走ることについて。9

3日目(盛岡市→北上駅)

5時30分に目が覚める。とにかく毎日メールがよく来るのだけど、仕事のメールを返したりしているうちに6時半になる。食事をぱぱっと済ませて、7時には盛岡の宿を出る出発。

すでに歩いても結構膝が痛く、走ると激痛。これはまずいなあと思いながら、歩きはじめる。今日は、北上までの50kmを進まないといけない。

雨は上がり、とてもよい天気。

それにしても、最近トレーニングを休んでいたとはいえ、こんなゆっくりのペースで走っていて腸脛靭帯炎になるのはどうもおかしい。皇居を全力で40km走っても、最後に少し出てくるくらいなのに。

もしかして、靴のせいでないか、と思いつく。今回のウルトラマラソン用に、ショック吸収力が強い中敷きを買ってみたのだけれど、それが走るフォームに何らかの悪影響を与えている可能性がある。

国道4号線沿いに大きめのスポーツ用品店があったので、そこに入り、靴を買いかえる。普段使っていたアシックスのシューズ(色違いだけど)が見つかったので、迷わずそれに履き替えて、また歩き始める。

靴を変えたとしても膝は痛い。本当に痛い。岩手あたりでこんな状況で、本当に下関まで辿り着けるのだろうか。まだ全体の15分の1しか走っていない。

歩き続けるのは、タイム的にもしんどいのだけど、精神的にもしんどい。休まずに早めに歩いたとしても時速は5km弱程度なので、前に進んでいる気があまりしないからだ。本当に気が滅入るので、iTunesでAKB48の「ヘビーローテーション」をダウンロードして聞いたら、思いのほかテンションが上がってびっくりした。アイドルすごい。それでも、2時間もしたらまた精神的にきつくなってきた。

いつも、こういう時は自分の身体と話す。自分の膝に「痛いのは分かるんだけど、僕は走りたいんです。なんとかならないものでしょうか」と心の中で話し(そして、「膝も自分の一部なのにそれはおかしいだろ」と自分に一人ツッコミしつつ)、なんとか走るフォームを変えてみる。

最初は10回くらいトライしても、やっぱり痛い。膝が「それじゃダメ」と言っているようだ。

でも、10回を越えたあたりから、すごく遅いペースなのだけど、走り方が分かってきた。200歩くらい走り続けられるようになり、走るのと歩くのを交互にできるようになった。更にもう少し試行錯誤するうちに、もっと走れるようになってきた。

30kmを過ぎたあたりからは、この歩きと走りの交互のおかげで、平均時速6km強で進めるようになってきた。この平均時速6kmの功労者はヘビーローテーション。この歌をリピートで長い続け、サビのパートだけ走り、他のパートは歩くということをすると、ちょうど1曲流れると500m走れることに気づいたので、ヘビーローテーションをずっと聴きながら走り続ける。いつもリズムがかっこいい系の音楽ばかりを流している僕のiPhoneのアルゴリズムはびっくりしたに違いない。今度iTunesストアに行ったときのオススメ曲がAKBに占拠されていたらどうしよう。

目的地の北上市に着き、商店街の中にある接骨院に入る。元柔道家の整体師さんで、とってもマッサージが上手だった。気をつけていってください、と今晩用のシップをくれた。それと、この整体師さんは年末に「元気ですかー?」とハガキを送ってきてくれた。本当にいい人だ。


4日目(北上駅→一ノ関駅)

何もしないまま爆睡してしまい、起きたら北上駅前のホテルで6時になっていた。ご飯を食べ、日経BPオンラインの原稿を書きあげ、その他メールを返していたら、あっという間に9時を過ぎてしまう。ルーチンでやる仕事があるので、それをどうやって毎日処理しながら走るかも大切な課題となる。

そこから出発。昨日の整体師さんのお蔭か、二日目以降で一番身体が軽くて、いい感じで進むことができた。膝は、30km地点くらいまではほとんど痛みもなくいい感じ。

元々は気仙沼経由で仙台にまで走っていく予定だったのだけど、平泉観光をしたくなったので、仙台まで国道4号線を走ることにした。

平泉はとても美しかった。源義経が最後を迎えた地。他の歴史ある観光地と違って人が溢れていないのもよい。そこかしこに桜の樹が植えてあって、春は随分ときれいなのだろうなと思う。

平泉から一ノ関駅まで走り、17時40分前に到着。汗をかいていたのでトイレで着替えて、電車に乗って気仙沼に向かう。気仙沼で働く友人とその下宿先のおばあちゃん(去年の暮にお会いして、また来ると約束してた)に会い、美味しいご飯をたくさん頂く。おばあちゃんが出してくれたカツオのタタキが本当に美味しかった。

夕食を頂いてのんびりしてきた20時過ぎ、そろそろ終電が近いかもしれないと電車を調べてみたら、終電が19時57分だったと知り愕然とする。驚くほどに早い。気仙沼の駅前ホテルで泊まることになった。


Day 5 (一ノ関駅→仙台市泉)

この日も気がついたら電気をつけたままベッドで爆睡していた。一度4時に目が覚めたものの、また二度寝してしまい、6時50分発の電車で一ノ関駅に向かう。明かりをつけたままだと熟睡できないので、何とかしないといけない。こういうところの規律が違いをもたらす。

一ノ関駅に着いたのが8時15分、そこからテーピングをしたらあっという間に8時40分を過ぎる。日に日により多くの部位が自分たちの窮状を訴えてくるので、その分テーピングが増える。結局今日キネシオを貼ったのは、首肩、両スネ、左膝、両足の腸脛靭帯、腰だった。走り終える頃にはミイラ男みたいになっているのだろうか。

明日中にできるだけ山形の近くに行っておきたいと思い、今日は仙台市最北の泉まで行こうと思い立つ。一ノ関から栗原市、栗原市から大崎市へと快調に走る。雨は降ったり止んだりだけど、靴がぐちゃぐちゃになるほどではない。昨日食べた美味しいカツオがきいたのか、体調も良い。

しかし、試練は最後にやってきた。大崎市を出てから仙台市まで行く道は、普通に考えると国道4号線で行けばよいのだけど、それがやけに大きな回り道をしているために、Gogle mapはより直線的な道順を指し示していた。

普段はGoogle先生がどんな近道を教えてくれても国道4号線を走っている。というのも、国道4号線はほとんどの区間に歩道があるし、いざという時に駆け込むコンビニもある程度頻繁にあるからだ。唯一の問題は排気ガスなのだけど、それはマスクをしていれば大丈夫な水準。

とはいえ、今回はさすがに国道4号線が遠回りしすぎだったので、Google Map通りに進むことにした。

これが失敗だった。結果、小さな山を4つか5つは越え、雨でぬかるんだ田んぼ道を走るというハメになった。確かに距離的には最短だけど、しんどさ的には大回りしてでも国道を走るべきだったと後悔しても遅し。道が単調でないので、いちいち地図を確認するために遅れるし、坂道では上りは必然的にスピードが落ちるし、下りは足に負担がかなりかかる。

20kmくらいの骨折りショートカットを終えたら残り10km。ちょっとコンビニで休んでキネシオをさらに大腿四頭筋に補強して最後の10kmを走り終えたのは23時ちょうど。仙台市に入ったときのうれしさといったらなかった。それにしても、各市町村のマークはどれもとても見ていて面白い。仙台市のそれは、やはり、というか伊達政宗だった。


6日目 (仙台市泉→作並駅)

本州横断マラソン第一ラウンド最終日。この日も見事に寝坊し、起きたら8時半に。食事を大量にとってテーピングをして出たのは10時。毎日長い時間テーピングをしているせいで、膝や腰がかぶれてきて大変なことになっている。そりゃ、毎日15時間以上粘着テープがひっついていたら、皮膚も氾濫を起こすなあと思う。ありがとう。

大峯千日回峰行を満行させた塩沼亮潤阿闍梨のいる慈眼寺にお参りしようと思っていたが、阿闍梨は本日外出でいらっしゃらないとのこと、通り道にある慈眼寺に寄ることはせず、直接に山形との県境まで向かうことに決める。

今日の距離は30km弱。走るに気持ちいい仙台市内を5kmも西に走ると、ひたすらにアップダウンの続く道を15km走って、小さな山を三つ越えて国道48号線、作並街道へ。この街道が、仙台と天童を結ぶ道。夜道を走るにはかなり危険そうだ。ここ数日の雨のせいか、土砂崩れもところどころで起こっている。道の途中には鳳鳴四十八滝が。雨で霞んでいるが、紅葉とのコントラストが美しい。

天童市まで30kmのところにある作並駅まで走ったらもう15時を過ぎる。ここから先はもう天童まで行かない限り引き返せないようなので、ここを第一ステージの最終地点とした。暖かい服に着替えて、電車で仙台に戻り、そこから新幹線で東京へ戻る。


日本の多様性について

青森・岩手・宮城と走ってみて感じたのは、日本は単一民族国家などでは全くなくて、どちらかというと連合国家に近いということ。アイヌや琉球は当然のことだけど、それ以外の土地についても、土地ごとの違いは相当に大きい。

青森と岩手の県境にあるスーパー銭湯に入ったときのこと。サウナで足のストレッチをしていたら、おじさん二人が入ってきて、世間話らしいことをしている。「らしい」と書いたのはこの人たちが何語で話しているのかが分からなかったからだ。「中国からやってきたのかな、でも、中国語っぽい響きじゃないからモンゴルとかなのかな」と思っていた。

この人々が地元の人であると分かったのは、そのサウナに他の人が入ってきてから。おじさん二人は、新しく入ってきた人にも会釈をして、会話をしていた。その新しい人の発音は多少聞き取れたので、はじめてこの人たちが話しているのが日本語だと分かるようになった。かなり耳を凝らして聞いていると、ようやく5%くらいが分かるようになってきた。

公用語なるものが書き言葉のみならず口語として存在するようになったのは明治維新後のこと。それ以前までは、高級言語である書き言葉を使いこなす一部の知識人層を除けば、お互いの言葉は通じなかったのではないだろうか。言葉が違えば風習も考え方も文化も違うわけで、「日本は国民の同質性の高い国家」ということもあまり言えなくなる。

おそらく、殆どの人が理解している日本の同質性の高さというのは、東京を中心とした都市部にやってきた人々が作ってきた「文化」(おそらく明治維新後に東京にやってきた西側の人たち、元々東京に住んでいた人たち、さらに西洋文化の混合)を、他の地方に住む人びとに無理矢理に押し付けた結果ではないだろうか。本来この国は、もっと多様性に富んだ人々の集まりであって、その多様性は、メディアにもどこにも出てこないけれど脈々と受け継がれている。そんなことを考えさせられた。


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