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石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか

知り合いから「素晴らしかった」と言われていた石岡瑛子の初の大回顧展。確かにすごかった。

亀倉雄策の「曲線と直線の宇宙」(もう絶版だが、本書はグラフィックデザインが好きな人は絶対に買ったほうがいい本)にも彼女はよく登場していたし、違う理由で堤清二の本も読んでいたので、PARCOで彼女が手掛けた一連のポスターがもはや伝説になっていることは知っていた。しかし、その後の石岡瑛子のことを知ったからこそ畏敬の念がわいた。マイルス・デイヴィスのアルバム、ビョークのコクーンが彼女の仕事だということを、僕は不勉強で全く知らなかった。彼女は死ぬ直前までほぼ最前線を走り続けていた。

高校時代に彼女がつくった「えこの一代記」をみれば、もともと才能があることはよく分かる。だけど、世の中には高校時代の神童も、芸大で飛び抜けた才能を示すクリエイターもいっぱいいる。その後売れる新進気鋭デザイナーも世界には一定数いいる。その後に巨匠になる人も少しはいる。

だけど、巨匠のポジションを得てでも、まだ変化を続けられる人を僕はほとんど知らない。大抵の人は巨匠どまりになって、そこからは工房を持って流れ作業をしがちになる。そして、同じようなものを大量に制作する(誰とはいわない)。彼女ほどに、30代後半で名声を獲得した後に、また変わり続けた作家(彼女はデザイナーというよりは作家だと思う)はすごく少ないと思う。

彼女自身がずっと世界で活動したいと思っていたこと、常にラディカルで革命的でいたいと願っていた石岡瑛子は、(おそらく)日本では絶頂といえるような名声を獲得したタイミングでニューヨークに移動し、自身の作品集であるEIKO by EIKOを名刺代わりに、誰も彼女のことを知らない街で自分を売り込み続けた。

これができる人は多くない。ある国で名声を獲得したら、もう放っておいても仕事は次から次にやってくる。スポンサーもつくので大きな仕事もやりやすい。ある程度英語ができれば、日本のスポンサー経由で海外仕事をして、それっぽく世界で活躍している雰囲気を出すこともできる。そういう恵まれた環境を捨て、ほとんどの人が自分のことを知らない街で一からまたやり直すことができる人は、本当に少ない。この姿勢は心から尊敬する。

彼女の考えていただろうことはなんとなくわかる。安住しないこと。常に、多少は居心地の悪い場所に身を置いて、試行錯誤して前に進み続けること。僕もそのようにして生きてきたし、当分はそうするんだと思っている。

アルフレッド・テニスンが「志の固き人は幸いなるかな。汝は苦しむ。然れども長く苦しむことなし。また誤って苦しむことなし」と言っていたらしいのだけど(日本語で20年前に読んだものなので、英語がどれかは不明)、それは多分半分本当・半分嘘だと思う。

確かに志が高い人は苦しむし、それは誤った苦しみではないのだと思う。だけど、「長く苦しむことなし」はたぶん嘘で、人間は現在の自分以上のことをしようとしたら、常に居心地が悪く、胃の痛い思いをし続けないといけないのだと思う。ただ、そうしてでもやり遂げたいことがある人は、幸せなんだと思う。

いずれにせよ、この展示は石岡瑛子の才能と気迫が全面に出ている素晴らしい展示だったので、関心のある人は是非見てみてほしい。開催は2月中旬まで。


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