手厳しいコメントに対して自分の心がざわついているのなら、大抵それは正しい

いつも思うんだけど、手厳しいコメントをされて、その批判に対して自分の心がざわついているときは、大抵そのコメントをしている人のほうが正しい。もちろん言われたときはちょっとカッとなるんだけど、ちょっと虚心坦懐になってみると、「ははあ、確かにあの人の言うとおりだ」と思えるようになってくる。そもそも、心がざわついているのは、本当のところは相手の言っていることがその通りだと思っているからだし。

傍からみて一番みっともないのは、いつまでも自分可愛さから抜け出せないで、無茶な言い訳や立論をしてしまうこと。それが結果的に更に批判を呼ぶという負の連鎖もついてくる。こういったやり方には真理に対する誠実さも、よりよい自分になりたいという意志もなく、ただただ自分のエゴを守る小人の姿しかない。人間は間違えるものだし、よほどとんでもない間違いをしていない限り、その人が仕事をできなくなるなんてことはないのに。

とか偉そうにいいながら、僕自身も小人なわけで、先日も同じような経験をした。大抵、その場ではカッとなって、素直になれない。ちょっと時間が経つにつれて、ようやく虚心坦懐に「確かにその通りなんだよなあ」と思えるようになる。この時間を短くすること、最終的にはゼロにすることこそが、まさしく克己なんだろうと思う。とっても難しいことだけど、これこそが心の修行なんだろう。

問題は、ではその修業はどうするのだということだ。まだ答えは出ていないのだけど、こういうのを書くと、その書く時間も含めて自分の心に規律が刷り込まれていくものなので、自省録というのは克己の訓練としては最適なのかもしれない。

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