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走ることについて。8

本州横断 その1


ずっと前から決めていたこと。

「30代からは自分で仕事をする。30歳で働く分野を決めて、31歳から働き始める」

別に30歳と31歳の間には1日から365日の差異しかないはずなのに、いちいちキリの良いものにしたがるのは性格だからなのだと思う。キリのいいところに締め切りを設定しないと、僕は基本的に不真面目なのでそのまま日々に流されてしまう。

そんな問題意識を持って望んだ2012年の夏に行ったサマーダボスで、自分がどの仕事をするのかはもう決まった。民間発の世界銀行(のようなもの)をつくること。世界経済フォーラムが、一人の人間がつくったNGOであるにもかかわらず、ある意味で国連のような役割を果たしているのを目の当たりにして、じゃあ自分は金融でこれを作ることにしようと思った。

そして、2012年の末には勤め先の共同経営者たちに退職の意向を伝えていった。我ながら勝手なものだ。雇ってくれた人たちの都合をほとんど考えずに、「かくかくしかじかで起業しようと思うので、退職を考えています」と言った僕に対して、「まあ1年くらい仕事をしながら準備をしたらいい」と言ってくれた。今になって分かったのだけど、僕がそのうち起業してどこかに行くだろうということはみんな想像していたのだそうだ。本当に懐の大きい会社だ。僕のサラリーマン人生は本当に充実していて、モルガン・スタンレー時代も、ユニゾン・キャピタル時代も、上司に恵まれた記憶しかない。朝起きて、会社に行くのが嫌だと思ったことも一日もなかった。

退職意向を伝えてから1年が過ぎ、夏には、2013年の9月末が最終出社日と決まっていた。小学1年生の頃からの習性で、特に休日も平日も気にせずに働いていたので、休日出社分と合わせると10月から11月まで丸々有給がある。どうせこれからは起業なので、有給を使いきらない手はない。

ではまとまった休みを何に使おう。ワクワクしながら考えた。

途上国の農村で一ヶ月くらいずっと過ごすこと、コルビュジェとガウディらの建築を見にヨーロッパを回ること、引きこもってすっかりとお待たせしてしまっている本の原稿を書き上げること、一ヶ月集中勉強して何か資格をとること、など、色々と考えたけど、結局は走ることにした。

いくつか理由はあるのだけれど、途上国はこれからそれこそ嫌というほど行くことが見えていたし、建築を見て回るのは何回かに分けてやれば良い話だった。本も、今までもそうだったように、働きながらでも書くことができる。資格をとるくらいなら、そのうち大学院に行ってまた研究でもしよう。

などなどと考えてみると、1ヶ月以上のまとまった時間がないと出来ないことというのは意外と少ない。1ヶ月間走り続けたら何が見えるのだろう。

本州縦断をしよう。青森から山口までひたすらに走りぬける。八戸駅—下関駅の間をGoogle Mapで直線距離を計算したら、1500km程度で行けそうだった。せっかくだし、今まで行ったことがほとんどない日本海側を行こう。それでも1600kmくらいだ。

結局、最終的には遠回りしたり、色んな寄り道をしたりしたので、総走行距離は1648kmになった。どうしても仕事やら講演やらで時々中断せざるを得なくなったので、一ヶ月連続で走ることはできなかったけれども。

走ることによってかけがえの無いものを学ぶことができるのは、もう分かっていることだった。今回の走りを通じて何が見えてくるのだろう。起業をしようとしているこのタイミングだからこそ、沢山の学びがあればいいなあと思いながら、準備を進めた。

10月18日、どうしても外せなかった仕事の用事を東京駅周辺で17時に終えたあと、そのまま新幹線で八戸駅まで向かう。駅に着いたのは10時になるころ。まだ10月なのに、こっちはずいぶんと寒い。

ところで、今回は驚くほどに下調べをしていない。

あ、嘘をついた。「今回は」、でなくて、「今回も」だった。

性分としか言いようがないのだけれど、そもそも旅に出るのも大抵は1週間前くらいに(場合によっては前日に)ぱっと思い立ってはふらっと出て行くのが好きだ。その道中も「明確な目標とおおまかなスケジュールを決めたらあとはその場で臨機応変に」が基本原則(仕事だとさすがにもう少しきちんとやる)。

なんでそういうスタイルが好きなのかというと、道を調べてしまえばそれだけ、物事が予測可能になってつまらなくなるからだ。予想もしなかった突発的な出来事にどう対処するかも含めて旅の楽しみなので、どうしても外せないものを除くと基本は行き当たりばったり。

とか書いてみたものの、ただズボラなだけかもしれない。

そういった訳で、今回もGoogle Mapでだいたいこういう方向、というところまで把握している程度だ。大きめな駅であれば宿くらいあるだろうし、宿が見つからなかったらまた次の町まで走ればよい、というくらいのことしか考えていなかった。

今回の旅のお供の本は、周恩来秘録。抜群に面白くてついつい夜更かししてしまいそうになりながら、12時には眠りにつく。


1日目(八戸→いわて沼宮内駅)

八戸駅の東横インで6時半から朝ごはんを食べて、6時53分に出発。八戸の名物はせんべいで、スープにまで入っている。

朝7時台で気温は2度。寒い。けど、天気は完璧な快晴。有難い。

10kmにもならない苫米地駅を走るうちに、昔持っていた腸脛靭帯炎(ちょうけいじんたいえん、いわゆるランナー膝)が早速にやってきた。このウルトラマラソン開始前、忙しくて走り込みしてなかったせいかもしれない。いきなりこれでは、先が思いやられる。応急処置としてキネシオテープ(伸縮テープ)をつけて、歩きと走りを交互に進む。

途中で一つ小さな山を越えて、30km地点通過。線路際を走り続ける。

ここからは、国道4号線沿いに進む予定だけど、歩道が無い道も多くて怖い。13時~15時は自分が代表になっているNPO、Living in Peace(LIP)の児童養護施設プロジェクトに、携帯電話からSkype参加していたので息があがらない程度に歩きと小走りを組み合わせる。17時からは、途上国の金融機関支援のプロジェクトのSkype会議に同様の方法で参加して、その後は、また19時半から別の電話会議があった。

奥中山高原に辿り着くまでは、ずっと上り坂でかなり長い道のり。途中で電話会議をしていたら、足が随分と固まってしまい、長めの休憩をとったりしながら進んだ。コンビニがずっとない山奥で、10月にしては驚くほどに寒い。気温は5度くらい。痛い膝をかかえながら2時間くらい無言で走り続け、国道4号線の最高標高地点(458m)にたどり着いたときはさすがに嬉しかった。

当初目的地だった奥中山高原駅に着いたのは10時頃なのだけど、周辺には宿がなかった。ただ、コンビニは見つかったので、そこで暖をとりながらご飯休憩をとることに。そこから13km先地点のいわて沼宮内駅に一つ旅館の予約がとれたので、ちょっと休んで出発。旅館に着いたのは1時過ぎ。こんな時間にもかかわらず開けておいてくれた女将さんに心から感謝。いつかきちんと恩返ししよう。

初日早々、危ないからやめておこうと思っていた夜道を走ってしまった。そして、早速に膝の横の靭帯が炎症をもってしまった。日没までに終わるような距離設定で計画しなおそう。明日は盛岡までの35km。


2日目(いわて沼宮内駅→盛岡駅)

昨日眠ったのが3時頃。8時頃に目が覚めて、旅館を出たのは9時10分頃だった。今日は比較的楽ないわて沼宮内駅から盛岡駅まで。

膝腸脛靭帯炎がいよいよまずく、10秒走ると10秒びっこを引かずにはいられないくらいに膝が痛くなってしまった。早歩きだけだとそれはそれで足に負担がかかってしんどいのだけれど、今日は一日歩き通した。

途中で入ったイオンの中にあったマッサージ屋でマッサージを受けてみたけど、全く回復しない。筋がやられているので、マッサージよりも鍼灸系が必要だと思う。三鷹にある、神の腕を持つかかりつけの鍼灸院に行けたらどんなにいいことか。人間はどうして疲れてくると詮ない想念を抱くようになるのだろうか。

パタゴニアのレインウェア二枚重ねでも服が濡れるくらいの冷たい雨に打たれながら、盛岡駅近くの宿に着いたのは17時40分頃。

風呂に入り、洗濯をしてから、とにかく美味しいものを食べようと街に出る。疲れた時には美味しいものを食べるべきだ。

盛岡といえばわんこそば。そばはもともと大好物なので、わんこそばの名店である東屋を教えてもらい、そこまでタクシーで移動(すごい雨で、さすがに走る気にはなれなかった)。

人生で初めてわんこそばを食べた。最初に前菜が出てきて、そのあとは、給仕さんが「どーんどん」とか「よーいしょ」といった掛け声をかけながらそばをお椀に入れていく。食べ過ぎて体調を崩してもよくないので、満腹になるところまで食べたら135杯だった。100杯以上食べると表彰状をもらえるらしい。

お腹がいっぱいになったところで、今度はそば屋の店員さんに教えてもらったスーパー銭湯へいく。お風呂に入ってリラックスして、またタクシーに乗り、宿に戻る。

タクシーの勘定を払おうというタイミングで、財布が無いことに気付く。いくら探してもない。

記憶を辿る。そういえば、スーパー銭湯で風呂あがりにマッサージチェアに座っていた。しかも、やけにパワフルなマッサージチェアで、グリングリンと動きまわるものだった。

スーパー銭湯に電話をする。

「もしもし、さきほどまでそこの銭湯にいた者なのですが、財布の落し物はありませんでしたか?たぶん、マッサージチェアのあたりにあるんです」

「ちょっと探してみますね。(保留音が3分ほど続く)ありませんねえ。探しておきますので、電話番号を教えてください」

考え込む。もしかしたら銭湯の店員さんの調べようが十分でなかっただけかもしれない。再度銭湯までいくとタクシー代は勿体無いが、どうせ財布がなかったら後で払うしかないのだし、行ってみよう。

「銭湯までもう一回戻って頂けますか」

「もちろんいいですよ」

銭湯に向かう道で、タクシーの運転手さんが、料金を取りっぱぐれるのではないかと、心配そうな面持ちで話してきた。

「もし、見つからなかったら一緒に警察に行きましょうね。疑っているわけじゃないんですよ。でも、あなたがきちんと払うかどうか、確認しなきゃいけないじゃないですか」

気持ちは分かるのだけど、まずは慰めてほしかった。

相変わらずの豪雨のなか、ブルーな気持ちで銭湯に戻る。そこで、マッサージチェアの奥を調べてみると、果たして、死角にはまっていた財布が見つかった。助かった。

店員さんにこのことを説明すると、「いやあ混んでいたから全部探せなくて」という答えが。混んでて探せないのなら、僕も同様に探せていないはずなのだけれども。

とはいえ、財布が見つかったのはありがたい。銭湯を出て、タクシーに戻る。

タクシーの運転手さんは、「奇跡的だ」と喜び、きっちりと1.5往復分の料金を受け取っていった。

みんな現金だなと思った盛岡の夜。早く雨上がらないだろうか。



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