけるバリュエーション

さて、上記の基本を踏まえた上で、問題を少し複雑にする。それは、今後も何回か増資を続けて成長していくと期待されているスタートアップに投資をする際のバリュエーションはどうなるのか、ということだ。

(本質的な結論に変化は無いので、ある回で参加した投資家が次回以降のラウンドに参加しないケースでのバリュエーションについて書く。)

一回増資モデルが複数回増資モデルになると、バリュエーションのされかたは一点だけ変化する。

Post PBR = 会社が達成できるROE / (投資家が期待するリターン / TJQ)
ここで
TJQ = [(1 - 各回の希薄化率) x (各回増資後資本/増資前資本)] ^ 今後増資数

Post Valuation = Post PBR x 増資後の資本額
Pre Valuation = Post Valuation - 増資額
よって
Post Valuation = (ROE / 期待リターン) x (増資前資本額 + 増資額) x TJQ 

このTJQは何かというと、今のラウンド以降に増資をすることで変化するリターン分を表現している。

このTJQに相当する指標について書いた人を見たことがない。結構大切だと思うんだけど。「トービンのq」みたいなものになることをやんわりと期待して、「TJのQ」を略してTJQととりあえず書いておく(冗談です)。

TJQが何のことだか分からないかもしれないので、もう少し説明しよう。

いま資本が200億円ある会社があり、その会社の期待ROEは40%だとしよう。その会社に100億円を投資して、25%のシェアを持っている投資家Xがいるとする。その投資家Xは、100億円を払って、80億円の利益(200億 x ROE)のうち20億円を手にしているので、その投資家Xにとっての現時点でのリターンは20%ということになる。

では、この会社が次に200億円を増資し、新規投資家に25%のシェアを提供するとしたら、投資家Xのリターンはどのように変化するか。答えは、

20% x TJQ
= 20% x (1 - 25%) x (400 / 200) = 30%

となる。なぜそうなるのか確認したい人のためにスプレッドシートを用意した。(青字を変えたら数字が変わります。計算式ちょっとルール違反で適当にしているけどご容赦)

TJQがなぜそうやって決まるのかは、初歩的な代数が出来る人なら誰でも導出できるはずだし、別に起業家にとって必要な情報ではないので説明は省く。


「複数回増資モデル」とTJQから得られる示唆

ちなみに、僕はこのTJQについてあまり理解されていないことが、PE・IBにいる人たちがスタートアップのバリュエーションについて理解をできない一因なんじゃないかと思っている。

この複数回増資モデルの大きな違いは、たとえ現在のラウンドで投資家に提供できるシェアが少なくても、TJQが大きければ現時点でのラウンドのバリュエーションが高くなるということだ。

TJQとはなにかというと「継続的に比較的安定したバリュエーションで資金調達ができること」の指標だ。換言すると、それだけの資本を吸収するに十分な市場があること、そういった市場でビジネスモデルを変化させつつ、継続的に投資家を呼び込めるような経営陣に対する期待、など様々なことが含まれる。

僕はこのTJQこそがスタートアップ投資において「経営陣にベットする」、「マーケットにベットする」ということの数字的な意味なんだと思っている。

例えば、毎回希薄化率15%で現在の資本と同額を3回調達できる経営陣であれば、TJQは4となり、5回ともなるとTJQは10を超える。TJQが10あれば、期待リターン40%みたいな大物狙いの投資家に対しても、高いバリュエーションを正当化することができる。

ここから先は

418字
頂いたお金は寄付に使います。毎年、noteの収益よりずっと大きな金額を寄付しています。2023は7,135,805円でした。

週末随想

¥800 / 月

毎週日曜日(その時の滞在国時間)に書きます。毎週の行動記録、雑感、振り返りが主な内容になります。守秘義務に反するものは当然書けません(匂わ…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?