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差別の起源

今の仕事をしていると色んな土地で見聞きすることが増えた。ある人に教えてもらった部族について書いておきたい。

彼女らはその土地にとても昔から住んでいる。少なくとも、いわゆる「◯◯人」という概念が生じたりするよりもずっと昔から存在している種族だ。王家のように種の歴史が長いことを誇りとするのであれば、やんごとなき由緒正しい種族ともいえる。

この人たちの食生活は現代人とはだいぶ違っている。胃腸の酵素が非常に強いので、ハゲタカのように屍肉を食べてもお腹をこわさないし、飢餓の時期を乗りこえた経験からか木でも草でも生ゴミでも、タンパク質を構成するようなものであれば、それを食べることで栄養を摂取することができる。もちろん現代人が食べられるものも口にすることはできるので、どうしようもない時に代替的にこういったものを食べるだけだ。

衛生についても、基本的に身体の中を清浄に保つためという観点から合理的に考えているので、皮膜を守るために体中に油を塗っている。さっき話したような身体の強さなので、他については基本的に無頓着だ。強靭な身体にも拘らず極めて温厚なので、他の人を殺したりするようなことはまずない。

容易に共存することが可能なのに、多くの人たちは彼らを忌み嫌い、迫害の対象にしてきた。屍肉を食べるのはハゲタカも同じなのに、荒野を羽ばたくハゲタカは畏敬の念で見られる一方で彼らは汚いと言われた。衛生ということでいえば、同じように不衛生な環境で生活をしている人たちはたくさんいるのに、やはり彼らは人々の呪詛の対象となった。

この嫌悪感から、よく彼らは虐殺の対象となった。一か所に集められて圧死させられることもあるし、毒ガスを吹きかけられて死ぬこともあった。種族全体を殺すために、HIVのような性質を持つ毒の入った食べ物を与えたりすることもあった。現代人は想像しうる限りの暴力をもって、彼女たちを排除しようとしてきた。

それでも彼らは生き抜いてきた。かれらが生き抜くほどに、人々の彼らへの嫌悪感は増していった。「なぜここまでしても死滅しないのか」と。企業は彼らを殺すための武器をもっと売るために、この嫌悪感をテレビやその他メディアで煽り続けた。

子どもは常に偏見を持たないので、よくこの種族の人たちと遊んでいた。それが見つかると、子どもたちは親にこっぴどく叱られた。彼らが衛生的に汚いといっても、実際のところはたかが知れている。彼らが大勢の人を殺すような病原菌を媒介したという話は一切聞かれない(アメリカに進出したスペイン人と大違いだ)。子どもは偏見を持たず、親が偏見を持っているだけだ。

場合によっては、親は持っていた凶器で子どもと遊んでいた彼らを殺してしまった。ほとんどの国で、彼らには人権が保証されていないのだ。少なくない無国籍の人々が、周辺地に追いやられマジョリティから虐殺されてもなんの問題にもならないように。彼らを代弁しようとする人はずっと現れていない。もしいても、頭がおかしい人、変な人として一笑に付されてきた。

そういう光景を普段から目にしているうちに、子どもたちも変わっていった。少年たちも、彼らのことを呪われた種族だと考えるようになった。そして、彼らを殺すことについて何の逡巡もしないようになっていった。そして、いつか自分たちも武器を手にして、迫害に加担する日がやってきた。


この話を聞きながらふと思ったことがある。それは、差別を助長するためには少しの事実(本人たちにとっては生きるための方法であっても)と嫌悪感を煽る方法さえあれば事足りるということだ。そして、その嫌悪感を煽る人たちの多くはその嫌悪感によってお金を儲ける人々である。

知的とされる人々であっても、この憎悪のキャンペーンには簡単に乗せられてしまうので、どうやらこれは人間に刷り込まれた強烈な本能的感情の一つのようにも見える。対する武器は理性のみで、随分と分が悪い。

 

 

ところで、いま気付いたのだけど、この種族ってゴキブリのことじゃないか。

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