人を観る

昔から偉人に憧れがあり、すごい人を探し続けている。人はモノではないけど、世界最高の美を追い求めている人が世界中の美術館やギャラリーを訪問するのと同じように、僕は世界中で人を観察している(どこを見ているのかは秘密)。

なお、このアプローチが特に有効なのは、政治家や経営者、ロックスターなど、大勢の人々から支持されることが大切な仕事をしている人の場合だ。科学者(特に自然科学)やエンジニアなど専門職の人の場合、その人が作っているものを見ないと分からないと思っている。

政治家を見るときは話している内容はほぼ聞いていない。表立って言えることなんてたかが知れているからだ。話ではなく、その人の仕草を見る。少し前に李克強首相を見たけど、さすが10億人のトップに立つ人は堂々たるものだと思った(通訳すら聞いていないので何の話をしていたのかも知らない)。

経営者や起業家に関していうと、特に創業経営者で会社の時価総額を一度でも1兆円にした人はさすがに迫力があり、10兆円になると若干怪物じみてくる。この規模の会社を作るのは、単に時流に乗るだけでは難しいからなのだろう。先日見たジャック・マーはさすがだった。なお、逆は真ならずで、時価総額がそんなに大きくなくても立派な経営者はたくさんいる。前職の社長は本物のカリスマだった。

フジロックも、音楽が好きというだけでなく、ロックスター本人を肉眼で見るために行っているという側面がある。これまで見てきた中でもはや人間に見えなかったのはビョークとトム・ヨークだった。

社会を変えるというのは大勢の人々の行動を変えることだ。そして、大抵の人は理屈ではなく心で動く。心を動かすのは全人格を通して伝えるメッセージであり、だからこそ、人格が大切なんだと思う。その人に一定の知性や感性があるのは当然のこととして。

すごい人を見て、学びを得て、自己修養する。もうこの世にいない人に関してはその人について書かれた本を数多く読み、同様のことをしてきた。それをもう20年くらい続けていて、今も当代最高の人物を探している。

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