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ノーマン・フォスター

建築に関心を持つようになったきっかけは、横山禎徳さんとの出会いだ。 「あんたは碁をやっていたんだから、基本的な美的センスは持ちあわせているはずだ。コミュニケーションにはそれが必須なのだから、そういったものをきちんと学んでおいたほうが良いのではないか」と言われたことが、単なる趣味ではなく職業人の責任として美しいものにこだわるきっかけになったと思う。

金融はシステム産業なので、建築と似ている側面が多い(自信ないけど)。デザイン的な思考は全ての仕事を貫徹するべきものだし、写真は常に変わりゆく現在をどのようにビジュアル的に捉えるかを教えてくれる。というか、何故かいわゆる「美しいもの」に関するもののうち、この三つのテーマが僕の心を惹くというのが正直なところだ。

そんなこともあって、僕の本棚における建築・写真・デザインその他についての本は明確に増えていった。実家に本を預けた後に残った本に関していえば、4分の1がそれにあたる(残り4分の1が哲学・思想・宗教といった形而上学的なもので、残りがその他)。もともと子どもの頃から美術の時間が一番好きだったので、本質的な好みはそっちにあるのかもしれない。

金融におけるトップの仕事の一つは、目に見えない概念をいかにして人に伝えるのかという点にある。手前味噌かもしれないけど、哲学や思想に要求される抽象的思考能力と、それを形に変えるビジュアル化・言語化の技法の両方が必要なんだと思う。少なくとも、僕はそうだと信じている。

前置きが長くなったけど、六本木でやっていたフォスター+パートナーズ展がものすごく印象に残っていたので、彼の伝記である「ノーマン・フォスター 建築とともに生きる」を買った。あまりにも面白かったので、500ページの本を一昨日のフライト、昨日の夜、今朝で読みきった。相当に自意識を脱していない人間が書いた場合でない限り、自己正当化がすぎる自伝よりも、本人をよく知っている他人が書いた伝記のほうがはるかに面白い。

世の中の建物にはその建築家の名前が分かりやすく書かれたりはしないので分からないかもしれないが、世界中を旅している人であれば、彼の作品群を知れば「あれもフォスター、これもフォスター」と驚くはずだ。イギリスの大英博物館やミレニアム・ブリッジ(それに、あのタマゴ型のスイス・リー本社ビルも)、壮大なスケールと美しい屋根の北京首都国際空港、フランスのミヨー橋、ドイツのライヒスターク(国会議事堂)などなど。

ノーマン・フォスターの設計事務所であるフォスター+パートナーズは、1,000人以上の大量の所員を抱えながらも、陳腐さを感じさせない素晴らしい作品を矢継ぎ早に生み出している。建築のみならずプロフェッショナルファームは基本的に数が大きくなるとつまらなくなるという定説があるが、ザハ・ハディドやノーマン・フォスターらはそれを覆してきた。「規模を拡大しながら革新性を失わないにはどうすればいいか」というのは自分の仕事にも当てはまる重大関心時なので、それを知りたいと思ったのが、この自伝をとった一番の理由だった。

自伝を読んで、Sirの称号を持つ彼の現在のイメージからはかけ離れたところで、彼が他人には思えなくなってしまった。いくつかのエピソードを:

・ 親はマンチェスターの労働者階級育ち。それでもフォスターを学校に通わせたが、その学校ではフォスターが唯一の労働者階級出身者。お金持ちの子どもに囲まれた幼いフォスターは自分の家庭環境故に苦しんだ。

・ 親はフォスターが高校卒業後安定した公務員になることを希望し、実際彼はその仕事に就いたが、彼は決してずっとここで働きたくはなかった。奇しくも、マンチェスター市役所はイギリスの大建築家であったアルフレッド・ウォーターハウスの作品だった。公務員の地味な仕事をしている2年間の間、隙を見てはこの庁舎内を歩きまわりデッサンをしていた。

・ その後建築事務所でアルバイトをしながら、自宅で大学入学のためのポートフォリオを描きためる。苦学生として21歳でマンチェスター大学に入学し卒業。彼の地域では最高の大学を卒業したわけだが、オックスブリッジとの差にまたもや愕然とする。その後、建築事務所で働いた後に、ヘンリー奨学金を獲得し当時最も革新的な建築学科を誇っていたイェール大学へ26歳の時に留学。ポール・ルドルフ、ヴィンセント・スカリー、サージュ・チェルマイエフとの出会いなどを通じて、一気に自分を成長させていく。

・ チェスが得意で、目先にとらわれずに全体感を見るのは昔からのこと。イェールに行くときも「時間の無駄遣い」といって船ではなく当時高価だった飛行機を選択。問題への一番効率のよい答だと思えたら、それにかかる費用は浪費だと見なさない性格は、その後の彼の仕事にも反映されている。

・ 描くことをやめられず、心の平静のための手段にもなっている。何かを話していると、必ず要点を紙に描いたりスケッチする。癌の手術に臨むときも、病院のベッドから見えることは全てどんなことでも精緻に描いて記録しながら心を落ち着けていた。

・ 子どもの頃から自転車が好きで、70代になっても長距離自転車レース、マラソン、クロスカントリーなどに毎年参加する。プライベートでは建築家との付き合いよりも、アスリートやアーティストとの付き合いを好む。

・ 空飛ぶものが好きで、グライダーから始まり、複数種類の飛行機の免許を保有している。自分で飛行機やヘリコプターを運転して移動することもある。(僕は飛行機が嫌いだけど、もし自分で運転できるのなら大好きだ)

・ 隣接分野の専門家から大きなインスピレーションを受けていた。ヒューチャリスト、デザイナー、思想家であったバックミンスター・フラーから大きなインスピレーションを受ける。どれも実際に建てるには至らなかったが(周囲には理解できなかったのではないか)、2人は共同で実験的なプロジェクトに取り組んでいる。フラーの死後に彼にインスピレーションを与え続けた外部専門家はドイツを代表するグラフィックデザイナーであるオトル・アイヒャーだった。香港上海銀行の標識システムはアイヒャーと組んだ結果。これらの専門家からは、仕事を超えたところでも親交を持ち、影響を受け続けた。

当代超一流の人間の仕事には、分野が違えど学ぶべきことが本当に多い。本書においてもそうだった。

例えば、フォスターは仕事を取る時の最善の策は、自分の答えを相手に差し出す前に、たくさんの質問をすることだと考えている。だから、クライアントが建築に対して機能的・社会的に求めていることを知り、それをきちんと理解してから提案をするようにしている。例えば、彼の前記の代表作であり高層ビルのコンセプトを覆した香港上海銀行・香港本店ビルの設計の際には3週間銀行に留まり、銀行にやってくるお客さんたちの様子や社員の仕事の様子を観察し、銀行の幹部を苛立たせるほどの量の質問をし続けた。今や多くの本などを通じて知られているデザインシンキングの基本プロセスではあるが、彼らは40年前からそれを行ってきた。

彼はまた、建築家以外の関係者にもデザインプロセスをオープンにする。設計の初期段階からエンジニア、コスト・コンサルタント、設備エンジニアといった人々を集めて議論をしていく。彼の建築がある意味で工業デザイン的で、技術的に非常に難易度の高いことを次々とやってのけるのは、仕事の前段階から隣接分野の専門家らと議論しているからかもしれない。彼は、「建築家として私が感じていることをエンジニアに、つまり建物を形づくるのに協力してくれる人に理解してもらうのは極めて重要なことだ」と話す。

これは一流の建築家に共通していることだが、それが確実に作品をより良くすると確信するのなら最後の最後での変更を行うことにもためらわない。土壇場での仕様変更は、当然ながら多くの関係者に多大な迷惑をかけるものだが、より良いものを作ろうという情熱から、そうせざるを得ない。彼の出世作であるセインズベリー・センターは、土壇場での仕様変更なくしては代表作には仕上がらなかった。

かつ、彼は世の中から沸き起こるバッシングとも戦い続ける。ドイツのライヒスタークのときも、自国の大英博物館のときも、政治家・ライバルがメディアと組んで行ってきた様々なバッシングもものともせず(精神的に傷ついているかはさておき)、事業を進めた。場合によっては訴訟も上等の立場で。

そして、いつまでも攻め続ける。長年寄り添って1990年に他界した妻のウェンディは彼を「曲芸師のような人。誰よりも高く球を投げて、それを誰よりも低い所で受け止める」と表現した。彼はいつも、自分の事業、クライアント、テクノロジーを梃子にしてより大きくリスクの高い勝負をし続けている。世界中で最も成功した建築家の一人とされた今も、80歳にして前進を止めようとしない。

いつも思うのだけど、目標が有名になることやお金儲けにない人は、いつまでもいつまでも前に進み続け、仕事に真摯に向き合い続ける。こういう個人のあり方、考え方は僕自身の仕事のあり方にも大きな影響を与えると思う。

最後に、僕が本書を読むにあたり一番気になっていた、組織の大きさと創造性・品質をいかに両立させるかについて。彼自身も、1970年代までは設計事務所が質の良い仕事を するには30人くらいの所員が理想的だと語っていた。つまり、スタッフが皆気心の知れた間柄であるということだ。

大所帯になると、官僚主義的なやり方が入ってくるだけでなく、仕事をとるプレッシャーにさらされ、特に景気後退期には望まれない仕事をせざるを得なくなることが多くなる。それらは組織の創造性を殺す要因になる。

今や所員が1,400人を超えるフォスター+パートナーズがいかにして創造性を保ち、良い仕事だけをできるようにしているのか。本書では二点があげられていた。

第一に、今はこの設計事務所はいくつかのチームに分かれている。このチームは決して部門別・分野別に分かれている訳ではなく、それぞれが設計の全プロセスを完結させられるようになっている。この自叙伝が出ているタイミングでは、チームの数は6つ。言うなれば、フォスター+パートナーズの中に、6つの設計事務所があるということだ。

通常であれば、そんなことをするとチーム別の色が出てきて、フォスター+パートナーズとしての品質のコントロールが出来なくなる。この点についてのコントロールを行うのがデザイン委員会で、ここにはフォスターを委員長にして主要メンバーと各チームのリーダーで構成されている。必要な意思決定は全て委員会を通るようになっている。この委員会は、フォスターらしさだけでなく、グループ間の学び合いの場としても機能している。

もちろんこういった組織設計上の取り組みも効いているとは思うが、個人的にはそれだけでうまくいっているはずではないと感じる。規模を拡大させたプロフェッショナルファームが成功するか否かは、組織設計上の工夫もさることながら、創業者の人間性や理念どれくらいに強烈で、それがどれほどに組織の屋台骨として浸透しているかに依存すると僕は思う。この点においては、実物に会ってみないと分からないけれども。

第二に、一国の景気後退の影響を緩和するため、近年においてはフォスター+パートナーズは海外事業を多く手がけている。毎年数百億円にもなる売上のなか、本国である英国における売上は5%に過ぎなくなっている。

とはいえ、それでもこの事務所は何度も大きなレイオフを余儀なくさせられてきた。世界的な景気後退時には、多くの人が美しいものにかけるお金を真っ先に削減するものだ。一番最近では、リーマンショック時に数百人を解雇せざるを得なかった。しかも、解雇の対象となるのは、単に能力があるなしだけではなく、そのタイミングで関わっている仕事が多いか少ないかに依存するため、優秀な所員であっても泣く泣く切らざるを得なかったことがある。

何度もこういった経験をした上で、今は株の持ち方についても工夫をしている。伝記には詳しいことは書いていないが、まず会社の株を議決権つきの株とそうでない株に分け(完全に無議決権なのか議決権割合に傾斜があるのかは不明)、議決権つきの株は自身や経営陣が保有し、そうでない株を外部投資家に売るということを行っている。そして、景気後退時ではなく、景気が望ましいときに外部投資家に無議決権株で増資をして、財務上のバッファを作っているようだ。プロフェッショナルファームの株を外部投資家に持たせることは非常に珍しいが、それは外部株主が入り色々な意見を言うことで、ファームの精神が捻じ曲げられてしまう可能性があるからだ。無議決権株ならばその問題は相対的に少ない。


書評というか本の紹介としては非常に長くなったが、この本を読んだ後、現在に存命中で、実物を見てみたいと思う人間がまた一人増えた。どんな分野の仕事であっても、偉大な人間の生き方は、自分の生き方や仕事に大きなインスピレーションを与えてくれる。

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