走ることについて。2

佐渡一周マラソン208kmその1

9月17日の午前6時にスタートし、19日の午前6時までに佐渡一周206kmを走るという「佐渡島一周エコ・ジャーニーウルトラ遠足206km」の存在を知ったのはずいぶん前のことだった。その時、僕は友人と日光の中禅寺湖に遊びにきていた。当時のマイブームだった「ハゲタカ」という経済小説の舞台も、「頭文字D (Initial D) 」に出てくるいろは坂も見てみたかったから企画したのだが、投資ファンドの若手の悲しみは、いつどんな仕事が降ってくるのか分からないことだ。

9月上旬にしては肌寒い日光の山奥にある湖を眺める喫茶店のテラスで、僕は仕事のメールを片付けていた。友人が携帯で当時始まりたてのサービスだったTwitterを熱心に見ている。

「何見てるの?」

「友だちがこのレースに出てるんだ。前の年もチャレンジしてたんだけどリタイアしてしまっていて、今年も挑戦している。48時間で208kmを走るのはとても大変で、最後にはマラソンなのに歯が痛くなったりするんだってさ」

世の中にはなんと過酷なレースもあるものだ、という思いが一瞬頭をよぎっただけで、このレースのことは頭からさっと消えていった。人にとって、他人の苦しみ、特に見知らぬ他人の苦しみというのは、2,3秒の感興を巻き起こす程度の力しか持っていない。僕のマインドシェアはまた目の前にある大量の仕事メールを片付けることに費やされた。必要に応じてExcelで財務モデルを修正し、文章を書き、パワポの資料を修正した。

僕がこのレースのことを思い出したのは、その友人がいなくなってしまった後だった。なぜ彼がいなくなってしまったのかは、分かる気もするし、でも結局のところは分からないままだった。今彼はどこにいるのだろう。生きていて、幸せな人生を歩いてくれていたらいいのだけれど。

かけがえのない人がいなくなってしまったとき、人はその思い出をなぞろうとする。超長距離のレースを走るアスリートの中には、レースで亡くなってしまった人の弔いでウルトラマラソンに出場する人は多い。僕のトライアスロン用の自転車を組んでくれた方も、トライアスリートである親友の弔いのために、数年ぶりの長距離トライアスロンに参加していた。

2010年9月に開催されるこのレースを走ることを、翌月に30歳になる僕にとっての20代最後のチャレンジと決めた。

早速に問題があった。このレースは、過去に100km以上のレースを走ったことがあるランナーしか参加できないという決まりだった。ウルトラマラソンにはこういう制約が課せられていることが多い。経験の浅いランナーがいきなり長距離を走るのは危険だからだ。運営者の方に電話で相談したところ、トライアスロンの長距離レースを完走していた僕には、特別に参加が許された。このトライアスロンも奇しくも佐渡で行われるもので、3.8km泳ぎ、190km自転車をこぎ、そこから42.2kmを走るというレースだった。

208kmなんて走ったことがないので、どのように練習をすればよいかすら分からない。ウルトラマラソンの練習グループは世の中には沢山あるが、それは平日の夕方や週末を規則的に空けられる人々が参加するものであって、僕には向いていなかった。更に言うと、僕はどうもこういったグループに属するのが苦手ということもある。

会社の同僚で、ウルトラマラソンランナーに友人が多いジュンコさんに相談をしてみたら、彼女が練習内容を聞いてきてくれた。曰く「一週間でその距離を走れるようになれば、本番でも走ることができる」のだという。

ということは、7日間毎日30km走ることができれば、完走できるということだった。仕事の合間に着替えて会社を抜け出し、皇居をぐるぐると走る日々が続いた。かなり複雑な仕事上の案件を追いかけている真っ最中だったので、走りながら電話会議に参加する日もあった。仕事の合間に午後6時頃にオフィスを出て10時に戻ってきてはまた仕事、という生活がこの年の夏の間続いた。

いくら走っても不安は消えない。40kmや50km走るだけでこんなに苦しいのに、208kmもどうやって走るのだろう。

でも、レースのその日はやってきた。

2010年9月16日金曜日。レース直前は仕事がなかなか忙しく寝不足だったが、有給休暇をもらって朝寝坊をして、佐渡のある新潟へ向かう。

新幹線に乗って新潟に着いた後、薬局で忘れ物を買うついでに荷物をチェックしているうちに青ざめる。参加条件として明確に記載されているゼッケンがない。急いで事務局に電話して事情を説明したら「何とかしましょう」と話してくれた。助かった。

新潟からジェットフォイルに乗って佐渡についたのは17時頃。そこからバスに乗って、会場である「めおと旅館」に着いた頃には陽が完全に沈んでいた。佐渡特有の奇岩がたくさんある海辺にあるホテルの受付には誰もいないので、すでに始まっている前夜祭に合流した。

僕が想像していたのは、レース前の緊張感たっぷりにご飯を黙々と食べている人々だったが、そこは完全に酒盛りの場だった。出走者の90数名のほとんどが酔っ払ってばかりで異常な盛り上がりになっている。ちなみに、ウルトラマラソンの選手の平均年齢は高い。今回の平均年齢は50歳くらい。(ちなみに、ランナーの1割くらいは、レース開始後も走りながらビールを飲んでいた。)

酒盛りが終わったのは9時も過ぎた頃。お風呂に入ってバックパックに荷物を詰める。重たいものはなるべく持ちたくないが、なんだかんだ3kgくらいにはなった。準備が終わったら眠りにつく。緊張でなかなか眠気が来ないし、相部屋となった4人のうち、2人が激しく酔っ払っていて騒ぎ続ける。酔っぱらいの一人はウルトラマラソンのベテランらしく、「ウルトラマラソン自体初めてなの?じゃあ、明日から死ぬね~」と激励なのか脅しなのか分からないコメントを残してくれた。言われなくてもそんなことは分かっている。完走ができればそれでいい。

レース当日の9月17日、起床は夜明け前の午前4時。ランナーみな、もぞもぞと起きだして、食堂で黙々とご飯を食べる。さすがにこの時にはみんなの面持ちも緊張感があるものになっていた。食後にお風呂に入って体を温め、着替えをしたら準備完了。

天気は雨。今日は一日中雨が降るようだ。

僕のゼッケン番号はもともと375番だったのだが、ちょうど376番の人が不参加となったので、375をマジックで376に書き換えて、無事にゼッケンが準備された。

午前6時に、いよいよスタート。100人も参加者のいない小さな大会なので、スタートの鉄砲等もない。大会主催者が「スタート」といい、ストップウォッチのタイマーをピッと押すと同時に、皆が走り始める。

友人との思い出に区切りをつけるのが目的だった僕にとって、目的は完走することだけ。完走のためには膝への負担が少ないように歩きに近いフォームで走る必要があるので、ランニングのフォームに移る前に、黙々と1kmくらいは歩く。体が温まってきたところで走り始める。

佐渡は山でできている島なので、島一周と言ってもアップダウンはかなり激しい。上り坂は筋肉疲労を早め、下り坂は筋肉崩壊を早める。だから、今回は、上り坂も下り坂も全て歩くとはじめから決めていた。

200km超のウルトラマラソンでは、マラソン大会のように道順を示す大きな看板も当然ながらない。何枚もの地図を手渡され、その地図だけを見ながら進む。携帯電話の地図アプリに慣れている現代人には、なかなか厳しい設定でもある。実際に、僕は何回もこの期間に道を間違え、何キロも距離をロスしている。

(一番大きな地図)


4時間走ったところで、30km地点のエイドステーションに到着。ほとんど疲れていないので、食べ物だけは食べて、すぐにエイドを発つ。雨が相当に強かったので、靴はぐちゃぐちゃになっている。

少し走って40kmを通過したところで、佐渡を走る人にとっての名物であるZ坂に到着。坂道がZ型になっている坂で、トライアスロンの自転車コースの最初の山場でもある。ここはひたすらに歩く。このタイミングで応援に来てくれた友人のアミが合流したので、世間話をしながら歩く。ずっと上り下りが続き、それが終わった次点で45kmを通過。平地になったので彼女と別れて走り始める。

このあと、仕事の電話をしながら走っていたら、また道を間違える。海岸に向かうための細い下り坂に入っていく必要があったのだけれど、間違えて国道の上り坂を進んでしまう。誰にも会わないので変だなあ、と思って下の海岸線を見ると、300mくらい下を米粒くらいに小さいランナー達が走っている。さすがに50kmを通過したところで数キロも道を間違えるとどっと疲れるが、しょうがないので道を戻る。

海岸線に戻り、ゴツゴツした岩場を1キロくらい進むと、賽の河原という佐渡の名所につく。

ここには子どもの霊を供養する地蔵が無数に置かれている。「積み上げられている石を崩しても次の日にはまた積み上がっている」、「置いてあるものを持ってきたら祟りにあう」という言い伝えまである、いわゆる心霊スポットだ。そんな言い伝えを知らずとも、この場所はすごく厳かなオーラを放っていた。僕はこういった子どもの供養のための場所を見ると、心から拝みたい気分になるような経験をしたことがある。今になって児童養護施設支援をしているのも、このことと関係があるのかもしれない。

賽の河原を抜けた後に少し走ると第二エイド到着。初日目最後のエイドで、ここから仮眠所までは46キロを走り続ける必要がある。基本的にゆるやかな海岸線沿いを黙々と走る。一緒に走る人もいないので、ひたすらにマイペースで走る。

仮眠所まで残り20km地点で日没がやってきた。場所によっては文字通り真っ暗になるので、参加者に携帯が義務付けられているヘッドライトをつける。

もともと僕は腸脛靭帯炎(ちょうけいじんたいえん)をこの期間ずっと抱えていた。通称「ランナー膝」といわれるこの炎症の症状は、長く走ると膝の外側の筋が炎症を起こして痛み出し、最後には歩いても痛くなるというもの。長い距離を走るレースでは、僕はずっとこれに悩まされ続けてきた。そんな膝の状態がすこし悪くなってきたので、大事を取って歩くことに決めて歩き続ける。

思うとこれが失敗だった。後で気づいたのだけれど、走るときに使う筋肉と、歩くときに使う筋肉は違うので、実は交互に走るのが一番筋肉へのダメージの蓄積が小さい。ウルトラマラソンでは、こういった、体験ベースで得る知恵がものを言う。1日で終わるような100kmのレースならまだしも、2日以上走るようなレースでは、痛い思いをしながら、文字通り「思い知る」経験なしには先に進むことができない。

4時間ひたすら歩き続けるうちに、腰に負担がかかってしまい、今度は腰まで痛くなってきた。勘弁して下さい、と思っていたところで、やっと仮眠所に到着した。

到着時間は午後10時で、時間はほぼ予定通りだが、体調は全くそうではなかった。満身創痍というのはこういうことかと思う。

大事を取って歩いたにもかかわらず、膝はちょっと上げただけで痛くて、身体が冷えてくるとびっこを引かずにはいられない。腰もすごく張っていて、嫌な重たさがある。冷たい夜の雨に打たれたせいか、喉は痛くて熱がある。さらに、雨の中走っていたので、足はひどい水ぶくれ。靴が濡れているので、普段鍛えて硬くなった足の裏の皮もふやけてしまうからだ。厚さ5ミリ、直径4センチくらいの大きなものが数箇所できている。

他のベテランランナーの皆さんも同様に水ぶくれに苦しめられていた。リタイアしたおじさんは、「水ぶくれの処置を誤ると菌が入って切断しかねなくなるので本当に注意するように。俺は一回放っておいたら足が3倍くらいに腫れて、慌てて病院に行ったことがある」とアドバイスをくれた。

そんな僕たちを見ながら、主催者の方は「今回を通じて皆が雨の中の足を知って、また一つ強くなる」と満足そうだった。

最初から最後までそう感じ続けたし、あまり本人たちの目の前で言えないけれど、ウルトラマラソンのランナーは頭がおかしいと思う。走りながらビール飲んだり、消化に全く良くないカップラーメンとか唐揚げを食べてみたり、ほぼ眠らないで徹夜で走っても平気だったり、だけど徹夜で走ることで白昼夢を見て、その白昼夢の話で盛り上がったり。

そんな、頭のネジが二、三個外れてしまった人に、明らかに通常人である僕が混じっていると、あたかも言葉が全く通じない国で昔ながらの魔術に根付いた生活をしている部族に、何かの間違いで紛れ込んでしまった現代人のような錯覚に陥る。「なんなんだこの人たちは」という言葉が、頭のなかに何回浮かんだことだろう。

明らかに人外の人びとを見ながら、常人の僕は途方に暮れる。ここから残り110キロを走るのかと思うと気が遠くなる。普通でも110kmなんて走ったことはない。しかも、この身体中痛くてもう眠って一週間くらい休憩したい状態で110kmを走るのか。

これは、20代最後で一番追い込まれていた瞬間のひとつに間違いない。

応援にきてくれたアミとアキの2人がいなかったら、もしかして僕はここでリタイアしていたかもしれない。この二人が交代にマッサージとストレッチをしてくれた。片方がマッサージをしている間に、もう片方が僕の靴を乾かしたり、荷物の整理をしてくれていた。本当にありがたい。他のランナーはそれも全部自分でやっているのに、自分だけ特別扱いで少し恥ずかしくはあるけれど、ただただ2人に感謝する。

12時半くらいに眠りにつく。筋肉痛や炎症のせいで身体中が熱い。これ以上ないくらいに汗がでる。布団をかぶってもいないのに、汗が止まらない。雑魚寝部屋で眠っているので、他のランナーのいびきが聞こえたり、もう出発するためにガサゴソと準備をしているランナーもいて、なかなか眠れない(ランナーによっては徹夜で走り続ける)。

iPhoneを取り出して、音楽を聞くことにする。このウルトラマラソンを走るきっかけをくれた友人が教えてくれた曲をリピート再生で聴き続ける。もともとap bankフェスという音楽イベントのために櫻井和寿さんと小林武史さんが作った曲で、僕が好きなのはボーカルのSalyuがピアノと一緒に歌うアレンジをしているバージョン。Salyu特有の伸びのある歌声が堪能できる。

ひどい熱を出した時にもそうするのだけど、苦しいのに眠らなければいけないときに、音楽は本当にすごい力を発揮する。この曲のお陰で、僕はようやく眠りにつくことができた。

熱を出すといつも見る悪夢がある。数字と文字がものすごい勢いで頭の中を流れ続ける。流れる方向性にも全く統一性がなく、とにかく文字と数字の波をジェットコースターで流れ続けているような感覚になる。

誰かが僕を揺り起こす。アキだ。僕が時間になっても起きてこないので、仮眠部屋にまで来てくれた。彼は、「3時間だけ眠る」と言っていた僕を起こすために徹夜してくれた。アミも同様に、夜を徹して服と靴をドライヤーで乾かしてくれていた。この日以来、僕はこの二人に何か頼まれごとをしたら、なんでもすると心に決めている。だけど、僕は二人に何もお返しができていない。。

まだ3時50分で真っ暗。周りにはまだ眠っている人もいるし、僕ももう少し眠りたかったけれど、なんとか起きる。二人がいなかったら起きれたかどうか。

テーピングをして仮眠所を出たのは4時10分くらい。夜道は危ないと聞いていたので、同じ時間に出発しようとする二人組についていく。

後になって振り返ってみると、この時間に出発していなかったら、僕はゴールできなかったと思う。タイムがどう、というより、様々な理由によって。

ひとつめの理由。僕が出発した頃に部屋でまで眠っていた人の大半はリタイアした人だった。大抵の人は仮眠所でもほとんど眠らず、眠っても1時間程度だけですぐ出発するようだ。一人で走るのはずいぶんときついことだ。あの時間に出ていなかったら、誰にも追いつけないまま僕のレースは終わっていたかもしれない。

ふたつめの理由。このたまたま一緒に道を出たコイズミさんは、僕と走るペースが同じで、とても用意周到な人だった。彼女の持っていたテーピングやサプリに僕は相当に助けられることになる。

みっつめの理由。仮眠所を出て1時間くらいして見た、佐渡の朝焼け。昨日までの雨がきれいに空のチリを落としてくれたからか、今までで見た朝焼けの中でも最も美しい朝焼けだった。オレンジ色の光が、町と山を優しく包んでいき、見渡すかぎり全ての風景が染まっていった。

その光のなかで、なぜだか分からないのだけれど力がみなぎってきた。この時でまだ残り距離は105km以上あったのだけど、なぜか、「これは完走できる気がする」という確信が得られた。

僕のような異常な体力を持たない常人がウルトラマラソンを走っていると、人間のちっぽけさを思い知る。それとともに気付かされるのは、自然の持つ力の偉大さと、それに対する感謝の気持ちだ。感謝という言葉では足りず、敬虔さの混じった畏敬の念といってもいいかもしれない。

水と大地と太陽のありがたみ。僕たちはずっとそうやって、時に自分たちに対して牙を剥くこともある自然を神と崇め、それに寄り添って生きてきた。

満身創痍の状態で迎える太陽は、こんなにも、人に力を与えてくれるのか。天照大御神や大日如来、インティをはじめとして、太陽神が多くの伝承において神の中の神とされているのも、今なら分かる気がした。電灯も何もない暗い夜、敵の襲来に怯えながら暮らしていた僕たちの先祖は、毎日毎日文字通り神のような正確さで昇ってくれる太陽に、文字通り拝みたくなる気持ちになったに違いないと思う。

ゲーテは、「空気と光と、そして友達の愛、これだけが残っていれば、気を落とすことはない」と言った。本当にありがたいことに、僕には全てが残されていた。

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