政治的な発言をすることについて

正直なところ、僕が政治的な発言をすることのメリットは短期的にはほとんど思いつかないだろう。この国でマイノリティとして政治的な発言をすると何かと波風はたつし、それは僕の仕事に対して悪影響を与えることはあれ(例えば、厳しい発言をすれば電凸とかされるかもしれない。あ、でも日本に固定電話ないか)、良い影響を与えるということはあまり考えられなかったりもする。特に僕のバックグラウンドは通常よりもさらに特殊なので、より一層リスクばかりの話であるようにみえる。

実際、そういった理由から、マイノリティでかつイメージが大切な仕事をしている人の中には政治的な発言を控えている人が少なくないように思う。特に最近はいつも以上に息苦しさが増していて、リベラル(?)な発言をしようとすることに関しては、マジョリティである日本人でさえ少し躊躇しているように見える。

更に言うと、貴重な時間を仕事に振り分けずに、こういうことに費やしてよいのか、という問題もあるだろう。パッと見るだけだと、僕のやっていることは、会社の株主やステークホルダーに対する不義理になるのかもしれない。

それでも発言を続けるのは、自分がそうするべきだと思っているからだ。もう少しいうと、僕が関心を持っているのは格差、機会の不平等や抑圧の問題であって、これに関わる以上、政治的であることを避けることができなと思っているからだ。個人においても組織においても、その中心にある信念や理念のもとの首尾一貫性が保たれことは何よりも大切なことではないだろうか。その首尾一貫性は、たぶん長期的にはその個人や組織の誰にも真似出来ない強みや信頼の源泉にもなる(多分)。自分自身の言動に首尾一貫していないものを見つけ、直してばかりの日々ではあるけれども。

なお、政治的であるからといって、いたずらに攻撃的な発言をする必要は別にないと思う(もちろん、時には怒りを表明することが重要な場合もあると思うけれど)。知的に誠実な形で、物事が成り立っている根本のところまで考えて論を立てれば、それは攻撃的な発言にはなりえないことがほとんどだ。もう少しいうと、他人を説得したり攻撃したりするためのレトリックでなく、真相に辿り着こうとする虚心坦懐さと知的努力に基づいた発言を続けていけば、それは誰かを不快にさせたりしないにもかかわらずパワフルな議論になっていくのだと思う。まだ芸を磨いている最中だが、出来る限り頑張っていきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?